翌日は土曜日だった。しかし、学校がある。私は毎週のように主張しているのだが、土曜日に授業を行うというのは、世界的な潮流に真っ向から逆行する唾棄すべき前時代的で極めて愚かな蛮行であり、重大な人権侵害であると思う。あの建築業界でさえ、五十年前には完全週休二日制がスタンダードになったし、サービス業にしたって、土日にはロボットで運用するのが基本だ。きっと教員の側も同じことを思っているだろうから、お互いにとって完全にウィンウィンの提案だと思う。さっさと土曜授業なんかやめて、猫も杓子もみんな、家でぬくぬく温もればよい。

「はいはい、分かったから早く起きてご飯食べて」

 と、アヤメに一笑に付される(いや、そもそも聞いてすらいないか……?)までがいつものパターンである。私は激しくゴネながら愛すべきベッドルームに涙ながらに別れを告げ、朝食の温もりを胸いっぱいに溜め込んで、学校へと向かった。


     ○


「寒い」「寒いね」「寒い!」「寒いよ~」「サムイヨ! サムイヨ!」「寒い……ですね……」

 共感が光の如きスピードで駆け巡るのが、我らが一班のいいところである。

 実際、一時間目の教室は、およそ春とは思えない寒さだった。四月ももう下旬だというのに、最強寒波が云々とのこと。天気予報士がテレビで言ってた。

 そう、うちの学校は極めて予算が少ない。国立学校というのは昔からそうだったらしいが、全国に十三しかない創造学芸科を抱える学校を手厚く保護しないで、他のどんなことにお金を使うというのだろうか。

 というか、私に言わせれば、今の自由意志党政権とかいうのは、どうにも胡散臭いと思う。私たちの華智第二高校にしても、元々は私立学校であったものを五十年前に国(当時も与党は自由意志党だった)がわざわざ買い取って国立学校化したのだ。エアコン設備は十分にあるのに節約のためにエアコンを止めるというバカバカしい事態が起きているのも、彼らの無責任のせいだろう。そのケチった金を何に使っているかといえば、「自律軍」などという胡散臭い名前の軍隊である。しかも、あのアメリカにも匹敵する軍事力を有しておきながら、自衛戦争はおろか、海外派遣のためにすら一度も用いられたことがない。曰く、「戦争とは暴力による他律であり、我々の目指す日本の姿とは相反する概念だ」とのことらしい。胡散臭いことこの上ない。私は彼らのことを、敬意を込めて「まちのボランティア屋さん」と呼んでいる。

 しかし、中学時代の大半を図書室や図書館で過ごした私がむしろ異端なのだろうが、こうした話題はみんなにとっては特に大きな関心事ではないらしい。自分でも「ちょっと言いすぎたかもな」と思ったのは内緒である。と、

「春原、授業はしっかりと集中して聞くようにな」

 誰かの声がした。永井先生だ。よりにもよって担任の授業で注意を受けてしまった。周りの視線から察するに、私は指名されたことに一切気付かず自分の世界で脳内政権批判を繰り広げていたということらしい。時すでに遅しである。

 授業が面白くないのが悪い! なんてことは断じて言わないが、永井先生の授業が極めて退屈なものであることは、残念ながら否定しようがない。「感情伝播論」と仰々しく題されたこの授業は、「気持ちを込めれば気持ちが伝わる」といった至極当然のことを論理立てて説明しようとした結果、途方もなく遠回りでまどろっこしいものになっている。名古屋から大阪に行くためにわざわざ潮岬を経由するくらいには、遠回りだ。

「はは、すみません……」

 私は右手を頭に宛て、苦笑いした。苦笑はわずかに伝播した。心外だ。これも「感情伝播」の一種なのだろうか。

「兎にも角にも、お前たちは『ミュール』としての活躍を大いに期待されている、いわばダイヤの原石だ。創造学芸科は、それを磨き上げるために存在している。だから、どうか我々の指導を軽んじることなく、真摯に向き合ってほしい。来たるべき舞台上に立つ日に向けて、感動の総量を最大化することを常に心に留めておくように。以上。日直、号令を」

 総量を最大化とは、なんとも理系っぽい言い回しだなあと私は思った。永井先生が本当に理系かどうかは知らない。印象の話だ。というか、私の知る限り、永井先生は、おそらく理系でも文系でもなく、体育会系である。


     ○


 四限目の自主練が終わり、例によって満身創痍、意気消沈状態の私だったが、これで授業が終わりであるという事実が私を勇気づけてくれた。

「おまたせ~」「オマタセ!」

 ツグミとポヨちゃん、そしてコイ、ユユカがやって来た。

「じゃ、行こっか」

 土曜日の放課後には、こうして一班の五人で集まって街に繰り出すのが恒例となっている。なんてったって、華の女子高生である。今を楽しむことにかけては誰にも負けない、いや負けちゃいけないと、私は思っている。

 とはいえ、我らが華智第二高校は、立地が悪いとまでは言わないが、街までのアクセスが少々よろしくない。最寄り駅までバスで二十分、そこから快速列車で三十五分。「微妙」だ。遠すぎもしないが、女子高生が午後だけで目一杯楽しむには些か心許ない距離だ。

 ようやく街に着いた頃には、もう二時前だった。駅ビル二階にあるカフェに入る。三人掛けのソファに、木目のざらつきが心地よいローテーブルが挟まれた、窓際の席。こんな小洒落た店にバイタリティ溢れる女子高生五人で押し掛けるのは如何なものかとも思われるが、まあこれもモラトリアムの特権というものだろう。ゆったりと腰掛け、メニューを開く。ふと窓の外を見やると、駅前ロータリーの中心に聳え立ち街の御律木ごりつぼくとなっているエドヒガンの大木が、春の役目を終えて瑞々しい新緑を湛えている。ところで、御律木は百年以上前には「御神木」と呼ばれていたそうで、今でも廃村の裏山などに登るとそのスピリチュアルな信仰の痕跡を見つけることができるらしい。私は廃墟マニアではないが、いつか見てみたい景色の一つだ。

 私はいつも通り(とは言っても、ここに来たのはまだこれで三回目だが)オムライスを頼んだ。アヤメはペペロンチーノを、ツグミはサンドイッチを、コイはハンバーガーを、そしてユユカはパンケーキを注文した。第一印象によらず、ユユカにはこういった「可愛げポイント」が多い。一組の残り三十人以上は、彼女のこうした一面をまだ知らないのだろうなあと思うと、思わず笑みがこぼれてしまう。

 五分もしないうちに、配膳ロボットが全員分の食事を一気に運んでくる。猫をモチーフとしたこの愛らしい機械は、多少の違いはあれど、二百年も前から用いられているデザインらしい。それほど昔の人の感性と現代の私の感覚との間にも通底するものがあるのだと思うと、なんだかロマンチックなものを感じる。

 出来立てのオムライスは、まるで宝石のように光を跳ね返している。それをスプーンで大胆に掬うと、ゆっくりと運び、口いっぱいに頬張る。ここのオムライスは、まさに「ふわとろ」と形容するに相応しい柔らかさを持つ。口内でほろほろと崩れていく卵が、濃厚なデミグラスソース、パラパラとした食感のチキンライスと共に溶け合って、味蕾に染み渡っていく。端的に言えば、とても美味しい。

 ぽとん、と音がする。コイのハンバーガーからトマトが落ちる音だ。お察しの通り、コイは基本的にものを食べるのが得意ではなく、とりわけハンバーガー等においては致命的なまでに食べるのが下手くそである。

「どうせバラバラになるんだから、もういっそナイフで切り分けたらいいんじゃない?」

 私は提案した。というか、提案せずにはいられなかった。

「いや、それじゃ風情がないってもんよ」

 コイはハンバーガーを口いっぱいに頬張りながら反論する(いくらなんでも見苦しいので、私は思わず目を逸らした)。否定はしないが、皿の上に零れ落ちる大量の液体とその他諸々を見るに、彼女は「風情」という言葉から最も遠いところに位置しているだろう。

「美味しければなんでもいいよ~」

 器用にもフルーツサンドをポヨちゃんに与えながら、ツグミは言う。インコってこういうのを食べても大丈夫なんだろうか、と思ったが、

「オイシイ! オイシイ!」

 とポヨちゃんが言っているのを見て、私は安堵した。しかし、同時に何か、なんとも形容しがたい漠然とした不信感のようなものが湧き上がってきて、私は思わず口走る。

「あのさ、変な話なんだけど、ポヨちゃんも『美味しい』って言葉をホントに理解して言ってるわけじゃないじゃん? だからこう、言わされてるっていうか……なんか、私たちの世界もそういう風に作られてるんじゃないか、って思うことがあるんだよね」

「どうしたのさ、急に」

 変なことを言った自覚はあったが、案の定コイに訝しまれてしまった。しかし、残りの三人は、予想に反して――

「陰謀論の話なら、参戦するよ」

「誰かの操り人形……みたいなことでしょうか」

「え~言わせてないよ、ね?」「ナイヨ! ナイヨ!」

 ノリノリだった。いや、最後は違うか。

「ホントに言わせてるみたいになっちゃってるって」

「でも躾ってそういうものですし、インコの方も人間と良好な関係を築きたいから言葉を真似てコミュニケーションを取ろうとしてるんだって、そういう記事を読んだことがあります」

「いや、言わせてるんじゃない。何者か――エックスとしよう――が、ツグミがポヨちゃんに言わせるように仕向けてるんだよ。つまり、ツグミはエックスに言わせさせられ……言わされさせ? 言わせせせ? 岩瀬? 誰? まあなんか、そういう感じ」

 アヤメは、口許についたクリームソースを拭き取ったのち、肘をついた手で持ったフォークをみんなの方に向けながら、真剣な面持ちでそう言った。この表情をするときのアヤメは本気である。我が愛すべき幼馴染は、ふざけることにかけても全力なのだ。尤も、アヤメの側はふざけているとも思っていない可能性があるが。

 なんにせよ、私の一言をきっかけとして、話に花が――いや、ここは雑談が爆発したとでも言うべきだろう。一度火が付けば止まらず、どこまでも際限なく燃え広がっていく。私たちはこのようにして、他愛のない話もとい、口角泡を飛ばす侃々諤々にして蝸牛角上の大論争を繰り広げるのが恒例である。

 そうして、私たちのランチタイムはつつがなく(本当だろうか)、そして電光石火の如く過ぎ去っていき、気付いた時にはもう三時半を回っていた。

 会計を済ませ駅ビルを出ると、冷たさが入り混じりつつある午後の心地良い春風が頬を撫でた。地面に落ちた後たくさんの人に踏まれたであろう、泥だらけの桜の花びらが、最後の抵抗とでも言わんばかりに力強く空を舞った。


     ○


 その後は一時間ほど、新作のはちみつドリンクをみんなで飲んだり、服屋に立ち寄ったり(もちろんウィンドウショッピングというやつである)した。

 この街は地方都市としては並の規模とはいえ、服屋についてはこの駅ビルくらいにしかないものだったので、すっかりシャッター街となった商店街にある服屋にも足を運んでみたのだが、店主のお婆さんに「ごめんねえ、若い子が来るだなんて思わなかったで何もないのよ、本当にごめんね」と平謝りされて、月並みな言い方ではあるが、とても悲しくなった。

 寮生であるコイとユユカの門限が午後六時なので、どうしても五時前には踵を返さなければならないというのが、なんとも悔しい。そうでなければ、文字通り日が暮れるまで一緒の時間を謳歌できたはずなのに。

「あと一週間ちょっとか~」

 別れ際、コイが何気なく呟いた。

「成功させましょう……!」

「させようね~!」「セイコウ! セイコウ!」

「絶対やれる。やろう。やってやっちゃおう」

 おどけてそう言うアヤメが刹那の間私に向けた視線に、私は確かなメッセージを読み取っていた。なんだか、すっかり不安が消えてしまったような気がして、私は思わず

「うん、みんなで頑張ろう!」

 と、満面の笑みで口走っていたのだった。

 

 家に着く頃にも、まだ夕焼けの赤が微かに、しかし確かな感触を伴って背中を照らしていた。持て余した活力を抱き締めながら、私は眠りについた。

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