津月凛音に似ていない⑧

◇◆◇◆◇◆◇


 夜風に身体が冷やされて、ほんの少し、体が動かしにくい。

 異能力の過剰な使用。その後にくる虚脱感は、実のところそんなに嫌いではない。


 頑張らなくてもいい……なんて言い訳があること。わりとそれが好きなのだ。


 今日の相手、強かったな。

 グラスフェルトの率いているブレーメンとは違ったなりふり構わない怖さがあった。


「凛音、大丈夫ですか? 一人で歩けますか?」

「んー、ダメかも。立ったら死んじゃいそう」

「全く、あなたはまたそう言うことを……」


 ……嘘ではないんだけどな。

 怪我はしていないけど、異能力の使い過ぎで気分が落ち込んでいる。


 こういうとき、少し高いところに立ったり、電車のホームの前に並んだら……ふと、体が前に倒れそうになってしまう。


 ……最近は、特に酷い。少し戦いすぎているのかもしれない。


「それにしても……ブレーメンの攻勢が続きますね。随分と厄介です」

「えっ? いや、最近は見てないよ。ブレーメンの人たち」

「先程戦ったばかりでしょう」


 えっ……と、考えて、何度も瞬きをする。

 もしかして、この子は……私の大切な仲間は、ブレーメンと他の組織の違いが分かっていないのだろうか。


 民間人への被害を狙っていたり、火事場泥棒のような人が混じっていたり。

 ……明らかにブレーメンの理念とは違う組織なのに。


 仲間の少女は不思議そうに首を傾げる。


「手、貸してください」


 少女が僕に手を伸ばす。

 ほんの一瞬、その手を握ることを迷った自分に気がつく。


 なんで、僕は仲間の手を握ることを躊躇ったのだろう。


 虚脱感。

 それは異能力の使い過ぎによる副作用なのか、それとも、仲間が……「何故、何を思って彼等が敵となっているのか」ということすら考えていないことに対する失望に似た感情なのか。


「どうしました?」

「……ん、僕の手が汚れてるのが気になって」

「気にしませんよ。そんなこと」


 仲間の少女は僕の手を握って、僕はその手に負担をかけないように立ち上がる。


「……やっぱりさ、僕、君のこと好きだな」

「へ……? ど、どうしたんですか、凛音。きゅ、きゅきゅ、急に!?」


 顔を真っ赤に染めて、僕の手を握ったままブンブンと手を振る仲間の姿を見て苦笑する。


「この前のさ、カラオケ、楽しかったね」

「ふふ、凛音は音痴でしたね」

「仕方ないじゃん。ずっと戦い詰めだったんだから」

「知ってます。……また行きましょうね」

「うん、楽しみ」


 彼女は僕のことを大切に思ってくれている。

 だから、小声で自分に言い聞かせるように言う。


「大丈夫。大丈夫。僕は、大切に思っている。守りたいと思っている。だから……戦える、うん」


 グッと歯を噛み締めて、彼女に連れられて戦場から離れた。


 それから数日、いつものハンバーガー屋さんにいくと、いつものようにグラスフェルトがポテトを摘んでいた。


「あれ? 今日はそれだけなんですか?」

「んー、ああ、津月か。今日は会食があるから少しだけにしようかと。…………大丈夫か?」

「どうかしましたか?」

「……隈、ひどいぞ」


 ……そんなにだろうか。

 グラスフェルトに話すようなことではないと分かりつつ、この前感じたことを口にする。


「いや、当たり前だろ。敵対組織の主義信条を全部理解して戦うのなんて無理に決まってるだろ。組織がいくつあると思ってるんだ。別にその組織も大々的に広報してるわけでもないから知るのも大変だしな」

「……でも、何も知らないのに戦って傷つけるなんて」

「そりゃ理想としては敵対者の理屈を知っておきたいけど、うち以外はパンフレット配ってるわけでもないんだから現実的には無理だろ」


 僕の想像とは違って、グラスフェルトはあっけからんとした様子で「別に津月の仲間は悪くないよ」と口にする。


「でも……ブレーメンはそういうことしないのに……って、思うんです」

「まぁ戦略としてどの組織がどう動いているかを知る必要はあるけど、兵士にはそこまで必要ないと思うぞ。相手の理屈を調べて勉強してって、そりゃそれが出来るのは良いことだが単純に時間がないだろ」

「……まぁ、それは、そうかもです。僕も分からないまま戦っていることはあります。でも、じゃあ、どうするべきなんですか」

「何もかもを間違えずに生きるなんてことが出来るわけがないから、ある程度は諦めた方がいい」


 僕はグラスフェルトの方を改めて見て、パクパクとハンバーガーを齧る。


 ……最近、あんまり料理の味が分からないと思っていたけど、味が濃いおかげか少し美味しく感じる。


「相手のことを理解しきれないまま戦っているのはウチも同じだ。というか、どこもそうだろう。現実的に不可能だ」

「……今日は、勧誘してくれないんですね」

「そりゃ……。津月。少し休んだ方がいいぞ。異能力の使用による疲労が積み重なりすぎだ」


 その言葉に押し黙る。

 自覚はあった。精神力の使い過ぎで、色々と無駄なことを考えている。

 元々、自分が正しくないと分かりきって戦い始めたのに。


「……正しくありたい。なんて思う自分が、なんて情けないのだ、と、そう思うのです」

「疲れているんだよ。津月は」

「……じゃあ、疲れていないときの僕は、どんな人だと言うのですか。これとは違うんですか」


 グラスフェルトは少し考え込んで、ゆっくりと口を開いた。


「……疲れてないときを知らないからなぁ」

「なんですか、それ」


 僕がクスリと笑うと、彼は僕に手を伸ばしてガシガシと頭を撫でる。


「……もうさ、普通の女の子に戻れよ」

「アイドルみたいな言い方ですね」

「冗談じゃなくて。……情けないが、俺の影響力が落ちている。これからは本当に殺し合いになる」

「……決めたんだ。世界のために戦うって」


 グラスフェルトはほんの一瞬だけ表情が歪み、それからいつもの顔に変わった。


「俺は世界の一部じゃないのか?」

「じゃあ、グラスフェルトも僕のために悪の組織なんてやめてくださいよ。そしたら、一緒に辞めて。……どこか、遠くにいって」


 返事はない。まぁ、頷かれるなんて思ってもいなかったけれど。


 目を逸らして、ハンバーガーを齧る。


「……」

「……」


 無言が続く。僕もグラスフェルトも分かっているのだ。


 お互いに譲れないものがあるけれど、これ以上は殺し合いになると。


 せめてもの一線を守って……なんてラインはもう誰もが越えていた。


 僕とグラスフェルトは飛び抜けて強いからこそ、それを越えないというワガママが通じていたけれど。

 グラスフェルトの組織が崩れていき、それを守るだけの余裕が彼から失われていた。


 グラスフェルトがその線を越えたのならば、僕も対抗しなければ負けるだけだ。


「……俺は、結局、何も成せなかった」


 彼は立ち上がって息を吐き出す。


「腐敗と汚職の不満が溢れかえっている。今は軍やら警察やらが無理矢理力づくで抑えているが、いずれそれも無理になる。……それは、酷い革命になるだろうよ」

「……貴方が守ろうとしてるのは、腐敗した人達なんですか?」

「守れるなら守りたいだろ。……何もせずにいれば、いずれ民衆になぶり殺されると分かっているんだから。民衆の方もそれなりの犠牲が出る。誰も彼もが、傷つくことになる」


 それから、グラスフェルトは外を眺める。


「負け犬の戯言だ。……俺は何も成せなかった。それが結果なんだ」


 まるでそれは、自分の敗北が確定しているかのような言い振りで……その背中が寂しげに見えて、思わず立ち上がった。


 グラスフェルトが革命を制御しようと、人死や無惨な事件が少しでも減るようにしていたからまだこの世界はその地獄になっていないのだ。


 相容れない。もっといい方法があったはずだ。

 そう思うけれど……ただ、ただ、彼の人生が、彼の戦いが無駄であったとも思えないのだ。


 だって……僕が好きで守りたいと思ったこの世界には、もうグラスフェルトがいたのだ。


 彼が悪の組織の首魁として動いていた時代に、僕は生きていたのだ。


「……この時代は、確かに終わるのでしょう。グラスフェルトが勝って世界を支配するのか、僕達が勝って少しずつ良くしていくのか、それとも武力革命で血みどろになるのか、腐敗と弾圧で酷いことになるのか。まだ、誰もが分からないのだと思います。けれども、確かなことはあります」


 息を吸う。……次に会う時は、殺し合いかもしれないと覚悟して、誠心誠意、この悪の首魁に対して伝えるのだ。


「この時代は……腐敗がほんの少しマシになって、血塗れの武力革命がほんの少し遠い。……歴史的に黒く暗くて嫌な時代かもしれないけど、それでも……滅びの崖の手前で立ち止まったようなこの時代は、きっとあなたが作ったんです。この時代の王さまは、あなたでした」


 彼は少し振り返り、へらり、寂しげに笑う。


「貶されてるのか、褒められてるのか、分からないな」


 僕は拳を握って、彼に問う。


「……なんで、なんで僕だったんですか。こうして時間を作って、街に出るリスクを負ってまで、何度も何度も勧誘したのは。強いだけなら、他にもいました」


 彼は階段を降りながら振り向くことなく進んでいく。


「俺は、少し、早足が過ぎる」

「……」

「俺の生んだ停滞。俺には良いものに思えなかった。たぶん、俺は何をしても「もっと良く出来る、もっと上手くやれる」と考えるだろう。……そこにある幸せを見逃してしまう人間だ。だから……津月がいないと、俺の足を止めてくれないと、俺は早く歩きすぎる」


 そのまま少し早足で降りていく。その背中を見送ろうとして、思わず追いかけて声をかける。

 グラスフェルトの早足が止まった。


「グラスフェルト! …………そこにある幸せひとつ教えてあげます。……一緒に食べた、ハンバーガー、美味しかったです」


 彼は少し驚いて、クスリと笑い、自分の頬を触ってみせる。


「ソース、ついてるぞ」


 立ち止まっていた足は動き出して、彼は僕をおいてハンバーガー屋さんから出ていった。

 ひとり、ぽつり、その場に残ってハンバーガーを齧る。


 もそもそしたパンと、ぐにぐにとしたハンバーグ、ジャキジャキしたレタス。……味は、あんまりよく分からなかった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 グラスフェルトが、集めてきた人と資材を彼の兄に見せていた。


 グラスフェルトの作戦の大まかな内容は、街から街へと移動しながら人と資材を集めて、道中に休憩所を建てて建築のノウハウを積みながら進み、港町の近くに拠点を建ててそこで休みながらグラスフェルトと兄のふたりを中心として何度も港町を攻めて魔物の数を減らすということらしい。


「──以上が、俺の作戦だ。今から連れてきているのは、建設だけでなく港町の解放まで手伝ってくれるという連中だ。これに加えて、道中で増やしていける。やれるだろ、レング」

「……どうやって人と金を集めたんだ? この短期間に」

「普通に、冒険者ギルドで説得したのと、金はまぁ……商人から借りてきた」

「よく借りられたな……というか、返せるのか?」

「大丈夫大丈夫。成功すれば俺に貸したいって奴はいくらでも出てくるから」

「それは何も大丈夫じゃない気がするんだが」

「借金ってのは貸した側は返してもらうために借りたやつを庇う必要が出てくるからな。仲間集めにはいい手だ」


 グラスフェルトはあっけからんとそう言い、兄は少し考えてから頷く。


「……なんか違う気はするが、約束は守ろう。……いや、断り文句のつもりだったんだけど……親父になんて言えばいいんだよ。これ……前めちゃくちゃキレられたんだぞ」

「親父も連れて行くか?」

「無理だろ……」


 兄は大きくため息を吐く。それからグラスフェルトはひらひらと手を振りながら「俺から説明しにいくよ」と言って出ていこうとする。


 ……結果を見せたところなのに、私を勧誘することもせずに?


 思わず、グラスフェルトの手を握って彼を止める。

 なんで止めたのかは分からないけれど、何故か、不思議と、ハンバーガー屋さんで最後に会った日を思い出したのだ。


 私に背を向けて、少し早足で……。


「……後ろめたいこと、しましたか?」


 自分の言葉に、グラスフェルト以上に私自身が驚く。


 彼がすることに、何も口出しするつもりはなかった。……はずなのに、あの日の背中を思い出して、身体が動いていた。


 この人の足を止めることなんて……こんなにも簡単だったのに。


「私も、一緒に歩いていきますから。少しゆっくり、歩いてください」


 グラスフェルトは少し驚いて、それから変な目を私に向ける。


「えっ、今から怒られに行くんだけど……怒られるの好きなのか……?」

「違います」


 彼の歩幅と歩調は私に合わせるようにゆっくりしたものに変わる。……もっと前に、ずっと前に、こう出来ていたら……と。


「グラスフェルト」

「どうした?」

「名前、教えてもらえませんか。今の名前でも、グラスフェルトでもない」

「あー、目黒。目黒志央。……もう名乗ることはないって、前世から思っていたんだけどな」


 私はクスリと笑ってから、小さく自分の中で抱きしめるみたいに呟いた。「目黒志央……」と。


 それからゆっくりと彼の父の元に向かって。


 めちゃくちゃ叱られた。

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