乾杯

そうだ、神から何か手渡され、掴めと言われていたのだった。


がしっ


「!?」


気付けばその細い肩を両手で掴んでいた。


「俺は七宝柑だ!お前の名はなんと言う?」


「わ、私は、梵だが…。」


梵が、強ばった表情で応えた。肩に力が入り、緊張の念を感じる。怖がらせてしまっただろうか。しかしそんな後ろめたさとは裏腹に、視線も、掴んだ手も、離すことが出来なかった。


「五色米!!」


「どうした七宝柑、突然大声を出して。」


「今夜は宴だあ!!!」


お前は毎日が宴だろう、と笑う五色米。

宴と聞いて大はしゃぎする蒅。

初めて会った男に肩を掴まれ、青ざめる梵。


今宵は面白い七夕になりそうだ。



雲が紅く染まる黄昏時。

酒も、肴も、役者も揃った。

五色米と蒅はすでに呑んでいるのか、素面でもそうなのか、節操なく睦び合っている。

その横で梵は、深く溜息をついた。


「どうした、梵ぃ!溜息をつくと、一緒に魂まで飛んでいくぞお!」


「魂…!?幸せなら聞いたことがあるが…。」


「わっはっは!宴の席で幸せが飛ぶことがあるか!お前も存分に楽しんでいけ!」


「……。」


あまりこういった催しに慣れていないのか、乗り気では無い様子だった。まあ、宴が嫌いな者は居ない。そのうち慣れるだろう。


山の向こうで日が沈み、辺りは暗くなってきた。


ずっと居心地が悪そうにしていた梵が、頭上を見上げ、固く結んでいた口を開いた。


「…もう七月。山も夏めいているというのに、桜が咲いている。」


「嗚呼、ここは八仙角の長、花筏が治める山だからな。証樹あかしぎとして桜が植えられている。日が暮れても花灯りが綺麗でな。宴にもってこいだろう。」


「……そうなのか、不思議な山だ…。」


梵は、通った鼻筋で桜を仰ぎながら、長い髪を風に揺らした。乱れ舞う桜吹雪が良く似合う。


まただ、目が離せない。


「き…」


言いかけたその時、後ろから頭をひっぱたかれた。


「七宝柑。ここで宴を開く時は許可を取れと伝えたはずだ。」


恐ろしい形相で下から睨めつけるは花筏。

八仙角の長だ。


「応、花筏!今日は遠方に出ていると話に聞いていたんだがなあ!」


「今帰ったところだ。余所者を入れる時はもう少し慎重になれといつも言っているだろうが。」


「まあそう毛を立てるな。次は気を付ける。この二人を歓迎する祝宴だ。今日はお前の好きな桜酒も持ってきたぞ、共にどうだ。」


こんな事もあろうかと持ってきていた免罪符を片手に、花筏を宥める。ふん、と鼻を鳴らしながらも席に着く花筏。しめしめと盃を持たせ、酒を注いでやる。


「さて…花細しはなぐわ、夜桜の上に星合ほしあいの空。今宵は宴日和だ。皆、思う存分楽しむといい。」


「乾杯。」


花筏が乾杯の音頭を取り、宴が始まった。

造り話かと思うような、五色米と蒅の出逢いを聞いた後、酒が回りすぎたので、水を汲みに川へ向かった。


せせらぎが響く川の畔に、梵が座っているのを見つけ、声をかける。


「梵!こんな所に居たのか。見ないから長い厠にでも言っているのかと思ったぞ!わっはっは!」


「…あそこは、騒がしすぎる。桜も星も、眩しくて落ち着かない。」


「わはは!何だ、苺雲みたいな奴だな。」


「苺雲…?」


「ほら、あの木の影に居る鬼だ。八仙角の一人だぞ。」


静かに潜んでいる苺雲の方を指さし、紹介した。


「うわあ!いつの間に…!い、何時から居たんだ!?」


「……………………初めから。」


苺雲はぽつりと呟くと、姿を消した。


「まあ、ああいう奴だ。気が合うんじゃあないか?」


「一緒にするな!……私はただ、静かで落ち着いたところが好きなだけだ。ここは煌びやかな桜も少ないし、騒ぐ奴もいない。星雲がよく見える。」


「……星雲がよく見える、か。確かに、七夕である今日の主役は彼奴らよなあ!どんちゃん騒ぎもいいが、お前の言うように、静かにあれを愛でるのもまた一興だ!新しい宴の形を知った!梵、お前には宴の才能があるぞ!」


「そんな才能、あってたまるか!」


談笑していると、川に幾つかの波紋が広がった。鼻に冷たい水が落ちる。


「…!そう言えば、五色米が今宵は洒涙雨だと言っていたなあ。」


「そうなのか?確かに、蒅も今日は良い雨が降りそうだと言っていたな。


……まずい。蒅が『良い雨』と言う雨は…。」


一気に梵の顔色が悪くなる。


「早く室内へ…」


梵がそう言い終わる前に、目の前は滝のような雨で埋め尽くされていた。


その後、宴は果て、泊まると言って聞かない蒅を、梵が引きずって帰って行った。

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