第7話

「ねえ、素朴な質問だけど、怖くないの。だって、わざわざ戦地に行くなんて。せっかく日本に生まれたのに」

「うまく言えないな。怖いよりも……興味の方が大きかったような気がする」

「現場を見たいのね」

「そんな感じかな。あと、カメラが好きだったというのもある」

「カメラが好きなだけなら、風景写真とか、動物の写真とか、そういうのでもいいわけじゃない。そうじゃなくて、報道をしたかったんでしょ」

「そうだね」

「いいなあ。私もやってみようかな」

 操は少し面食らった。

 そういう仕事がうらやましいという人には何人も出会った。それは、ほとんど実際にはそのつもりはなく、夢想に近い意味で言っている。しかし、「やってみよう」とまで言う人は、しかも若い女性ではとても珍しかった。

『ちょっと面白い子だな』

 操のなかにも興味がわいてきた。

「んーっ、やっぱ、日本酒は最高にうまい」

 美知はかなりのペースで飲んでいる。操は心配になってきた。

「そんなに飲んだらやばいよ。だめだめ」

「固いこと言わないでぇ、気持ちいいんだからぁ」

 酒癖はあまりいい方ではないようだ。

「ところでさ、例の事件の……その、二人が店に来たってのは?」

 恐る恐る聞いてみる。

「何? ああ、ええっとね、事件の少し前、えっ、少しってどのくらいかって? 細かいわね」

 とてもまともな話にはなりそうもない。操は美知の語るに任せることにした。

「私はちょっと、あの事件、旦那だけ責めるのはかわいそうって気もしたのよ」

「え?」

「外務省の高級官僚って言ったら、それだけで悪く言われるっての、なんか違和感があってさ」

「というと?」

「あ、おじさん、揚げ出し豆腐とサラダ、卵焼きも」

「あいよ」

 操は微笑した。それで、ふと、こういう気分は久しぶりだと自覚する。信頼する元上司の伊角にも、どこかつかえるような心地がずっとあった。

 美知はあけっぴろげで、それでいて何を考えているのか分からない女の子だった。

 美知は注文の品が来ると、トングでサラダをかき回し始めた。喫茶店で働いているにしては、やり方が荒っぽい。ドレッシングをはね飛ばしている。操は、美知の手から丸いお皿を奪い取って、自分でさっさとやってしまいたい衝動にかられながら、それを抑えて、美知の手元を見つめていた。

「なんかね、私、あの人、工藤和義って犯人、悪い人には見えなかったのよ。もっと私の見た感じでは、かわいそうな感じだった」

 操はぐっと興味を惹かれた。

「ふーん、どうしてそう思うの?」

「勘よ、勘。女の直感てやつ。だってね、刺し殺しちゃったってことで、『高級官僚の裏の顔』だの、『DV夫』だのと言われて週刊誌とかワイドショーで言われてたけど、そもそも私、ああいうのが大っ嫌いで。なんか問題が起こると『識者』だか何だかがしたり顔で『常識』をひけらかして。あんなことで金もらってる連中こそハイエナみたいで醜いわ」

「そうだね」

「顔写真もいかにも悪そうです、みたいな顔のが使われてるけど、実物の印象はそんな感じじゃなかったのよ」

「どんな感じ?」

「あ、卵焼き、熱いうちに食べてみて。ふわトロで美味しいのよ」

 操は言われるままに卵焼きに箸を伸ばした。

 興奮した美知は、サラダのレタスがちぎれるくらいかき回して、ようやく一区切りついたのか、また日本酒を一口飲んだ。

「ねえ、どこに泊ってるの」

 美知がまた関係ないことを言い始めた。

 だいぶ酔っているようだ。目が据わっている。操はあきらめた。ここで話をもっと聞き出したかったが、やはり無理のようだ。しかし、面白い話である。

「どこに泊ってるの」

「ビジネスホテルだよ、近くの」

「これからお邪魔していい?」

「だめ。君だって、お父さんにそこまで了承はとってないでしょ」

 操は美知の酒を取り上げて、ウーロン茶を注文した。

「なんだ。でもね、私の話、聞きたいでしょ」

「とても聞きたいよ。でもその前にサラダを食べなよ」

 美知は素直にサラダを食べ、揚げ出し豆腐も口に運んだ。

「君は面白い人だね」

 「そう? よく言われるわ」

 ふいに美知は遠い目をした。一瞬、操は彼女が素面に戻ったかのように思った。

 「私、役に立てそう?」

 「とても」

 「そう、良かった。じゃあ、明日話すわ」

 そう言って、美知はにっこりとした。

 その夜は美知を店まで、つまり彼女の家まで送って、操はホテルに戻った。

 さすがに疲れたが、興奮でなかなか寝付けなかった。まだとっつきでしかないが、操は身体感覚といっていいような手ごたえを感じていた。長い間、落ち込んで警備員の仕事以外はろくに出歩きもしていなかったのが嘘のようだ。

 それから、美知のことも思い出した。見かけは軽そうに見えたが、案外いろいろに考えているらしいことが見てとれて、操は純粋に興味を引かれていた。明日は彼女からも話を聞くことになる。先の二人とはまた違った見方が暗示されているので、それが楽しみだった。

 操はふと、この作業はパズルのようだと思う。ただし、ピースを手に入れるところから始めなければならないが、それこそがやはり醍醐味なのだろう。

 寝入ったのは、早い朝陽で外が白み始めるころだった。

「来てくれたのね」

 美知は笑顔で出迎えた。

「昨夜はありがとう。え、さっそく例のお話? いいわよ。今お客さんいないし」

 翌日訪れると、美知はさっそく酒場で言いそびれた話を語り始めた。

「あれは、いつだったかな。去年の9月だった。そうそう、あの事件が起こる少し前、9月末のこと。

 最初、あの犯人の官僚が来てたのよ。

 いかにも雰囲気がこの辺で見慣れない感じで、服装はラフだったけど、威圧感ていうのか、そういう感じがあった。

 お店やってるとね、大体入ってきたお客さんは、一目でどんな人か分かっちゃうものなのよ。もちろん細かいその人のバックグラウンドまで分かるわけではない。でもね、直感で、まずはやばい人、ふつうの人の見わけができる。

 やばい人ってのはね、わがままで面倒くさい人、いろんな意味でね。

 ふつうの人ってのは、もちろん、お店にとってふつうの人で、常識があって、社会性もある、お店にとってはいちばんありがたいお客さんよ。

 でね、たまに、この人、なんか違うなあと思う人がいるのよ。ふだん来るようなお客さんと違う、珍しい人。それで、よく分からない人。

 ああ、関口さんはここに入ってたのよ、私的には。一見ふつうの人っぽいけど、なにか私と違うバックグラウンドをもってるな、この人は、って」

 そこで美知はいたずらっぽく笑った。無邪気そうにも見える笑いで、それを見て操は苦笑した。

「その人は、うちみたいな田舎町の喫茶店にはやっぱり不似合いなものがあって、なんか浮いてる感じだった。

 でも本人は気にもかけてない感じ。あとから考えれば、それどころじゃなかったのね。ふつう、時間をつぶすために入る人はスマホなんかずっと見てるんだけど、それもしていなかったから、ちょっと不思議だった。

 考えてみると、変よね。スマホをいじってない人の方が不思議に見えるなんて。ああ、関口さんも、スマホをあんまりいじってなかったのが、最初目についたの」

 やたらと犯人の和義との共通点を挙げられるので、操は苦笑した。

「スマホもいじらず、何をしてたの」

「なにも。ただ、一回だけ電話がかかってきて、着信画面を見て外に出て行ったことがあったわよ」

「長電話だった?」

「うーん、そうでもなかったけど。電話が終わって店に戻ってきたときも、顔は普通だったわね。怒ってるとか、憔悴してるとか、そんな感じでもなく。ただ、無表情というか」

「その電話のことはもちろん話にはなってないよね」

「そりゃそうよ」

「それで、悪い人には見えなかったというのは?」

「そう、それそれ」

 美知は身を乗り出した。

「写真をね、見てたのよ」

「写真?」

「大きな写真だった。テーブルの上に出して」

「君はその写真までチェックしてたんだ。いつもそうやってお客のプライベートを探ってるの」

「それが私の趣味なのよ」

 悪びれる風もなく、美知はこたえた。

「あのね、奥さんの留美子さんと子供さんとの写真」

「そんなことまで分かるの。盗み見てたんでしょ。留美子さんかどうかまで、しかもそのときはまだ留美子さんの顔も知らなかったわけだし」

「私、人の顔覚えるのが得意なの。こういうお仕事をしてると、身につけなきゃならないことだし。その写真の感じから、この人の奥さんと子供さんだと直感して、この店で待ち合わせしているかもしれない、って思って、頭に入れておいたのよ」

「そういうものなの」

「当り前よ」

 やけに堂々と美知がいうので、操は感心した。

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