四
四
「ねえねえ、昨日スモモが言ってた話、先生に訊いてみない?」
最初にそう言いだしたのは、ツグミだった。ポヨちゃんも、「ミナイ? ミナイ?」と呼応した。
「訊いてみるったって……ツグミたちはあれ、見てないんでしょ?」
「そうだけど、たしかになーって思ったの。笑いが起きてた割には、笑顔を全然見なかったなーって」
「そうそう、みんな真顔だったよなー。スベったかと思ってめちゃくちゃヒヤヒヤしたよ」
「まあ、ただ単にそういう人たちだったのかもしれませんけど……ぜんぜん笑顔になってくれないっていうのは、嫌がらせでないとしたら不自然すぎると思います」
「嫌がらせってことはあり得ないよ。やせ我慢じゃ耐えられないくらいには、私の演技は面白かったから。つまり、彼らがとてつもなく強いか、ラスボスがいるかのどちらかだよ」
「はいはい、まあ、否定はしないけどね」
先生に訊いてみる。その発想は、正直言ってなかった。感情伝播などという言葉の胡散臭い印象だけで、何か余計なことを言えば不利に働くのではないかと勝手に不信感を抱いていたが、永井先生の体育会系的な、竹を割ったような性格を勘案すれば、彼女が生徒のまっすぐな好奇心を頭ごなしに否定するようなお堅い教師であるとは思われなかった。大人に頼るのは子供の特権である。
もちろん、「逆らえばすぐに殺される政府の陰謀!」みたいなのはあり得ないという希望的観測があったことは否定できない。しかし、やがて首をもたげるのは、それよりもよっぽど名状しがたく気持ちの悪い真実であった。
○
西日が差す放課後の職員室で、私たちが昨日見たこと、そしてそこで感じた違和感の全てを事細かに語り終えたのち、永井先生から帰ってきた言葉は、拍子抜けするくらい軽い返事だった。
「おっ、気付いたんだな、じゃあ教えてやるよ、あれが何なのか」
「えっ?」
私は思わず声を出してしまった。職員室全体に私の声が響き渡る。自分の顔がみるみるうちに赤くなるのを感じた。
「なんだ、聞きたくないのか? なら、別に無理にとは言わないが」
「い、いえ……! 私は、知りたいです……! やっぱり、あんなのはおかしいと思うので……」
「……牛水はこう言ってるが、他の四人はどうだ?」
コイ、ツグミ、アヤメが順に頷いた。ついでにポヨちゃんも頷いていた(職員室にまでインコを持ち込んで大丈夫なのかとも思ったが、どうやら一切お咎めなしのようである。心底、適当な学校だなあと思う)。
私はどうだろう。確かに、あの筆舌に尽くしがたい違和感について納得のいく説明をしてもらえるなら、そっちのほうが良いのかもしれない。でも、何か知ってはいけないことを知ろうとしているような、禁じられた扉を、パンドラの箱を、開けようとしているような感覚にも襲われる。
でも――四人の表情を見れば、そんなことは言えなかった。彼女らは、とっくのとうにそんな覚悟は決めていたのだ。軽い気持ちなんかではなく、私と、私たちの真実のために。
私は、確かめるようにゆっくりと頷きながら、一度大きく深呼吸をしたのち、「はい、ぜひ聞かせてください」と言った。
「よし、じゃあ話してやろう。でも、
「……はい」
○
「あれはな、発電なんだよ」
会議室の議長席にどっしりと座るや否や、永井先生の口から飛び出てきたのは、先ほどとは打って変わって極めて衝撃的な言葉だった。
「発電……どういうことだ?」
コイが真っ先に疑問を呈する。
「まあ、順を追って話すから、とりあえず聞いていなさい。とはいえ、そうだな……どこから話そうか」
永井先生はしばらく思案に暮れていたが、ほどなくして口を開いた。
「まず、お前らが在籍している創造学芸科という学科、これは二一七九年に国の施策によって作られた学科なんだ。そのために全国で十三校の私立学校が選定され、特例的に国立学校として運用し、普通科に加えて創造学芸科を開設することとなった。それ以来、それらの学校は優秀なミュールを輩出し続けているわけだ。
ところで、二一七九年に何があったか知ってるか? 春原、本好きなら分かるんじゃないのか? ヒントはエネルギーだ」
「えっと……日本のエネルギー自給率が一〇〇パーセントになった年……でしたっけ?」
「その通りだ。新技術の実用化により石油・石炭の輸入を全て停止した、というところまでは教科書にも載っている話だが――そうだな、ここで政治の話をしておこうか。
今の日本で政権を握っている自由意志党は、自律を是とし、他律行為や、人間の傾向性を支配するあらゆる事物を排除しようとしているんだ。そういう方針で、初めて政権を取った二一五〇年から六十年以上ずっとやってきている。二一六三年には『精神自由法』という法律が制定され、あらゆる他律行為が禁止された。その一環として日本に存在した全ての宗教が撤廃され、宗教施設はすべて取り壊された。日本人は完全な無宗教だが、かつては仏教、キリスト教といった世界的に有名な宗教が入り混じっていて、他にも有象無象の様々な宗教があった。そして、昔は日本古来から伝わる神道という宗教も存在した。律師さまは、今でこそ完全な自律を成し遂げた日本国民の模範的存在として知られているが、かつては天皇と呼ばれ、神の末裔であることを自ら否定しながらも、曖昧な運用の中で神道の文脈の延長としてある種の信仰に近いものを集めていたんだ。しかし、宗教とは人間の傾向性を支配する最たるものであるので、特別扱いはせずにすべての宗教を等しく消し飛ばしたのさ。とはいえ、天皇制廃止への反発を恐れた政府は結局『律師』を作ってしまったわけだがね」
ああ、「御律木」と「御神木」の謎はそういうことだったのか、と私は納得した。
「話を戻そうか。自由意志党は、それだけ他律を嫌ってるってわけだ。『自律軍』を持ってるのだって、あくまで他の国から干渉を受けないようにするためで、戦争に加担することは敵国を『律する』ことに他ならないからって言って、一回も実戦投入されたことがない。
それはエネルギー政策についても同じだったんだ。国民を養うために最も重要な要素であるエネルギーの大部分を中東からの輸入に頼っていれば、いつ他国からの干渉を受けるか分かったもんじゃない。だから、政府は秘密裏に新たな発電技術の発明を命じていたんだ。そうして開発され、二一七九年に実用化されたのが――『憧憬発電』だ」
「しょうけい? 何ですか、それは」「ショウケイ? ショウケイ?」
「なに、文字で書けばわかるさ。憧憬というのは『憧れ』のことだ。憧憬発電とは、憧れという感情によって発電を行うことなんだ」
「感情で発電……? そんなことができるんですか……?」
「ああ、初めて聞いた時は私も信じられなかったが、どうやらそれが可能らしいのさ。発電するだけなら、怒りでも喜びでも悲しみでもいい。例えば、悲しいときには涙が出るだろう? このとき、感情が涙として放出されることでエネルギーが失われているんだ。実際、泣きはらしたあとは悲しみが消えるだろう? だから、感情が生じてすぐにその感情を『回収』することで、エネルギーが失われる前の『発電材料』を取得することができるんだ。
『精神自由法』においては、喜び・悲しみを含む多くの感情が、人間の傾向性を支配する不良な感情としてリストアップされている。怒りであれば、多くの場合他人を委縮させることからまた別のリストに入っている。政府が人間の心から除去したい感情が、発電のために利用できるとなったら、これを活用しない手はないだろう?
だが、怒り・喜び・悲しみといった一過性の感情を回収するだけでは、エネルギー問題を完全に解決できるだけのエネルギーを賄う事が出来なかった。これが実用化までにおよそ三十年もの年月を要した原因だ。
しかし、ある研究者が、既存のものよりも圧倒的に効率的な手法を発見したんだ。
それこそが、『憧れ』の利用だった。
憧れというのは、人間の歩む道を容易に決定してしまう、あらゆる感情の中でも最も厄介なものとして、政府内でも危険視されていた。だから、『精神自由法』の制定とともに真っ先に対策がなされた。一定の年齢に達した子供の脳に特殊な電気信号を送ることで『憧れ』を除去する。これは感情による発電が発見される前から行われていたことだ。だから、彼らは『憧れ』が莫大なエネルギーを含んでいることに気付くのが遅れた。
私も正確なところは知らないが、幼児期の子供は無限の可能性に開かれているために『可能性の位置エネルギー』が極めて高いらしい。しかし、子供が一度『憧れ』という感情を抱いてしまうと、その可能性は一気に特定の方向性を向き始め、他のありとあらゆる可能性は失われてしまう。つまり、莫大な位置エネルギーが失われる。『憧れ』という感情を生じてすぐに回収することによって、その莫大なエネルギーを回収するというのが、憧憬発電の仕組みなんだ」
「そんなことが……じゃあ、私たちの新入生発表会は発電のために行われてたんですか? でもオペレッタは喜劇ですよね? 笑いだと効率が悪いんじゃ」
「さすがは九谷だ。鋭い指摘だな。概ねその通りだが、少々違う。あれはお前たちが現時点でどれだけ感情を『喚起』することができるか測る、実力テストみたいなものなんだよ。ミュール――憧れの
ところで、憧れの除去のみが行われていた時代から問題視されていたのが、憧れを取り除いてもその感情が『復活』する幼児の存在だ。このような子供は、自由意志党政権下で理想とされる『他律に拠らない』人生を送ることは叶わないとされ、自由意志党政権以前の価値観のもとで――『精神自由法』の適用を免れて、養育されていたんだ。差別などは禁止されているからもちろんなかったが、その知らせを受け取った親が三日三晩泣き続けたなんて話もある。他人よりもちょっと憧れが強かっただけなのにな。だが、そんな『あぶれ者』も不完全ながら社会の中に組み込めるシステムが考案されたんだ。それが〈憧れの再生産機構〉だ。
その年度が開始した時点で五歳だったすべての子供を集め、ある歌劇を鑑賞させる。その歌劇には、見る者の憧れを喚起する仕掛けが張り巡らされているから、憧れの感情が生じない子供は極めて稀だ。そこで生じた憧れを回収し、憧憬発電に利用する。そして、憧れを回収できない児童に関しては――〈再生産プログラム〉への参加が決定される。憧れを抱いたままの子供は、放っておいてもそちらの方向に進むようになる。そのように半ば運命付けられているとすら言える。それを利用する。つまり、観客として憧れを抱いた子供を、舞台上で憧れを届ける
そして、それこそがこの、創造学芸科という学科の正体だ。実際、お前たちは全員、五歳のときに歌劇を鑑賞し深く魅入られたという原体験があって、今ここに創造学芸科生として立っているはずだ。〈憧れの再生産〉とは、そういうことだ」
私は、言葉を失った。というより、今目の前ですらすらと永井先生が語ってみせたことが、全く本当のこととは思えなかった。しかし同時に、彼女の話は奇妙なまでの具体性と寒気がするようなリアリティを孕んでいた。
「じゃあ、私がここ――華智第二高校創造学芸科に入学することは、必然だったということですか」
私は恐る恐る訊いた。
「ああ、そういうことだ。だが、あまり悪く捉えないでほしい。お前たちの『憧れ』は、二二一二年の最先端技術を以ってしても奪えなかったのだからな。今の政権の価値観からすればお前らは不幸な
「……なんとなく察しはついていたんですが、もしかして先生も創造学芸科のご出身なのですか……?」
「ご名答だ。〈憧れの再生産機構〉の創設からもう何十年も経つ。創造学芸科で教鞭を執る教員は、今では全員が創造学芸科出身者だ。情動残留児の気持ちに寄り添えるのは、同じく情動残留児であった者だけであるという判断なのだろう。並大抵の『不良な感情』を除去された人間には、理解すらできないだろうからな。今語ったような話は、創造学芸科の担当教員であれば誰でも知っている話だ。そして、違和感に気付いた者には基本的に真実を包み隠さず伝えることになっている。
まあつまるところ、このことに自力で気付いた以上、こちらとしても悪いようにはしないつもりだ。何か思うところがあれば、私含め、創造学芸科のどの教員にも気軽に相談してもらって構わない。――思ったよりも冷静に話を聞いてくれて、正直驚いているが、まあ、なんといってよいか分からないというのが正しいのだろう。私にだって、はじめはとても受け入れられない事実だったからな」
受け入れられない事実。その通りだった。私たちが今当たり前に感じている感情は、本当は不要なものとして取り除かれるはずだったものであり、それが私の中に残っていることは、奇跡に近い幸運の賜物なのだということ(世間はこれを不幸と見做すようだが……)。そして、今まで私が自ら選び抜いてきたと信じてきた道の途中に、本当は分かれ道など一つもなかったのかもしれないということ、そして、これから歩んでいく道も、ただひたすらにまっすぐと続いているだけなのかもしれないということ。
そんな底知れぬ不安の色は、四人の表情にも溢れんばかりに表れていた。
「でもな、何度も言うようだが、あまり悪く捉えないでほしいんだ。仮に強い感情に運命付けられていたのだとしても、それも間違いなく自分の力で掴み取ってきたものだ。というか、人間ってのは本来そういうものなんだよ。この国がどうかしてるんだ。半世紀以上、ずっとな」
優しい声でそう言った永井先生の双眸からは、長年の懊悩や葛藤の影が垣間見えたような気がした。
「だから、お前たちは今まで通り、自分の憧れた夢を追い続ければいいんだ。仮にそれが発電なんていうくだらないことに利用されてしまうのだとしても、その想いを受け取ってくれる者が確かにいるということは、お前たち自身が最もよく知っているはずだ。
ところで、お前たちの昨日の発表は見事なものだった。そこで、一つ提案があるんだが――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます