#03 新体制

「……あ、あの…」


 混乱する頭の中でなんとか出した一声は、あまりにも震え過ぎていた。

 

「そ、それだけは勘弁してくださいっ!」


 花音は勢いよく頭を下げる。今にも前転しそうなその角度に、吹雪は『え?』と困惑した表情を見せた。


「わっ、わたし確かに下手くそですけど、でも、ちゃんと死ぬ気で練習しますから!だからどうかクビだけは―――クビだけは辞めてくださ…」


 必死になってめちゃめちゃに懇願する花音に、吹雪は仰天したように目を張る。


「ク、クビ?!ちょっと、何の話して――」


「やっほーみんな久しぶりー!」


 そこで、タイミング悪く来客者が乱入してきた。いつもの如くハイテンションな副顧問・浅原あさはら詩歩しほだ。


 美術部の正顧問もしている詩歩は、そちらの方が忙しいらしく、同じく吹奏楽部の副顧問・森岡絃子もりおかいとこに比べると、練習を観に来る回数が少ない。


 そのため、久方ぶりに音楽室を覗けることに、多大なる喜びを感じている様子だった。


「ちょ、ちょっとあなた誤解してるみたいだから、後でまた来て」


 花音はわけもわからないまま、吹雪に半ば無理やり押し戻された。

 

 一体何がどうなっているのだろう。花音は首をひねりながら、みんなと同じように席に着く。


「あ、クビにされた人」


 するとひとつ後ろの席から、なんとも楽しそうな―――失礼、たのしそうな声が聞こえてきた。


 微妙に聞き慣れないその声に、花音は即座に振り返る。その瞬間、ズイっと四角い物体を差し出され、目の前が真っ暗になる。


 それはデジタルカメラだった。ゆっくりとズームインすると、フレームの中の被写体が見えた。


 画面に映っていたのは、ついさっき部員全員の面前で行われた、花音がクビ宣言(未遂)を受けている最中の写真だった。


「この挙動不審っぷり、よく撮れてるでしょ!」


 カメラの端からひょこっと顔を出し、ニヤニヤと悪そうな笑みを浮かべるのは、フルートパートの同級生・桜庭さくらば響希ひびきだ。


『あ、新キャラ登場?』と思ったそこのあなた!実はこの子、第六楽章の合奏シーンで、不機嫌モードの吹雪先生にキレられてたシンバルちゃry


 あ、これは、確かにめちゃくちゃキョドってるね―――花音は一瞬だけ納得しかけたが、『いやいやいや』とすぐに我に返る。


「えっ、ちょっと、勝手に…」


「『勝手に』とは失礼なっ!管楽器と打楽器の掛け持ちで有名な桜庭響希、吹奏楽部の立派なとしての名を――――」


写真係、ね」


 別の、高くて耳にキンと響く声がした。まるでアニメのキャラのような、日常で聞くには微かに違和感のある声だ。


 響希の隣の座り、呆れたような顔をしているのは、同じくフルートパートの一年生・仲谷なかたに明音あかねだ。


 ショートヘアで、声優のように可愛い声を持つ明音は、花音のクラスメイトだ。しかし、こちらも響希同様、あまり花音と接点は無い。 

 

 ちなみに、こっちはしょっちゅうパーカッションパートに移動させられる相方と違い、ずっとフルートの席から離れていない。


「常にカメラ持ち歩いてるからって、吹部にそんな係ありませんから」


「えー?フォルダに部活の写真、もう100枚近くあるんだけど」


「びーちゃん、それ全部無許可でしょ」


「ま、いいや。とにかく、いい被写体になってくれてありがとねっ!」


 響希は撮れたてほやほやの写真を眺めながら、ひどくご満悦な様子でニヒヒヒと笑った。


「えっちょ、ま、待って、それ保存するんですか?!」


 花音は顔を真っ青にしながら響希に詰め寄ると、響希は悪気一つなさそうに『うん』と頷いた。外ハネの毛先がぴょんと跳ねる。


「部活で撮った写真は全部、ここに保存してるから」


 と、響希はメニュー画面を開く。『吹奏楽部』というフォルダを開くと、そこには見慣れた音楽室を背景にした、部員の写真が大量に保存されていた。


 別に、日々の練習風景を撮影するのは、ごく自然なことなのだが……いや、むしろそういう点では、響希の撮ったという写真はどれも異質なものばかりだ。


 祐揮がよだれを垂らして居眠りしている写真とか、いつもしっかりしている夏琴が、楽器ケースに躓きかけた写真とか、いつも無表情の里律が、合奏で褒められてつい頬を緩めている写真とか―――


「この子、ちょっと悪趣味だから」


 明音が相方を指さしながら苦笑いする。諦めかけているその笑みからは、日中の多大なる気苦労が窺えた。


 いや、これはもう『ちょっと』のレベルを越えているような、と花音は内心思う。


 なんか、変な子…っていうか、結構ヤバい子に目をつけられてしまったらしい。花音は明音から送られる慈悲的な視線を肌で感じながら、この先が思いやられた。


 そんなこんなで、詩歩に続いて絃子と、三人目の副顧問・横山、それに先週引退した三年生の二人まで、続々と音楽室にやってきた。


「はーい、じゃあミーティングを始めます。」


 顧問勢が全員揃ったため、絃子が『パンパン』と手拍子を鳴らす。間もなく音楽室は静まった。 


 入部して半年経って分かったことだが、ミーティングの司会進行は大抵、正顧問の吹雪ではなく絃子が行うことが多い。


「先週の文化祭で、これまでみんなを支えてくれていた三年生が引退しましたね。これからは皆さんが部活を引っ張っていく側になります。というわけで、先生たちと三年生の先輩で話し合って、新しいみんなの役職を決めました。今日は三年生の方からそれを発表してもらいます」


 吹奏楽部の役職といえば、部長、副部長、各セクションリーダー、あとはコンミス、くらいだ。


 大抵が最上級生に該当する役職で、一年生は学年リーダーが一名選出されるくらいだから、比較的気楽に聞いていられる。


 一方の二年生は、少なからず皆、どこか緊張した面持ちだった。


「じゃあ、ドラムロールおねがーい!」


 謎に沙楽が楽器庫に通じる扉を開けると、スネアドラムとクラッシュシンバルを持ったパーカッションメンバーが続々と入ってきた。


「まず、新しい部長から発表しまーす!呼ばれた人は前に出てきてくださーい」


 引退してもなお全く変わっていない明るい声音で、沙楽はパーカッション隊と目を合わせる。


 先程、楽器庫でドラムロールを何回も合わせてたのは、このためだったのか。花音は納得した。


 スネアドラム担当の同級生・岩河いわかわ水琴みことが、ドルルルルル…と叩いてロールを鳴らす。


 いい感じのタイミングで、水琴はシンバル担当の二年生・石井優歌いしいゆうかに合図を送る。


 優歌は勢いよく腕を広げ、パァァァァンと張りの強い音を鳴らした。


 残響が完全に消えると、沙楽は間髪入れずに言った。


「部長は、初音はつねちゃんです!」


「……ひゃぃっ?!」


 妙に引っくり返った、小動物のような声が、静まり返った音楽室に小さく響いた。


 途端、部員たちのほとんどが目を張り、一斉に該当する人物の方を向いた。


 一番隅の席で、他の部員の背に隠れるように座っていたフルートパートの二年生・坂下さかした初音は、どうやら自分が呼ばれるとは微塵も思っていなかったようで、目をまん丸くさせている。


「初音、前出なよ!」


 ひとつ前の席に座っていた二年生・中野美鈴が、固まったままの初音の机を叩く。


「え…でっ、でも…」


「いいからっ!ほら…」


「えっ、ちょ…」


 初音は助けを求めるような目で友人の顔を見るも、美鈴はそんな初音の腕を引っ張り、半ば無理やり立ち上がらせた。


「……あっ、つ、次は副部長を発表しまーす!」


 すぐ隣で、ライオンに睨まれたハムスターのように縮こまっている後輩をちらちら見ながら、沙楽は無理やり司会を進める。


 再び、ドラムロールが鳴り響く。


「副部長は、です!」


 その瞬間、今度は即座にガタッと音が聞こえ、背の高い男子が立ち上がる。


 サックスパートの二年生、数少ない男子部員である渡部奏多わたべそうたは、キリッとした表情で前に立った。


「おお、堂々としてるねぇ!流石、期待のバリトン吹き!」


「それ、違います」


 途端、その場にいたほとんどの面々(特に一年生)が、漫画だと頭上に『?』がつきそうな勢いで呆然とした。


 やばい、と沙楽は顔を顰めるも、時既に遅しだった。


「『バリトン』というと、1843年頃にベルギーの管楽器製作者アドルフ・サックスによって考案され、その全てに3つ以上のピストン式の弁(バルブ)が持たされた、ユーフォニアムと同属の中低音楽器、サクソルン属の金管楽器のことを指し、正式には『バリトン・ホーン』『バリトン・ホルン』とも言います。ですが僕が吹いてるのは、バリトン・サクソフォーン、確かにほとんどのサクソフォーンは真鍮で作られててはいますが、金管楽器のようにマウスピース(英語版)のカップの中で唇を振動させるのではなく、リード(伝統的には木質のダンチクで作られている)を振動させて音を出し、調性は変ホ調で、実音は記譜より1オクターヴと長6度低く、吹奏楽ではサクソフォーンおよび木管セクションのバス声部を担当するほか、ビッグバンドにおいても低声部を担当する、正真正銘の木管低音楽器です!勘違いされたらどうす…」


「はいはい分かった分かった!ごめん、『バリトン』じゃなくて『バリサク』って言えばよかったね!」


「いや!そもそも楽器名を略す行為自体、好ましくなく…」


「今はそこまでにしとこう!一年生みんなポカーンってしてるから!話なら後で聞くから」


 新副部長によるウィキペディアも号泣レベルの演説は、元副部長の一声によって遮られた。


 二年生が特に表情を崩していないところを見るに、どうやら彼は普段からこんな感じらしい。


「……あ、えーっと、とっ、という訳で今日からこの二人に、吹奏楽部を引っ張ってもらいまーす!」


 流石の沙楽でも苦しくなってきたのか、声が変に上ずっている。マドンナが笑顔で呼びかけてもなお、一同は静まり返ったままだ。


「あっ、ほらっ、みんな、拍手〜…」


 なんとか場を盛り上げようと、沙楽は独りでに手を叩く。それに続いて数人がおもむろに手を叩き、ようやく音楽室は拍手の音で包まれた。 


『歩く楽器百科図鑑』こと新副部長は誇らしげに胸を張る。その隣で、新部長は今にも泣き出しそうな顔をして震えていた。


 誰も、明確な異論は口にしないが、音楽室は過去一微妙な空気に包まれた。


「ねぇ、タッキーって誰?」


 興味なさげに頬杖をついていた響希が、気の抜けた声で明音にそう聞いた。


 明音は『はぁ…』と疲れた様子で息を吐く。


「渡部先輩のあだ名」


 

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