第3話
列車は、一つの駅に滑り込んだ。
降りると、無駄に長く広いホームが広がっているように思えた。くすんだコンクリートの汚れた感じが目についた。
決して栄えている街ではない。薄曇りのためにそう見えるというだけでもなさそうだ。
朝の時間帯はすぎているせいか、ここもさほど人はいない。自動改札を出ると、待合室があり、自動販売機が2台設置されていた。
操はそこのビニール皮のクッションの入った長椅子にいったん腰かけた。
駅員は、部屋にこもって、外のことなどにはお構いなしのように見える。
操は腰かけたまま、長方形の箱のような駅舎の中を観察した。
喉がひりついた。
自販機でペットボトルのお茶を買い、2,3口、一気に飲み干した。それから、手帳を取り出し、続きのページに、ボールペンで何かを書き込み、またぱたんと閉じ、持ってきた小型のバッグの中にしまった。
チェックインの時間まで、この荷物を置く場所はないだろうか。大きいリュックが邪魔だった。
駅前にはまばらにいくつかの店があり、右手に「喫茶」の看板の文字が目に入った。
行ってみると、2階建ての建物の、1階に、小さな喫茶店が入っていて、「OPEN」の札が下がっている。操はほっとした。ここで、荷物を預かってもらうことができるかもしれない。
ドアは古めかしく、押すとカランコロンの音がした。
「いらっしゃいませ」
ウェイトレスらしい、若い女が声を上げてこちらを見る。
「お好きなところにどうぞ」
操は窓際の4人がけの席に行き、
「ブレンド」
と声をかけた。
カウンターの奥で「はい」と返事がかえる。
やがて、型通りにコーヒーを運んできた彼女に、操は声をかけた。
「悪いんだけどこの大きな荷物、この店で預かってくれないかな」
「いいですよ」
即座に彼女はこたえて、少し興味ありげに操のリュックに目を向けた。
店内にはほかに客はいない。
「助かるな。ホテルのチェックインまで、置くところがなくてね」
「お客さんは旅行?」
彼女が人懐こそうに尋ねた。
「まあ、ちょっと用があって」
操はあいまいに答えてもう一度店内を見回した。
つやつやのカウンターがあり、テーブル席が4つほどの小さな喫茶店。
カレンダーやら、雑貨やら、時計やらが雑多に飾られている。いかにも田舎めいた雰囲気である。しかし、なにか落ち着くところがあった。
「何時くらいに戻りますか」
「ホテルのチェックインの時間が来たら、持っていくので。それまでの間」
「了解です」
喫茶店を出て、とりあえず、駅の前から通りを歩いてみることにした。
さて、チェックインの時間、3時の少し前に、操は店に戻った。そこには相変わらずさっきの女の子がいた。
操の顔を見ると、ほっとしたように顔をほころばせる。
「よかった。携帯の連絡先も聞かずに荷物を預かるなんて、うっかりしてました。マスターに怒られちゃった」
「それは悪かったね。ぼくもうっかりしてた」
女の子は長いウェーブのかかった髪を後ろで三つ編みにしていた。年のころ20代半ばくらい。操より二つ三つ若いように見えた。
「荷物、ありがとう。助かった」
「いいえー。用事は済んだんですか」
「今日の分は予定通りに」
チェックインの時間までに、大方街中は歩いてしまった。
「まだ何日かいるんですか」
「うん、今後のことはまだ決まってないけどね」
そこで、ふと思いついて、
「君はこの街の住人?」
「そう。ここに住んでるんだもの。マスターの娘なの。お店の手伝いをしてるの」
「へえ」
カウンターの奥にいて顔を出さないマスターが、少しこちらをうかがっているように思えた。
「落ち着いた、いい喫茶店だね。コーヒーもおいしかった」
マスターにも声をかけるような気持ちで言い、
「また来てね」
という女の子の少しくだけた声を受けながら、店を後にした。
さて、そこから歩いて20分ほどの小さなビジネスホテルが当面の宿である。
チェックインを済まし、部屋に入った。
ベッドとサイドテーブル、作りつけの台にポットと湯飲み、むき出しのハンガー掛け。背もたれのない椅子。
しばらくすると、スマホが鳴った。洋一からだった。
『着いたか?』
「着いたよ。ホテルにいる」
『よろしくな』
それだけだった。操は微笑して、これからのスケジュールを組み始めた。
さて、今回の取材にあたって、操は一つ、自分に決めていることがあった。
それは、あらかじめ答えを描かない、先入観を持たないということ。
もちろん、取材していれば、自分なりに見えるものもあるだろう。それはそれで構わない。いや、むしろそれこそが必要だ。
けれど、もっともらしい記事を書くことを急ぐあまり、性急に答えを描いて、その道筋をたどるようなことはするまい。そんなことをするくらいなら、取材など無意味だ。
「料理しだい」という洋一の言葉が、操を挑発していた。久々に腕が鳴る気分だった。
「あら、いらっしゃい。おはようございます」
操に気がつくと、女の子は明るい声をあげた。
操は、朝食をとるのに、少し迷ったすえ、昨日の喫茶店を選んだ。入り口付近にはブラックボードが立ててあり、「モーニング Aセット Bセット 喫茶Michi」と書かれていた。
「おはよう。モーニングBセット、アメリカンで」
「はーい、B、アメリカン」
女の子は振り返ってカウンターの奥に呼びかけた。
操は思いついて言った。
「この店、またつかわせてもらうかも知れない。連絡先を聞いてもいいかな」
「じゃあ、これ」
女の子は黄色のマッチ箱を操に渡した。
「今どき、マッチって、珍しいかも。ここに電話番号が書いてあります」
「ありがとう。Michiって、道路の『道』のこと?」
「ううん、私の名前。美知って名前なの」
快活に彼女、美知はこたえた。
「すいませーん」
奥の席から呼ぶ声がする。朝の時間帯だけあって、店内は満席だ。
会社員風の男女は二人席に一人でついてスマホを見ている。ウォーキングの最中らしい老人のグループは四人がけのテーブルを占領、カウンター席は埋まっており、その一つに操もいた。
今日は朝から晴れている。駅前ロータリーに面した店内は明るい。操も心が開放的になっていた。
店のラックから全国紙をひとつとってきて、コーヒーを飲みながら目を通すことにした。
「今日はどこかにいくんですか」
最初、声をかけられたことに気づかずに、熱心に新聞を読んでいた操だが、カウンターのまえで、少しわざとらしくのぞき込むようなふうをする美知の視線に、顔を上げた。
悪意のない軽い好奇心がその瞳に浮かんでいる。
操はとうに自分で確認済みのことを、試しに聞いてみた。
「森田小学校は、ここから歩いて何分くらい?」
「え、小学校に用があるの」
美知はやや拍子抜けしたようだった。
「歩いて、30分くらいかな。ああ、でも自転車使うといいよ、うちで貸し出してるの」
「へえ、じゃあ、借りようかな」
「うん。小学校に何の用?」
「取材」
「え、お客さん、テレビの人?」
美知は目を丸くした。
「いや、ちがうよ」
操は笑う。
「ちょっとゴミ記事書きをしてるライターなんだ」
「ふうん」
そこで、操は美知を少し挑発したいような、妙な気分になり、つい、余計なことを口走ってしまった。
「テレビにネタを売ったことはある」
「わあ、すごい」
もちろん、通信社時代に、映像を売ったのである。
美知はまだ何か言いたそうだったが、会計にきた客の対応をせざるを得なかった。
操は新聞を戻し、自分も席を立った。
「自転車、借りる?」
会計をしながら、美知が聞く。
「いや、今はいいよ。ありがとう」
「はい、じゃあ、またよろしく」
美知はかなり人懐こい性格のようだった。いや、客に対する愛想が上手なのか。それでも、はきはきした美知のようすは、感じのよいものだった。
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