君の故郷に続く道⑧

 朝食を食べてから、モノと二人で街に出る。


 街並みもそうだが、足元の感覚がやはり違う。ここは俺の国じゃないと、そう思ってしまう。


「総統?」

「んー、あまりはしゃぎすぎないようにな、はぐれたら危ないぞ」


 モノは俺の言葉を聞き、おずおずと俺へと手を伸ばす。

 小さなその手を握って、軽く感触を確かめる。


 こうして手を差し出してきたのはたぶん、はぐれたら危ないからと、いつも親と手を握っていたからだろう。


「どうしたの? 総統」

「いや……なんでもない。あんまり贅沢は出来ないけど少し小遣いをもらってきたからちょっとしたものなら買えるぞ」

「ん、えへへ、いいよ。大丈夫」


 そんな遠慮しなくてもいいのに……。


「遠慮してないよ。……お母さんとのお買い物、帰るときよりも行きの方が好きだったの。帰り道は手が塞がっちゃうから」

「……そうか」


 手を繋いでいたいという意味なのは俺にでも分かる。

 ただ、モノにとってのこの旅は行きなのだろうか、帰りなのだろうか。


 それがほんの少しだけ気になってしまった。


「俺は割とたくさん抱えるのは好きだけどな。人も物も、あればあるだけ抱えたくなる」

「……浮気性、ということ?」

「違う。……慰めにはなるよな、と。大切なものがたくさんあるのは」

「……よく分からない」


 モノの頭をぽすぽすと撫でる。


「まぁ、大人の汚い生き方だ」

「うん。……総統は、前世があるってことは、死んだことがあるんだよね。どうだった?」

「ああ、めっちゃ苦しかったからオススメはしないな」

「……遺した人は、いなかった?」


 モノが口にした言葉に、思わず脚を止める。

 普段ならば大して気にも止めないような言葉だったはずなのに、思考が止まるほど考えてしまったのは……力の使いすぎのせいだろう。


「総統?」


 モノが心配そうに俺を見る。


「…………あー、まぁ、人というか、世界を遺してきたな。……ほんの少しだけ、世界をマシに出来た気もするし、無意味に荒らしただけな気もする」

「……んぅ?」

「だからさ、俺は。座れないぐらいに背負って、下を見れないぐらいに抱えて、歩くことしか出来ないぐらいのものがあればなって思うよ。そうしないと、かがみ込んでジッと俯いてしまいそうだ」

「……そっか」


 モノの手が俺の頬に優しく触れる。モノの目と目が合って、微笑まれる。

 初めて、自分とモノの背丈が同じくらいなことに気付く。


「……私が、一緒にいてあげるね」


 何の気もない言葉だったのだろう。

 けど、それは、本当にモノが母に会えたのならば、数日後には別れる存在であるはずだ。


「えっ、モノ……」


 なのにそれを口にするのは……まるで、俺達の家に戻ってくることをモノ自身が理解しているようだった。


 数秒、目を合わせて、モノが自分の言葉の意味に気がついた表情を浮かべる。


 時が止まったようだった。モノの表情は歪み、顔を青くしていく。

 まるで重大な犯罪を犯してしまったときのような、罪悪感に囚われた様子。


 モノの吐く息が細く早いものに変わり、鼓動が感じられるようだった。


「あ、いや、その……ご、ごめんなさいっ……!」


 モノは俺から逃げるように走り出し、俺も慌ててそれを追いかける。


「っ! モノ! 平気だって! 落ち着け! 知らない街でハグれると不味い!」


 走って追いかけるも、無我夢中で逃げるモノと人を避けようとしてしまう俺ではなかなか差が埋まらない。


 俺やレングからしてみれば、この旅はさほど過酷でもないピクニックの長い版程度のものでしかなかったが、幼いモノにとっては「大事件に俺達を巻き込んだ」という認識だったのだろう。


 その上で、その大冒険の根本である「お母さんに会いたい」が不可能であることをモノ自身が知っていて隠していたのであれば……。


 自分自身の気持ちを誤魔化すために俺たちを利用したと感じて、罪悪感を抱いてもおかしくない。


 俺が間違えていた。……モノは、自分の親が亡くなったことを理解出来ていたし、俺たちに気を遣えるぐらいには大人だった。


 街を走って追いかけて、追いつこうとしたそのとき、物陰から出てきた男にモノがぶつかって倒れそうになり、慌ててモノを受け止める。


「っ……と、ああ、すみません。怪我は……」


 お互い怪我はなさそうで安心して息を吐くと、ぶつかった男は俺をジロジロと見て、ニヤリと笑う。


「あー、いってえ、脚が折れちまったかもな」


 明らかな嘘に少し驚く。そういや、俺の服はこの世界ではいい仕立てのもので……明らかにいいところの生まれの子供だ。

 モノの服も使用人のものであり、傍目から見たら裕福な子供が迷子になっているようなのだろう。


 男は野卑た笑みを浮かべて、俺の胸ぐらを掴みあげる。


「坊ちゃん、これはどう落とし前をつけてくれるんだ?」


 ……運が悪かったな。治安の良さそうな綺麗な街だったが、そりゃ、こういう奴もいるか。


「ぶつかったのはこちらの不注意だ。すまない。医療の心得ならあるから、怪我をした箇所を見せてもらえれば……ああ、いや、こんな話をしても仕方ないな」

「へへ、分かってんじゃねえか。坊ちゃんは賢いらしい」


 俺は息を吐き、持ち上げられたまま男に言う。


「金がないのだろう。昼だというのに酒の匂いがする」

「へへ、ほら、じゃあ出すもの出せよ」

「金は出さん。それはお前のためにならない」


 男は俺の言葉に驚いた表情を浮かべる。


「あのな、当然だが、あまり大金を取れば捕まる。かと言って小銭だと酒代に消えて終わり。継続性がない」

「あ? なんだって」

「今は身体が大きく強くとも、歳を取れば怖くもない厄介者になるだけだぞ。今は良くても、数年後どうするつもりだ」

「っ……てめっ!」


 男は俺を地面にぶん投げるが、俺は脚で着地して衝撃を逃す。


「真面目に働くべきだ。身体も丈夫そうなんだから仕事ぐらい見つかるだろう」

「ガキが何を偉そうに語ってんだよ!」


 男の蹴りを躱し、続けて放たれた拳を逸らす。

 馬鹿な小悪党……とは思うが、こういうのを守って減らしていくのもかつての俺の役目だった。


 今は大したことは出来ないが……まぁ、金を渡すのはなしだ。


「っ! ちょこまかと!」

「盗賊に身をやつすつもりはないのだろう。であれば、こんなことはやめるべきだ」


 ブンブンと振るわれる拳を避けるが、聞く耳を持ちそうにない。

 ……仕方ないか。


 トン。男の懐に入り込み、手のひらを男の腹に押し当てる。


「落ち着け。今、止まるのならば悪いようにはしない」

「このクソガキ……!」


 ダメだな。頭に血が登っている。

 ……暴れて怪我をさせるよりかはマシか。


 男の腹を触った状態で、男が息を吐こうとした瞬間に地面を蹴る。

 地面を蹴る威力での突き技、触れている状態のため勢いがなく弱いが、息を吸おうと力を抜いた身体には充分響くだろう。


「カフッ……」


 強制的に吐き出した息を吸おうとしたところで男の腹に再び手を当てる。

 ただそれだけの、攻撃ですらない動きだが、先程の一撃の苦しみを思い出してか、男は反射的に呼吸を止めて攻撃に耐えようとした。


 ……が、俺は触れたまま打撃を放つことをせずにいる。

 力を入れるために止まっていた呼吸だが、すぐに空気が不足して吸おうと動き、その瞬間にまた弱い威力の寸打を当てて呼吸を妨害する。


 大して痛みもないだろうし、怪我をするほどの力も籠めていない。だが、外部から呼吸を制限されるのは「苦しい」。


 続けて男の顔の前に手をやって反射的に息を止めさせて、もう一度寸打により呼吸を止めさせる。


 ……これ以上は必要ないか。


 パッと男から離れると、男は顔を真っ赤にして「ゼーハー」と息を切らせる。


 さて、なんと声をかけようか。そう考えていると、背後から女性の声が聞こえてくる。


「何の揉め事だ。これは」

「げっ……し、支部長……」


 ……支部長? 振り返ると若い女性が眉を顰めて男の方を見ていた。


 手にはトングのようなものとゴミ袋を握っていて……あまり権力者のようには見えないが。

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