酣
それからというもの、俺は事ある毎に梵を宴へ誘うようになった。
それに際して、疑問が二つ生まれる事となる。
一つ目は、俺への疑問だ。
梵が宴を好まないことは百も承知だが、どうにも誘いたくなってしまう。これは何故か。宴好きとしての意地なのか、或いは何か別の要因があるのか。
嫌がる梵を半ば強引に言いくるめ、引き摺るように連れていく日もあった。何が俺をこうも突き動かすのか。
二つ目は、梵への疑問だ。
恐らく俺は、奴にとって随分な無体を働いているはずだ。何故、本気で抵抗しないのか。真剣に拒否されでもすれば、流石の俺も諦めがつくというもの。しかし今迄、困った素振りはあるものの、本気で嫌がっているようには見えなかった。
俺を恐れ、断ることを躊躇っているのか、はたまた、こちらも何か別の理由があるのか。
兎にも角にも、このままでは立ち行かない。
二つの疑問を早急に晴らすべく、俺は今宵も梵を宴へ誘うことにした。
いつもの様に古びた社をくぐり、梵が護っているという祠の方へ向かうと、小さな後ろ姿が見えた。
「…………。」
振り向き座間に見えた梵の顔には、蔭が落ちているようだった。
…まただ、この感覚。梵から目が離せない。
暫く横顔を眺めていると、ふとある事に気付く。
俺はこの憂いを孕んだ顔が気に入らないのだ。
いや、気に入らないと言うよりは、その顔にかかった暗雲を晴らしてやりたいと思っているのかもしれない。
それが、一つ目の疑問の答えなのだろう。
そう飲み込んだ時にはもう、梵の肩を掴んでいた。
「……今夜は、満月が綺麗だそうだ。二人で宴…月見でもしないか。」
梵は切れ長の目を見開き、驚いた様子を見せたが、直ぐに目を逸らして返答した。
「何だ、珍しい。今日はどんちゃん騒ぎではないのか…?」
「応、たまには水入らずで話すのも良いかと思ってな!」
「………また、いつもの時間でいいのか。」
この返答に、次は俺が驚いた。いつもの様に断られるかと思ったが、騒がしいのが嫌いな梵にとって、存外的を射た提案だったのやもしれない。
「そうだな。定刻になれば迎えに来よう。」
「……分かった。ここで待っている。」
──帰りの足取りは軽かった。
梵が俺の誘いに初めて応じてくれた。踊り出しそうな心持ちだった。俺は、開宴の定刻までまだかまだかと待っていた。
時が来て、梵を迎えに行くと、昼間より疲弊した様子の梵が居た。
「待たせたなあ、梵!」
「いや、私も今来たところだ。」
何かを噛み殺しているような梵の表情に、引っ掛かりを感じながらも、月のよく見える山の頂まで連れて行った。
「綺麗な月だなあ、梵。まるでたわわに実った果実のようだ。」
「……そうだな、美しい。」
「……。」
やはり心ここに在らずといった様子だ。
「二人きりの宴は初めてだな。」
「…………誘われた時は驚いた。」
「わっはっは!少しは気楽に話せるかと思ってな!」
「私と話すことなど無いだろうに。」
梵は俯きながらそう吐き捨てた。
梵の吐く言葉の裏には、いつもある念を感じる。
自責や、恐怖、焦燥などが折り混ぜられたような、複雑な念だった。
それがどうにも鼻につく。
「話したくなければ話さずとも良い。只、お前の隣に居るのは酔っ払いの鬼だ。何を話そうが話さまいが、明日には遠に忘れているだろうな。」
「……そうか。」
それから小一時間、月が見守る下で他愛の無い話をしていた。
俺が出来上がってきたころ、梵が訥々と言葉を漏らし始めた。
「どうして、……そう何度も私なんかと宴をしたがるんだ。」
「なに、寂しい鬼が、一人で杯を干したくないだけだ!」
「……お前には、私でなくとも沢山の仲間がいるだろう。」
梵の念が強くなった。頭が割れそうな程の思慮。
「そうだなあ。だが、俺たちは押し並べて、何時誰が欠けるか分からない世界にいる。だからこそ、一つ一つの出逢いを大切にしたいと思うのかもしれんなあ。」
梵の動きがはたりと止まった。
「…………今朝、古くからの知り合いが息を引き取った。」
「そうか。」
「もう数え切れない程の友人や知人を見送ってきた。」
「……。」
「時折恐ろしい考えが頭を過ぎる。私だけが取り残され、何時までも呪われたように、此の世界で生き続けるのではないかと…。そんな中、喪う痛みを受けいれ続けるくらいならば、初めから得るものなど無いほうがいい。七宝柑、お前とも……。」
初めて梵が心の内を晒した気がした。
その声は震え、霞のように消えかかっていたが、
「そうだなあ。遺された者は苦しいものだ。俺も若い頃は、よくそんな夢を見た。」
「……お前が…?」
「わっはっは!疑ったな!露骨な奴めえ!こう見えて若かりし頃は繊細だったんだぞお!」
「若い若いと…お前は今、
「歳か?大雑把にしか数えていないが、お前たちの基準で言うと…千は超えている筈だ!」
それを聞くや否や、梵は水を吹き出し、声を荒らげた。
「な…!?千…!?ふざけているのなら帰るぞ!」
「事実だ。確か五色米も同じくらいだったろう。後で聞くといい。」
はくはくと口を動かす梵だったが、またいつものように俯き、静かに続けた。
「なら、あとどのくらい生きることができる…?」
今度は少し怖々とした、遠慮がちな声だった。
「わっはっはっ!!甘く見るなよお!若い頃とは言ったが、俺もまだまだ現役だ!花筏は悠に超えてやろう!お前のような小僧に負ける訳にはいかんなあ!」
「……あの花筏と呼ばれていた方は、それほどの鶴寿なのか。」
「応、四千は下らないぞお!」
「四……本当にその計算は合っているのか?」
「こう見えて数字には強い!飽くまでも大雑把だがなあ!わっはっは!」
寸刻、梵の口元が綻んだ。
「……!」
月や星が、一層輝いて見えた。
唯の酒が、やけに美味く感じる。
「……?何だ、妙な顔をして。」
直ぐにまたいつもの仏頂面に戻ってしまったが、以来、その笑顔は俺の目に焼き付くこととなる。
俺はずっと、これが見たかったのだ。
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