第8話 本音

「おはよう」

 翌朝、想思郎は桜に対して顔をろくに見ずに挨拶をした。

 見なかったのではなく、見ることができなかった。顔を見ると心が破裂しそうな気さえしていた。

「おはよう、ございます。……どうか、しましたか?」

 桜は、様子のおかしい想思郎を怪訝そうに見ながら挨拶を返した。

「いや……、なんでもない……かな?」

「聞かれても困ります」

 そう言われて、だよね、と呟いた想思郎の胸中は、今すぐこの感情を言葉にして解き放ちたいと考えていた。

 しかし、そういう話は土曜にしようと自分自身で言った手前、そういうわけにもいかなかった。さらに言えば、幼少期から好いていると言った桜もこの気持ちにあるのではないかと思っていた。一方で、それならどうしてこんなにも冷静でいられるのか、もしたその気持は薄れたのかという疑問が頭をよぎり、下手に聞くことを恐れていた。

「ああー……。昨日さ…………」

「なんです……?」

「いや……。やっぱり、なんでも…………」

 想思郎は、変な緊張で雑談の話題も口に出せなくなっている。

「あの、土曜日なんですけど」

 話を始められない想思郎を見かねて、今度は桜が話を繰り出した。

「一日遊びませんか?十時くらいに待ち合わせで……。……あ、一日って言っても夕飯時には帰りますよ。なんだか話をする予定だけだと、事務的な感じで嫌だなあ……って」

 桜はそう言い、さらに「だめですか?」と付け加えて想思郎を見つめた。

「い、いいよ?」

 と、言いつつそんの表情を見続けることができず、更に顔をそらす。

「よかったです。では、藤井さんがいつも電車に乗る駅のホームで待ってますね。行き先は任せてください。勉強とかで忙しいから……、断られるかなとか、思っていたので」

「あ、勉強は、受験生っていっても、まだ4月だから……。そこまで毎日詰めるほどでは。え、電車でどこか行くの?」

 相手の事情を気にしていたのか、そう聞いた桜はほっとした様子を見せ、表情を緩めた。

「ええ、まあ。でも……、詳しくは秘密です。あと、もう無いとは思いますけど……。今度はちゃんと来てくださいね。なんとなく、もうその心配は、しなくても良さそうだって、伝わってますけど」

 想思郎は、一体何を持って伝わるのかと怪訝な表情をした。

「あ、だめですよ……。思ったことは口で言われたほうが、いいですよ」

「え、あ……。そうなんだけど、これは言えない、かな」

 想思郎はそう言うと更に目をそらし車窓へと視線をやった。

(さすがに、俺の想いが伝わってるのかなあ、とか思ったと、口にはできないな)

 なんとなく、顔が熱いと思いつつ、そのまま駅につくまで、流れる景色をぼうっと見ていた。


 それから、特に大きな変化はなく土曜日を迎えた。今回は想思郎も、約束を破ることなく行くつもりをしている。

「桜ちゃんとデート?結局いい感じになってるの?」

 支度をしている想思郎に綾音が冗談めかして聞いてきた。

「いや……、そういうわけじゃないんだけど。話をしに行くというか、……どちらかというと意見のぶつけ合いみたいになると思ってる」

 そう言ったところで、桜の言っていたことを思い出した。

「あれ……?でも遊びに行くと言ってたような気もするわ。しかも電車使って、午前中から夕方まで……」

「絶対話するだけじゃないでしょそれ!どこ行くの?」

「任せてって言ってた気がする……。少なくとも何も聞いてないから、俺は知らないんだ」

 綾音はふーんと相槌を打ち、少し考えこんだ。その様子を気にした想思郎は話しかけたが、気にしないでと綾音はかえした。

「想像のつくことはあるんだけど、だとしたら言わないほうがいいかなと思って。そう言うとかえって気になるだろうけど、本当気にしないで。ま、1つだけ言えるのは身構えずに好きなこと遊べるラッキー、くらいに思っておけばいいと思うよ」

「そうは言うけど、悪印象与えたままだし……」

「だから身構えなさんなって。ほら、そろそろ出ないといけないんじゃない?」

 時計を確認すると、その針は九時四十分を示しており、想思郎は慌てて家を出た。


 ホームとは言われたものも、どちら向きのホームで待てばいいのかと思いつつ向かった想思郎だったが、その懸念は杞憂に終わった。改札を通るとすでに桜が居たからだ。

「おはようございます。ちょっと遠出するんですけど、大丈夫ですか?」

「おはよう。大丈夫って、なにが……?」

「…………財布の中身、とか……?いえ、何でもないです」

 そもそも最初から一日遊ぶと言っていたので、時間は問題ないだろうし、そう言っていたのにお金も持たずに出てくることはまずないだろう。自分で聞いておきながら、意味のない質問をしてしまったと桜は思った。

「なんだか、先週と全然違う服装だね」

 先週の桜は、インフォーマルなワンピースにヒールを履いていた。一方今日は、上からレース状のスカートを履いてこそいるものも、その下はジーンズ、上はTシャツにシャツを羽織って、靴はスニーカーだ。

「……どこいくの今日」

 想思郎は、その姿からある程度動くことが想像できたので、気になって聞いてみるも、まだ秘密だという。

「藤井さんが、革靴とか履いてなくて良かったです。歩くので」

「そ、そうか……」

「あ、電車が来ましたよ。とりあえず終点まで乗ります」

 そういって乗り込んだ車両は、幸いにも椅子が空いており、二人共腰掛けたところで想思郎は気になっていることを聞いてみることにした。

「今日って、何目的なの……、話は?」

「話は……。とりあえずいいじゃないですか、後でも。目的とかは特にないですよ。遊びに行きたかっただけですから、強いて言えば、一緒に出かける事自体が目的ですかね?」

 そう言われて、想思郎は言葉に詰まる。確かに遊びに行くと言っていたが、本当にそれが主目的だと思ってはいなかったからだ。それじゃあまるで――。

「まぁ、そうですね、デートと思ったら楽しめますか?私のこと、好きなんですよね」

「デート……」

 まさか綾音の冗談がそのまま本当になったと驚き、反芻するようにその単語を呟いた。目線を天井にやり、何かを考えるような素振りを見せる想思郎だった。しかし、何かを考えているわけではなく、ただ心の中で大きな音を鳴らすその言葉を、頭の中で何度もその言葉を呟いていた。

「でも、好きとかそういうのは、一旦なしで楽しく遊びましょう」

 そう言った桜に対して想思郎からの返答はない。それどころか反応もない。話を聞いていないのかとすら思える反応の無さだ。

「ねえ……、あの……。ねえ、聞いていますか?」

 相手の身体を揺すり更に問いかけるも、なお反応がない。桜は自分自身を意識してもらうためにあえて、その単語を口に出すことを心がけていた。

「効き過ぎも、問題あるかなあ…………」

 そう呟いた声もまた、想思郎の耳には入らなかった。

 そのまましばらく会話はないまま終点につき、さらに別の電車へ乗り継いだところで想思郎が話しかけた。

「島田さん、今日はとても喋るのがスムーズだね」

「そうですね、少し意識しています。でもたぶん、実践できるのは身内とあなた限定ですよ」

 いつもに比べてハキハキと話すことを心がけていた。とは言っても、無理をしているわけではなく、想思郎相手であれば言葉に詰まることが無くなってきていた。桜自身もその事に気づいており、1つは緊張がだいぶ無くなったということ。そして、御堂桜と同一人物であることを隠すことをやめたことで、幼少時と今の彼とを同一であると強く意識するようになったからだと、自己分析していた。

「俺は、小さい頃はそうだったらしい……。でも、長らくはほぼ思ったことを……、口に出していなかった……。そして今は、先週までの、島田さんと同じ……」

「分かりますよ。話す前に、内容を考え直しているのでしょう?」

 その話し方であった桜は、自身がどのようにしていたからということを話してみた。

「そう……、そうなんだけれど……。裏を返すと今の島田さんは、何も考えずに……、何もってことはないけれど。思いついたままに話している……、ということにならない?」

「えっ……」

 考えていなかった理由を言われ、桜は言葉に詰まった。自分は考え無しで話をしていると言われたのだ、ショックの1つも受けよう。

「ええと、それじゃあ前の方が良かったってこと……?」

 あの話し方では、周りから浮いていたというのにと思いながら言う。

 言われた想思郎は、いや……と呟くとそのまま考え込んでしまった。あれこれと考え、前と今を客観的に比べると、受ける印象や話しやすさなどは明らかに今の方が良いと結論づいた。ただそれは……。

「場合による、かな」

「場合?」

「うーん。場合というか……、過程というか……。その、口から出る言葉が、本音ならいいんじゃないか?」

 口からでまかせじゃなければ。嘘でなければ。すらすらと紡がれたその言葉の中身が、発した本人が真に思っていることであればなんの問題もない。そのように想思郎は考えた。

「それに、よく考えて出た言葉のほうが……、取り繕おうとしてるかもしれない。……嘘や隠し事とか」

「嘘付いてるんです?」

 桜は、真剣な表情で答えていた想思郎に対し、楽しそうに意地悪な質問で返した。

「…………俺が嘘ついてるってわけじゃないよ」

「ふふっ、分かってますよ」

 桜はこのやり取り自体にも楽しさを感じていた。

「……でも、本音の言葉と取り繕った言葉ですか。ちょっと納得です」

 何が納得なのかと聞いた想思郎だったが、電車は終点駅へ到着しており、気になりつつも先を歩く桜について行った。

 しばらく歩くとロープウェイが見えてきた。

「乗るの?」

「いえ、せっかくなので歩きましょう」

 歩き始めた坂道には、葉の混じった桜の木々が生えていた。

「知ってはいたけど……、来たのは初めてだなあ。本当に桜だらけ」

「奥に行くと見頃の木もあると思いますよ、行きましょう」

 歩きながら想思郎は先程のことについて聞いてみた。

「なぜ納得か。そうですね……、私がそうだったからでしょうか。嘘をついていたわけではないですよ?ただよく考えながら話していたから、思っていたことを結局口に出さなかったり、言い方を変えたりしながら話していました」

 本の少し前の自身や、今の想思郎の姿を思い浮かべながら桜は続ける。

 「内容こそ思ったことかもしれませんが、そうやって取り繕った結果、その言葉には感情が乗ってないと感じます。そういう点で本音ではないかもしれない。そう思ったんです」

「本音か……」

「藤井さんの場合は、今は一番本音が見えませんね。この前までの言葉にされていない方が、本音を感じ取れました」

 それは、表情のことを指していた。想思郎はそう言われたことで、今一番気持ちが伝わっていないと指摘されたような気がして、今日このままではまずいと思った。

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