炎の龍をも焼き払う⑨
憧れと好意と親近感を感じていた歳下の少女が、急に「闇の勇者ダークブレイバー」を名乗るという奇行に走り出したが、俺は動じない。
「総統……フィナさんはどうしてしまったのでしょうか?」
「フィナの心の中に潜む津月が出てきてしまったんだと思う」
「僕を心の闇みたいに言うのはやめてください。ともかく、フィナではなく、ダークブレイバーであれば戦闘に参加は構わないでしょう」
いや、まぁ……それはそうなんだけど。
「十年のブランク、子供の身体、異能は半分削がれている。……戦えるのか?」
フィナは狐面を少しあげて、その灰色の瞳を俺に向ける。
「あの日、あの夜、あの瞬間のことは、昨日のことのように……いえ、つい先程起きたことのように鮮明です。ブランクなんて、一日もありません」
その言葉に反論は思い浮かばずに頷く。
戦闘能力は、おそらくあのときの十分の一程度……津月の全盛期の十分の一と考えると、戦力としては十分すぎるほどだ。
「……俺の命令には従え」
「はい」
「自分の身を第一に考えろ」
「はい」
「報酬は何もないぞ。金も名誉も」
狐面で顔を隠して、スッと頭を下げる。
「グラスフェルトの隣で戦う機会こそが、何よりもの報酬です」
「……そうだな。津月凛音は、金も名誉も欲していなかった。やっぱり、フィナは津月凛音だ」
「ダークブレイバーです」
「今、わりと感傷に浸ってたからボケるのをやめてもらえるか?」
まぁとにかく、より万全になった。モノをひとりにするわけにもいかないからレイさんに見てもらうことにするか。
夕飯を食べて宿に泊まる。
明日からが今回の作戦の本番だ。今日はちゃんと寝て、明日に臨もう。
目を閉じて、体を弛緩させる。
決戦の前なんて慣らしたもので、特に気負うこともなく意識が薄らいでいき……かちゃ、と、扉が開く音が聞こえる。
真っ暗な中で、ぺたぺたと足音が聞こえる。
「……モノ?」
足音が止まって、それから何も言わずに帰ろうとする様子が分かり、目を開けて月明かりを辿って足音の方に目を向ける。
いつものメイド服ではなく、薄手の寝巻きに身を包んだ少女はぺこりと頭を下げて部屋から出ていこうとして、俺はそれを引き止めるように声を出す。
「昼にさ、食ったパン。魚が入ったやつ。美味かったよな」
「え……ぁ……はい」
「また食いたい。けど、戦いが終わったら、この町でも、その後に行く王都でも祭りをするらしくて俺はその主役になるから食えそうになくてさ」
モノは足を止めて、不思議そうに俺を見つめる。
窓に月明かりの光を反射した瞳が、不安げに揺れていた。
「ふたりで抜け出して、パン食いに行かないか?」
モノはキョトンとした表情を浮かべて、それからクスリと笑う。
「
「ああ、また、だな」
俺もクスリと笑い返すと、モノは扉を閉めてトコトコと俺の元にきて、ベッドの縁にぽすりと軽い音を立てて腰掛ける。
不安そうだった顔はいつものものに変わっていて、少し安心する。
……怖くないわけがないよな。母を失った街で、親しい人が戦うのだから。
月の明かりを頼りに小さな手を取って、スッと引くと、モノはまるでそれを言い訳にするようにベッドにぽてりと倒れ込む。
「……総統。着いていったら、ダメですか?」
モノは寝転んだまま、その顔を俺の方に向ける。
「危ないからダメだ」
「どうしても、ですか? 心配です」
「どうしてもだ。……寂しいか」
こくりとモノは頷く。
寒さを堪えるように身を縮めているのを見て、俺はぽすぽすとモノの頭を撫でる。
「……総統は、寂しくないですか?」
「心配はしてるよ。寂しいかは……難しいな。それなりに忙しいから、自分の感情について考える暇もないから、よく分からないな」
モノの手が俺の方に伸びて、よしよし、頭を撫でる。
親が子を愛しむときのよう、そんな印象を……自分よりもはるかに幼い少女に抱く。
……ああ、そうか。
俺はモノが俺の元に来たのは、寂しくなってやってきたのだと思った。それもないわけではないだろう。
けれどもモノの発言は「着いていきたい」「心配だ」「寂しくないか」と俺を労わる言葉ばかりだった。
表現は幼いけれども、心の底から俺のことを思ってくれている。
少し前、俺は……「この世界が好きじゃない」と思った。
社会制度には不満があるし、生まれ育った世界とも違う、土や草や石畳の感触は俺を拒絶しているように感じていた。
天文学には詳しくないけれど、星空も違って見えるし、月に兎の姿も見えやしない。
俺の世界じゃない。……なんてことをここしばらく、すっかり忘れていた。
絡んでいく指先は細くて、けれど、暖かい。
モノの髪先が俺の頬をくすぐり、吐息が首筋を撫でる。
「……終わったら、魚のパンを食って、散歩でもするか。大通りは祭りで騒がしいかもしれないからちょっと離れたところで、音楽とか鳴ってたらそれを聞いてさ」
「鳴ってなかったら、どうしましょう」
「俺が好きだったあっちの歌でも歌ってみるか」
「じゃあ、私の好きな歌も教えてあげますね」
別に、約束をするほどの大したことではない。
特別でない日に食べるようなご飯を食べて、特別ではない歌を歌うというだけの、ただの普通の会話で……けれど、そんな普通の話をするという約束にモノは嬉しそうな表情を浮かべる。
月明かりが窓から差し込み、その笑みを照らす。ただ純粋な優しい笑顔。
……かつての世界で15年。この人生で10年程度。合わせて25年ほど……悪の総統として生きてきた。
「総統? もう、眠いの?」
「……いや、大丈夫」
総統……俺は今、それを上手く出来ていない気がする。
祭りの主役なんて顔を売れる絶好の機会なのに「人混みの中は、モノが母を亡くしたときを思い出すかもしれない」なんて考えてそれを迷わずに捨ててしまった。
ああ、だって、俺は……俺の隣を歩こうとついてきてくれる健気なこの子を置いて歩くことは出来ないから。
かつて、死ぬ間際に聞こえた幻聴を思い出す。
「誰かを守ろうとするのに、特定の誰かではなくて不特定の多数なのは、きっと誰もあなたを愛さなかったからでしょうね。特別な誰かは、あなたにはいなかった。グラスフェルト……いえ、目黒志央」
なんて、そんな言葉だった。
……特別な誰かを持っていなかったから、平等に誰もを救おうと出来る悪の首魁であれたのならば……今の俺はグラスフェルトでいられているのだろうか。
窓を見る。
月の模様の中に兎の姿はなかった。
「……月、綺麗だな。こっちの世界も」
「そうですね。……また見ましょうね」
「モノ。……俺さ、最近は寂しくなかったよ。……寂しくなかったんだ」
「よかった。寂しいのは、辛いですから」
月に手を伸ばしてみる。
小さいな、俺の手は。
モノはそうしている間にうつらうつらと船を漕いで、ぱたり、俺の胸に落ちる。
小さい。暖かくて、壊れてしまいそうな柔らかい感触だ。
……この世界を守りたいなんて、まるで津月のようなことをぼんやりと思った。
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