余興

耕耘こううん後の台風

白地に跳ねた墨

気難しい爺


今の俺は全てを朗らかな心で受け止めることだろう。

何故なら頃日、梵が極めて素直だからだ。その愛らしさたるや五年を経て懐いた猫のごとし。


直近では、五色米も往生した梵と蒅の喧嘩を仲裁してやった時のこと。梵が誰にも言わず、心に秘めていた蒅への切実な想いを俺に打ち明けるなど、これ迄では考えられないようなことが起きている。宴の誘いも十中八九受け入れられるようになった。俺と梵の絆が深まったことは確実だろう。


有り体に言えば、今の俺はその事実にほくそ笑み、舞い上がっていた。


しかし、問題が一つ。


梵の憂いが完全には取り払われていないということだ。

少しずつ胸襟を開くようになってはいるものの、まだ一抹の不安を孕んだ念を感じる。

一体何の不安なのかは分からないが、特に二人でいる時にはそれを強く感じるようになっていた。今宵はその要因を探るため、二人で花見をする約束を取り付けたのだった。


花筵はなむしろを用意し、浮き足立つ思いで梵を待っていると、後ろから着物のはためく音が聞こえた。


「おお!梵!会いたかったぞお!」


「会いっ……恥ずかしげもなく、そういうことを言うな……!」


赤らむ頬を隠すように、袖を持ち上げる梵を見て、またもや破顔した。


「今宵は面白い酒が造れたのでお前のために持ってきたぞ!どうだ、呑んでみないか?」


「さ、酒か…。兼ねてから言っているように、あまり得意ではなく……。」


「お前も呑めるようにと、甘めに造った。酔いも回りにくい。子どもも飲めるような果実酒だ。」


「…………く、一口だけなら……。」


悪いな梵。お前が酒に弱いということは蒅から聴収済みだ。ほろ酔いにでもなれば、少しはその不安の種について話す気になるだろう。


「応!一口だな!

──おっと、手が滑ったあ!!!」


千年ものの演技力で手が滑ったふりをし、三口分の酒を注いだ。


「お前っ!わざとじゃ無いだろうな!?」


「違う!!!!!」


不服そうな梵に絶対美味いからと説き勧め、何とか全て飲み干させた。良い具合に目が据わってきたところで、いざ話を切り出そうとした時。


「……七宝柑。」


「……ん?」


不意に名前を呼ばれ、頓狂な声が出る。

それと同時か寸秒後に、梵の顔が眼前に迫ってきた。透けるような白肌が撫子色に染まっている。前髪が触れるような距離に、息を飲んだ。


「そ、梵……?」


「…………お前は、気楽でいいだろうな。……ヘラヘラと、人の気も、知らないで……。」


いつもの不安の念に、何か別の念が混じっている。この念を俺は知らない。しかし、それが伝わってくるだけで胸の奥から何かが込み上げてくるような感覚に陥る。


「……そ、………な、何のことだ…?」


「……。」


梵はそのまま倒れ込むように俺を押し倒す。

心臓が早鐘を打ち、今にも弾けそうだ。

何が起こっている。

梵の顔が徐々に降りてくる。

前髪は遠に混じり、睫毛が触れるほどの距離となった。


「梵ッ……」


ぽす


「……………………お?」


気付くと、胸元に梵が倒れ込んで寝息を立てていた。その無垢な寝顔を見ると起こす気にもなれず、風邪をひかぬよう閨まで運んだ。


俺はと言うと、謎の身体症状に混乱し、そのまま花筏のところへ駆け込んだのだった。


「花筏あ"!!何だこれはぁ!?」


「………………帰れ!」


「そう冷たいことを言うな!何かの病か!?こんなところが腫れ上がったことなど無いぞ!!」


「知るか。蜂にでも刺されたのだろう。俺にそれを処理する趣味は無い。自分で思うように落ち着かせろ!」


相手にもされずぴしゃりと閉め出され、梵の元に戻ったが、その隣で寝ようとしても腫れは一向に引かず、其の夜は一睡も出来なかった。


歌詠鳥の鳴く彼誰時、腫れもひき、やっと寝付けたと思えば、目を覚ますと梵は居なくなっていた。仕事にでも戻ったのかと、早朝から感心する。


後に、五色米のところへ行き、この事を話すと、意外な答えが返ってきた。


「はっはっは。七宝柑、お前、それは恋情だろう。まさか気付いていなかったとは。」


目から鱗だった。まさか俺が梵に恋慕を抱いていたとは。そして、昨夜の腫れは俺の厚い恋衣と「契」という行為が深く関わっているということも聞いた。


そうと分かれば善は急げ。梵の気持ちを確かめ、契るほかあるまい。


「梵い!!!」


「どこだ!!!!」


「契るぞお!!!!!」


しかし、至る所を探すも、梵が何故か見つからない。遠出でもしているのだろうかと、いつもの祠の奥を覗いていると、背後から声がかかった。


「七宝柑さん!」


溌剌とした声で、俺の名前を呼んだのは蒅だった。


「応!蒅かあ!いいところに……」


「そよ兄を探してるんでしょ?」


「……御明答だ!話が早いなあ!」


「昨日の夜、何があったの?そよ兄、『もう七宝柑には会わない。』って言ってたよ〜。」


「は」


頭が真っ白になった。

「会わない」……?

何故だ。昨夜も梵は宴を楽しんでいたはずだ。酒を呑ませたのがまずかったか。いやしかし、美味いと言ってくれていた。

では何故。


「…………仕方ないなあ。本当は秘密の場所だけど、七宝柑さんにはこの前そよ兄との喧嘩のことでお世話になったからね!特別にそよ兄の居場所教えちゃおうかな!」


「!……蒅…。痛み入るぞ!」


「但し、俺もお清めがあるから、最後まではついていけないよ。それと、水を被って身体を清めてから行ってね!!」


「承知だ!!」


こうして俺は水を被った。



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