炎の龍をも焼き払う⑤

 少し前、一緒に戦っている仲間が「男の人の手が好きなんです」と言っていた。


 僕は、大きさ以外に自分のものとそんなに変わらないだろうと思いながら、それを聞いてから少しグラスフェルトの手を見ることが増えた。


 男女差と体格差だろう僕の手より大きい。意外と訓練を頑張っているのかごつごつしてる。

 それに、少し時代遅れのペンだこがある。


 ……書類仕事をよくするのだろうか。パソコンは使わないのかな。


 そんなことを考えていると、グラスフェルトは仕方なさそうにポテトをつまんで僕の方に向ける。


「そんなに食べたかったのか? ほら」


 ジッと見ていた手がすぐ近くまでやってくる。グラスフェルトの手は、血管が少し浮いていて確かに男の人の手だと分かる。


「……ぐ、グラスフェルトの、えっち」

「なんでだよ!?」


 ポテトをいただきながら、もう一度グラスフェルトの手を見る。


「パソコン、使わないんですか? ペンだこ」

「ん? ああ……オフラインなら使えるけど、オンラインだと普通に政府に見られるからな」


 ……大変だ。申し訳ないな、そう思う。


 グラスフェルトは僕を勧誘に来ているのだ。

 誘いに乗るつもりもないのに。


 そう考えて、ふと、思う。

 あれ、じゃあなんで僕はここに何度も何度も通っているのだろう。


 全然減ってないハンバーガー。これをパクパク食べたら、ここにいる理由もなくなるのに。

 メロンの味なんてしやしないメロンソーダには、たくさんの結露が付いている。


 目がグラスフェルトの指先を追う。……毒……とまではいかなくとも、睡眠薬を盛ることぐらいは難しくないだろう。


 「正義」それをしたいなら、呆気なく、ハンバーガーを食べるついでに出来ることだろう。


 仲間を守ることにも繋がる。反乱による血も出ない。

 裏切るつもりがないなら、そうするべきだ。

 ……そうじゃなくても、正々堂々と言うのなら、ハッキリと「仲間にならない」そう言えばいい。


 口をつけたメロンソーダは、氷が溶けて、炭酸が抜けて、なんとなく薄い。

 けれど、少しずつ、少しずつ、誤魔化すみたいにそれを飲んでいく。


「……革命。グラスフェルトは、それが成功したらどうするんですか?」

「んー、まぁ、しばらくは国を治めるために走り回ることになるかな」

「しばらくって……いつまでですか」


 聞いて、それから、気がつく。

 メロンソーダの中の氷が溶けるぐらいの短い時間であるはずがない。


 紙コップの外についた結露が机を少し濡らした。


「まぁ、死ぬまでってことになるか。たぶん」

「……それは幸せですか?」

「どうかな。……労働なんて、どんな社会でも普通のやつはするだろうし、普通だろ」


 普通の労働みたいに言う彼の手は、傷もあればペンだこもある。……普通、そう呼ぶには古傷の跡が濃い。

 死ぬまでという言葉は、彼が口にすると少し重い。


 ──僕と、一緒に逃げませんか。


 口になんてするはずがない。

 頷かれても、僕の方がそんな約束を守れない。


 仲間は裏切れない。グラスフェルトは殺せない。

 正義なんて持ってやしない正義のヒーローは気が抜けていて。


 氷が溶けるように、ゆっくりと。紙コップの外についた結露が垂れ落ちるように確実に落ちていく。


 この密会は、あまりにも仲間への裏切りで、ただの敵への騙し討ちだ。


 僕はそうしてまで、この人と会いたかったのだろうか。

 少し考えて、もう一度彼を見る。……そうまでして、だったのだ。


 恥。自己嫌悪。「欲しい」なんて獣じみた欲望をこの人に向けているのだ。

 ……けれども、そう分かっていても、メロンソーダはまだ飲まない。


「……津月は、この戦いが終わったら何をしたいんだ?」

「ぼ、僕ですか? ……僕の方は、たぶん、終わりはきませんよ」


 グラスフェルトがいなくなっても、グラスフェルトみたいな人はいくらでも出てくる。

 そういう社会である。……もう限界が近く、僕の仲間が少しでも内部から良くしてくれるのを祈るだけだ。


「もし、終わるんだったら、僕は……」


 貴方に嫌われたいのです。

 なんて女々しい言葉を言えるはずもなく、紙コップから垂れる雫を見つめる。


 ふと、視線をずらすと、グラスフェルトの紙コップに目が向く。

 結露がついていない。とっく飲み終わっていたのだろう。


 グラスフェルトの目を見ると、僕の結露だらけの紙コップを見て、それから僕の目を見返して、仕方なさそうに笑う。


 ああ、バレバレだ。僕の卑しさも、狡さも、みっともなさも。

 けれど、彼はそれに何も言わずに笑いかけるのだ。


 ……嫌ってくれたのなら、もっと、気楽だったのに。

 ……嫌いになれたならなんて、やっぱり、女々しくて。


 もしもがあるなら、もっと弱くなれたなら。なんて、ありもしないもしもを求めて、水っぽくなったメロンソーダを口にした。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 目が覚めて、グラスフェルトがすぐ近くにいる。


「……なんか、機嫌良さそうだな。いいことでもあったか?」

「いえ、悪いことしかないですよ」

「……昔よりか?」

「……昔よりです。……自分のことが、やっぱり嫌いだなと、再認識するような夢を見て」


 グラスフェルトは頷いて、それから私の髪に触れる。


「……俺はさ、津月の津月が嫌いなところが好きだったな」


 ぱちり、瞬き。

 少年の顔で、けれども哀愁のある表情で続ける。


「津月は、自分を正義のヒーローじゃないと言ってたし、俺もそれを強く否定したりはしなかったけど。俺が思う正義って、たぶん、迷うことなんじゃないかとな」

「……?」

「絶対に、何もかもが正しいことなんてなくて、白と黒に分けられない灰色のマダラ模様の中で。みんなが駒を置いていく中、ずっと迷って、マダラを見つめて。……憧れていた」

「……どっちつかずの蝙蝠野郎です。鳥には「僕は鳥の仲間です」獣には「僕は獣の仲間です」都合よく、そんな顔をして」

「俺は簡単に「お前は敵だ」なんて斬り捨てるやつはヒーローじゃないと思うぞ。……しがらみがなくなったから言えるが、津月は俺の憧れたヒーローだ」


 グラスフェルトの視線は私の唇に移り、それから恥じるように首を横に振る。


「……わた……僕も、グラスフェルトの自分が嫌いなところ……。間違っていることは怖くて、誰にも悪にはなりたくないのに、グラスフェルトだけは悪の旗を掲げて、泥を被って。そんなところが」


 言い淀み、それから彼の方を見て、何度も何度も、前世で飲み込んでいた言葉を口にする。


「好きです」


 それだけ言って、パタパタと逃げる。

 どんな表情をしているのか怖くて見れないまま。

 もう前世と今世を合わせたらそれなりの歳のくせに見た目通りの女の子みたいに、パタパタと。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 旅を続けて、街から街へ移動する間に抜けていく冒険者も多いが、それ以上に参加者も増えている。


 思っていた以上に冒険者同士の横のつながりが強かったおかげで予定よりも人数が膨れ上がっていて、そのせいで食費がカツカツ、人数が多すぎて移動するために集まることすら困難、それなりにやる気がないやつも増えていて全体的なモチベーションの低下……。


 早急に手を打たなければならないところだ。一番やりやすいのは部隊の分割で、港町解放グループと建設グループで別れることで大人数による行動の遅さを緩和することだが……。


 結局、ある程度の大人数のリーダーのようなことが出来るのは俺とレングしかいないという問題がある。


 戦力としてもフィナを除けば俺とレングのツートップだし……どうにも偏りがある。


 足りなくなることはあると思っていたが、まさか人が増えすぎるとは……思っていたよりも貴族の権威が強いのかもしれない。


 あとは演説やら何やらで士気を高めるとか、空中分解覚悟で突っ張るとかもあるが……。効果とリスクがつり合わないな。


「そーとー? どうしたんですか? お菓子食べますか?」

「ああ、ちょっと考え事を。そうだな、一口だけもらっていいか?」


 モノの手から菓子パンのようなものを少しだけ食べさせてもらい、広場のベンチでぼーっと過ごす。


 そこまで遠くないから、もう空中分解覚悟で突っ張ってもいい気がしてきたな。


 目的さえ果たせれば後腐れなく解散出来る関係だからここまで雑に参加者を増やしたわけだし……。


 いや、でも、最終的にはどうにでもなるだろうがあまりグダグダなところをレングに見せると信頼が損なわれかねない。

 ただの腕が立つだけの扇動屋と思われても困る。


 やはり、ここはリーダーが出来るやつを探してそれに建築グループの指揮をしてもらうのが一番だ。


 ……とりあえず、冒険者のパーティのリーダーが何人かいるからそこら辺から当たってみるか。


 そう考えながら街の冒険者ギルドに向かおうとしたとき、バッタリと前にこの街に来たときに出会ったギルドマスターの女性と鉢合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る