第八楽章 「アンサンブルコンテスト」

一年目 十月

#01 午後四時

【2020年10月13日】


「やっべー俺、昨日一時間しか寝てねーわw」


「お前その『寝てない自慢』やめろ?マジでダルいから」 


 大抵の中学校がそうであるように、ここ若の宮中学校でも、休み時間は常に騒がしい。


 ほら見てご覧、さっき授業中にウトウトしていて先生に注意を受けた男子達も、今はあんなに楽しそうに騒いでいる。

 

(あああっ…座れないよぉぉぉぉ)


 ……花音かのんの席を、占領しながら。


『あの大人しい子?』

『あぁ、なんかいつも隅にいる人?』

『あんま喋らない人でしょ?』


 大概のクラスメイトからそう称されがちな中学一年生・篠宮しのみや花音は、今日一番のピンチを迎えていた。


『全国のたちが、学校生活で困ることランキングトップ10』には確実に入るであろう―――


『陽キャに自分の席が占領されてて座れない』問題。


 その問題の予防策として、花音は席を外れるときは決まって、椅子に筆箱を置いていた。


 そうすれば、流石の陽キャたちも『あ、ここ座らない方が良いのかな』と遠慮しがちだからだ。


 しかし今日に限ってそれを忘れていたのだ。


 あぁ、つい数分前の自分に『席取られるよ!』と強めに警告したい……花音は愕然とした。

 

 自分の席に座っているときが一番落ち着ける花音にとって、このように意味もなく立ち尽くす時間など、苦痛以外の何者でもないのだ。


 気まずいぃぃぃぃぃ、と花音は心の中でひたすら悲鳴を上げる。


 あぁ、早くどいてくれないかな。花音はじゃれ合っている彼らに対してそんな視線を送るも、彼らが動く気配は全く無い。


『クラスで一番やかましい』と言われている男子たちは、他所に脇目もふらず、もう完全に自分たちの世界に入り込んでいる。

 

 その少し後ろでは、両手に次の授業の教材を抱えた花音が、オロオロと様子を伺っているというのに、それに気が付きもしない。


『え?普通に「どけて」って言えばいいじゃん』と端から見れば言われそうなのだが―――いや、実際その通りなのだが―――


 それが簡単に出来たら、花音はそもそも陰キャラなんてやっていない。


 第一、花音が今の彼らに話しかけたとしても無駄だ。なぜなら存在を認識してもらうための声量が、圧倒的に不足しているからである。


 きっと普通に声を掛けても聞こえないだろうし、仮に誰かが気付いてくれたとしても素知らぬふりをされるかもしれない。

 

 ちら、と花音は横目で時計を見る。次の授業が始まるまで、後三分。


 どうしよう、流石にそろそろ座らないとマズイ。花音は焦りのあまり、ついに口を開いた。


「あっ、あの…」


 あの、すみません、座ってもいいですか―――花音が意を決してそう言おうとした、そのとき…


「おい、お前らさぁ」


 スッ、と、花音の隣に人影が挿し込む。


 彼がそう言った瞬間、あれほど騒いでいた男子たちは、信じられないほど秒で静まった。


「座れないって」


『コレ』、と、花音をまるで物のように指差したのは、花音の幼馴染兼、同じ吹奏楽部の北上きたがみ響介きょうすけだった。


 え?と、花音は拍子抜ける。


「え、あ…」


 男子たちの視線が一斉に花音に向けられる。どうやら彼らは、本当に花音の存在ひとつ気が付かなかったようで、揃いも揃ってポカンとしている。


『あ、居たんだ』と、誰かの悪気なさそうに呟いた声が、花音の耳にもしっかりと入ってきた。 


「あー、ごめんごめん…ってかさ北上さぁ!お前―――」


 男子たちは響介の肩を組むと、花音の席付近からぞろぞろと離れていった。


 あぁ、良かった―――と、花音がほっと息をつけたのも、束の間だった。


「影薄っ」


 花音の耳元でそう呟いたかと思いきや、やたらと意地汚い笑みを花音に見せ、響介は男子たちの輪の中に入っていった。


 助けてくれたんだ、ありがとう―――花音の中にあった謝礼の気持ちが、その瞬間にすべて抜け落ちた。


 ―――あっそ!影が薄い、ぼっち陰キャで悪かったですね!


 花音はそんな怨念込めた睨みを響介に送ると、机から引いたままになっていた椅子に座った。


 しかし一旦冷静になってみて、彼に教室で声を掛けられたことなんて初めての出来事だと、花音は気づいた。


 響介と花音は、幼馴染&部活仲間という、割と親密な関係性であるのにも関わらず、教室では赤の他人レベルで関わらないからだ。


 異性で、いつも一緒に行動している人達も違うのだから、当然といえば当然なのだが。


 しかし、花音の方はそこそこ意識して、響介とはあまり関わらないようにしていた。言葉を交わすとしても、最低限のことだけと決めていた。


 無論、響介のことが嫌いだから、関わりたくないからそのような対処を取っている訳では無い。なぜかというと―――


「ねぇねぇ、今の見た?」


 すぐ後ろの席に座る女子二人組が、コソコソと顔を見合わせ、花音に対して好奇の視線を送っている。


 花音はそれに気がつき、しまった、と思った。が、時既に遅かった。


「やっぱり篠宮さんと北上くんって、んじゃないの?」


 ヒソヒソ声の中に混じって聞こえたその単語に、花音は顔を顰めた。うわ、まただ。


『ツキアッテル』だとか、『カレカノ』だとか、『アノフタリデキテル』だとか。中学生になってから、やたらと耳にするようになったワードだ。


「だってあの二人、小学校からの幼馴染らしいし」


「えー…でも幼馴染ってだけでしょ?明らかに…ねぇ?」


 花音に聞こえてないと思っているのか、はたまた聞こえていても良いと思っているのか、とにかく彼女らは言いたい放題だった。


 花音はよく分からないが、どうも女子たちが言うには、響介は所謂『イケメン』らしい。


 ただこれまでは『ヤンキー』というマイナス要素があり、どうしても『怖い』という印象が先走ってしまっていたようで、女子達が思う『学校でモテる男子』に響介が加わることはなかった。


 しかし、ちゃんと朝から登校するようになり、授業中に教師に大声で反抗することも無くなった響介は、段々と周囲の目に好意的に映るようになった。


 体育祭のクラスリレーでアンカーを努め、みごと我が一年一組をビリから優勝へと導いたのが決め手となり、響介は一気に女子たちからの人気を獲得したのだ。


 それだけならごく自然なことだし、花音に直接関係する出来事でもない。しかし…

 

「篠宮さんも大変だねー」


「まぁ北上くんモテるし、仕方ないよ」


 あの大変だねー、って言ってくれますけど、今の状況が既に大変なんですけど―――花音は心の中でそう言ったが、直接口にはしなかった。

 

 こんな状況になるのを避けるために、花音はわざわざ意識して響介のことを避けていたのだ。


 半年間の努力がすべて無になった瞬間に、花音は愕然と肩を落とした。


 あぁもう、席はとられるし、馬鹿にされるし、噂されるし、散々だ。花音は深くため息をついた。


 やっぱり学校なんか嫌いだ。早く授業が終わって―――午後四時に、ならないだろうか。


 そう、日が暮れ始め、小学生ならば下校する時間帯。あの時計の針が、4と12を回ってくれれば、花音は――――

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