#04 決定権
「おばあちゃん、楽器の本借りていい〜?」
その日の放課後、花音はいつものようにキタガミ楽器店に寄った。
いつもだったら居間か縁側に居座るのだが、今日は真っ先に売り場の方に向かった。
台所に居るおばあちゃんからすぐ『ええよー』と返ってきて、花音にショーウィンドウケースへと手を伸ばす。
この店でおそらくだが一番大きい『楽器百科図鑑』は、両手で持ってもよろけそうになるくらいの重量を感じた。
花音はなんとか居間まで運ぶと、畳の上に直接『ドン!』と音を立てて置き、ページを開いた。
「……ユー、ユー…」
図鑑はかなり年季が入っていて黄ばんでおり、手入れが行き届いていないのか、非常に埃っぽい。
花音はハウスダストアレルギーを持っている。ページを捲るたびに埃が舞うせいで、ずっと鼻がムズムズしていた。
「あっ、あった!」
かなり後ろの方のページに、目的の写真は載ってあった。花音は写真の下の楽器説明の欄に目を通す。
「ユーフォニアム!」
【♪♪♪】
『篠宮さん、ユーフォしない?』
『……へ?』
今から数時間前、無事に(?)新役職発表が終わると、宣言通り花音は吹雪に別室に呼ばれた。
吹雪はそこで開口一番、謎の単語を口にした。
『ユー…?』
『あ、UFOじゃないよ?w「ユーフォニアム」っていう楽器。知らない?』
『そっ、そのくらい知ってますよっ!』
吹雪の少々下に見たような言い方に、花音は珍しく強い口調で突っぱねた。
楽器図鑑を何時間もじっと眺めているような幼少期を過ごしてきた花音は、内心では「音楽の知識だけなら誰にも負けないし」と自負していた(本当にそうなのかは不明)。
だから今のように、あたかも音楽初心者かのような扱いを受けると、花音はついムッとしてしまうというか、どうも腑に落ちない気分になるのだ。
しかし吹雪はそんな花音を見ても全く動揺せず、むしろ、「じゃ、話は早いね」と誇らしげな笑みを浮かべ、
『十二月にアンコンがあるじゃない?それに向けての練習をもうじき始めようと思ってて。でもチームを作る段階で問題が起こったのよ』
『問題?』
『初めは、金管パート全員で金管六重奏を組もうと考えてたの。でも…』
「六重奏」は数字通り「六人で演奏する」こと。花音たち金管パートは全六人いるから、全員で一つの曲を吹くと、それは「六重奏」になる。
『それだと、ホルンが中野さんと篠宮さんの二人になって、ちょっとね…多いのよ。金六って大概、ホルンとユーフォ一本ずつだし』
現在の金管パートはトランペット二人、ホルン二人、トロンボーン一人、チューバ一人だ。
そうなると、ホルンのどちちかがユーフォニアムに移動するのが一番ベストなのだ。
『だから、わたしをユーフォに……ってことですか?』
自分でも驚くくらい、花音の理解は早かった。
ホルンパートの美鈴と花音、どちらを移動させるかという問題なのだろうが、それならば花音を選んだ方が無難だろう。
美鈴は花音よりも断然上手く、尚且つ部内でも上位に君臨する程度の実力者だ。指導者からすれば、より良い人材をそのパートに留まらせておきたいと考えるのは、至極当然である。
『そうよ、うちにはユーフォ担当の子がいないからね』
『そもそもうちの学校、ユーフォなんてあったんですね…』
花音はスッカスカで建付けが悪い楽器置き場を見渡す。「いや流石にあるわよ!」と吹雪はキレ気味にツッコんだ。
『……ま、まぁでももしあなたが、どうしてもホルンで大会出たいって言うなら、その手もある。でもそれだと、あなたは金六から外れることになる』
『というの、は…』
『木打七重奏の方に入って貰うことになるのよ』
「木打七重奏」とは先程と同じく、木管楽器と打楽器を組み合わせた七人の演奏だ。
『ホルンは金管の中で一番、木管に近い音色を持つ楽器なのよ。ほら、木管五重奏とかだと、ホルンは木管扱いになってるし』
「木管五重奏」とは、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットで構成される、割と有名どころの編成だ。
ホルンは金管楽器の分類ながら、その柔らかみのある音色から、木管楽器との中間的な立ち位置にあるらしく、木管だけの編成にホルンが飛び込むことも決して珍しくはないらしい。
ただ少なくとも花音は、ホルンを木管っぽいと感じたことは一度もない。あの突き抜ける感じの響きは、完全に金管だろうと思っていた。
ホルン担当になった頃から、その辺りは謎に思っていたのだが、まさかここに来てその話題が浮き彫りになるとは。
『だからつまり、あなたがユーフォとして出るなら予定通りにそのまま金管のチームに入ることになるし、ホルンとして出るなら木管のチームに入ってもらうことになる』
『……なるほどです』
『理解が早くて助かるわ。どっちに転がってもいいように楽譜は用意してあるし、後はあなた次第ね』
吹雪は腕を組むと、考え込むように俯いた花音に向けて、挑発するように笑いかけた。
『別に今すぐ結論出す必要はないけれど、先生は本当にどっちでもいいって思ってるから、あなたが決めて。ユーフォに移動するのか、ホルンのままでいるのか』
【♪♪♪】
「……って言われても、なぁ…」
花音は畳の上に寝転がって、ユーフォニアムのページをぼんやりと眺める。
「お前、楽器移るんだって?」
そんな花音を上から覗き込んだのは、吹奏楽部でチューバを担当する響介だった。
「うん…え、もうそんな広まってるんだ」
「中野先輩が今日、お前がユ…ユニフォーム?みたいな名前の楽器に移るって、パートの奴らに言い回ってたぞ」
「……ユーフォニアムね」
「あ?ユーフォネルラ?」
「………」
響介は『キタガミ楽器屋』の店長である祖母・キタガミおばあちゃんに育てられ、実際本人も楽器屋に住んでいる。
そうなると、幼少の頃から必然的に楽器やらに囲まれて生活することになり、見事に音楽のエキスパートとして育ちそうなものなのだが…響介は、音楽の『お』の字もないような少年だ。
入部したころ、花音はひどく驚いた。響介はまさかのヘ音記号どころか、ト音記号の楽譜さえろくに読めなかったのだ。
幸い要領は良いため、先輩に教えられるとすぐに難なく読めるようになっていたが、おばあちゃんが聞けば卒倒しそうな話である。
ていうか昔、あんなに『楽譜書き写し対決』や『楽器の名前早言い対決』で盛り上がったではないか。その記憶は一体、どこに消えたというのだろう。
「うわ、チューバみてぇ」
響介は花音が開いた図鑑の写真を見て、そうぽつりとぼやいた。
ユーフォニアムとは金管楽器の一種で、先端にマウスピースをつけて、唇を震わせて音を出す。
響介の言うとおり、見た目は完全にチューバを小さくさせたもので、温かくて柔らかい音色が特徴の中低音楽器だ。
「てことは俺、お前と練習する時間増えるってこと?いやーそれは勘弁…」
響介がわざとらしく顔を顰めたので、花音はちょっとイラッときて睨み返す。
「それはこっちのセリフですよっ!…ていうか、まだ移動するって決めたわけじゃないし」
「まぁ、ホルンで出れるならその方がいいんじゃね?なんかコンクールのとき、『わたしもっとホルン上手くなるっ!』とか誓ってたし」
『』の部分だけわざとらしく声が高かったのをツッコもうと思ったが、そこに構っている気にもなれなかったので辞めた。
「いや、でも…それは…」
「何だよ、ユーなんたら吹きたいのかよ」
「いやっ、その…楽器の問題じゃないっていうか…」
花音は『うーん』と唸りながら、体操座りの中に頭を入れて蹲る。その声が段々『ゔーん!』と激しいものになっていき、しまいには足をバタバタさせ、全身で迷いを表現した。
「何迷ってんのか知らんけど、はよ決めろよ。チーム決まんねぇと俺らも困るし」
「うん…」
響介は興味を失ったように図鑑を花音に投げ渡すと、居間のテレビをつけた。
そんな事をダラダラと考え込んでいたら、急に猛烈な眠気が襲ってきて、瞼が重くなった。
今日は色々とあって特に疲労が溜まっていたのだろう。花音はそのまま目を閉じて意識を手放そうとしたが、直前に響介に言わなければならないことを思い出し、
「あの…北上くん…」
すぐ近くで、響介が『あ?』とダルそうに振り返る気配がした。
「教室ではあんま話しかけんとって…」
「え?」
人ん家の畳の上で気持ちよさそうに眠る花音を見ながら、響介は首を傾げた。
「……なんで?」
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