第5話 恋々
帰宅した桜の怒りは納まっていなかった。これまで恋い焦がれてきた相手が、まさかあのような行動をとるなんて思いもしなかった。今朝までの高揚した気分を返してほしい。
(お父様に頼んだのが申し訳ない。たった5つの時の想いを叶えるために、無理を言ってお願いしたというのに)
確かに、隠していたのは悪かったし、分かっていてもう会えないなんて意地悪をしたのも自分だと、桜は認識している。だから別に嫌いになるほどではない。今日1回のことで消えるような想いであれば、そもそもこのような行動は取っていなかった。
勢いに任せて想思郎を突き放すように店を出たものも、決別したいわけではなくむしろ逆だ。それでもその思いは消えず、なんとか仲良くなりたいと桜は考えていた。
リビングに行き、両親に今日の晩ごはんはいらないと伝えた桜は、すぐ部屋へ戻った。
あんなに冷たくするつもりはなかった。そもそも桜は、約束どおりに来てくれていたら、あの告白のことは水に流してもよいと考えていた。
驚かせようと黙っていた私も悪かっただろうか。それと約束を守らなかったのは別だ。そんな想いが心の中をぐるぐるとまざりあい、水に流すはずだった事柄がとても許せないものだと思ってしまっていた。
それでも話していて楽しかった、やはり好きだ。
いろいろな考えで心が五月蝿くイライラとするために、それらを忘れようとすぐに眠った。
(――今は、何も考えたくない)
桜の父、綾音の上司である忠もまた怒っていた。可愛い娘の願いが叶えられなかったのだ、当然である。ただ、当事者でない彼は、一歩引いて冷静にもなれていた。願いは叶えてやろうとはしたものも、正直この一年、辛かった。日々綾音に会わせてやってくれと頼む日々がだ。
事情があり桜と一緒に生活していないことが、今は救いだと感じられる。もし目の前に悲しむ桜の姿があると、冷静では居られなかっただろう。とりあえずあいつに連絡しておこうかと想い、忠は電話を手に取った。
――――プルルルルル。
相手はすぐに出た。
「はいはいー、と。なんですか先輩」
「なんですかじゃないんだよ。なんでお前の弟は来なかったんだ」
スピーカーに切り替え、夕食の用意をしながら会話を続ける。独り身は辛い。
「あと一応俺は上司なんだから、もう少し言葉に気をつけろといつも言ってるだろう」
「いやあ、上司というより先輩って感じが抜けなくてですね……」
お互い、どうせ変わることはないと分かっていつつ毎度同じようなやり取りをしている。
「あ、ちょうど今弟が返ってきましたよ」
電話口に、そういった綾音の弟の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。しかしその応答が聞こえてこない、少し電話から遠くなった声が聞こえてくるが、何を言っているのか忠にははっきりと聞こえてこなかった。ただ、一方的に彼女の声だけが聞こえてくる。そして2分程たっただろうか。
「長かったな」
「あっ、すみません、電話代なら出しますよ」
「いらねぇよ。その代わり今度の呑みは割り勘だぞ」
抗議の声が聞こえてくるが忠はそれを無視した。
「お前と行くと酒代が異常なんだよ。まあそれはいい、弟はなにか言ってたか」
忠が本当に気になっているのは桜の様子だが、そっちは電話を掛けても出なかった。
「何も……。そもそも直前でやっぱりやめたいとか言っていたときから様子はおかしかったんですが、今帰ってきた弟は異常なくらい凹んでましたね。まぁ、どうせ話しても話さないので、一緒ですけど」
「普段から寡黙なのか、子供の頃はうるさいくらい喋っていただろう?」
忠がそういうと、綾音はどうにもすっきりしない相槌を返してくる。待っていると何か言おうとしたが結局言い淀んだ。
「何だお前まで。ハッキリ言えよ……」
「あ~……。なんかですね、幼い頃桜ちゃんに会ってしばらくしてたら、あんな感じになってましたね。いや、関係なかったらすみませんね」
そう聞いた忠は当時のことを思い返してみた。あれは桜の育ての親から2週間程預かったときだった。社会人3年目の彼には2週間も5才児を見ることなんかできず、かといって他に頼れる親戚もいなかった。なくなく少ない人付き合いである大学時代の後輩の綾音に頼んだら、親が見てくれると言ってきたから託したのだった。そういえばあれ以降桜は前よりも口数が増えたなと、忠は思った。昔のことを思い出し、亡くした妻を連想した忠は思わず涙しそうになったが、慌てて料理と電話に意識を戻す。
「関係あるかもな、桜もなんだよ。あれから口数が当時のあいつ自身と比べればやけに増えた」
逆だな、と二人は思った。
「しかし問題は、お前の弟が当時の事をあまり覚えてねぇとこだな。そこがあの二人をややこしくさせている気がする。そもそもあいつらお互い惚れてやがるのに……」
そういうと、綾音の驚く声が上がった。そして学校には好きな子は居るみたいだけど、付け加えてきた。
忠はその子が桜だと綾音に伝えておいた。彼は桜本人から聞いていたから分かっていたことだった。
「弟には言うなよ、お前から言って良いことじゃない」
「わかってますよ。――ったく、焦れったいわね……」
「そう言ってやるな。近々桜と話ししておくから。……まぁ、最悪この話は無しだ」
そういって忠は電話を切った。
「電話に、集中しすぎたようだな……」
眼の前の黒色をした塩麹焼きを見つめながら、忠は呟いた――。
(俺が悪かったのか?納得いかない)
想思郎は部屋で自問自答を繰り返していた。
確かに不誠実な告白をしたかもしれない。当日無断でサボったのも良くなかっただろう。しかし、果たして彼女は何も悪くなかったと言えるのか?と。
相手も悪ければそれらが正当化されるわけでもないが、少なくとも一方的に自分が悪いという状況からは免れられる。少なくとも対等であるだろうと想思郎は考えていた。対等であればなんだというのか――。
(まだ、諦めなくてもいいはずだ)
つまり想思郎は、彼女とまだ接点を保ちたいという思いを持っているようだ。綾音の持ってきた話がなければ、すべてなかった話のはずなのに。ただ登校時に一方的に惚れている相手をみるだけの日々が続いていたはずなのに。
とりあえずメッセージを送ることにした。画面を見ながら、そういえば自分から返信以外のメッセージを送るのはこれが初めてかもしれないと考えた、しかし生まれた疑問にそれは中断される。なぜ名前が異なるのか。そして改めて、なんでこんなマイナーなSNSなのかと。
いつでも切れるようにかもなと、ネガティブな事も考えてしまう。そこからまた自身の悪かったところへと思考が戻る。特に告白だ。正直にいえば一目惚れであるから容姿だ。しかしあのように言われてしまうと、それを理由には出せないということくらい想思郎にも分かった。きっかけとしては問題ないだろうが、それは相手に伝えるべき理由としては適切でない。
なんとメッセージを送るか、内容がなかなか決まらないが、とりあえずは謝罪しておくべきかと考えた想思郎は先に途中までメッセージを書いた。
soshiro.fuji:今日はすまなかった。本当は
「しまった」
途中までの内容で送ってしまい、慌てて消そうとした想思郎だったが、あいにくこのマイナーなSNSには送った内容を消す機能も、修正する機能もなかった。
それも『本当は』などと、かなり言い訳でも言い出しそうな言葉で終わってしまっている。本人にはそのつもりはなくとも、こことの奥底でそのつもりでないと出てこないような言葉だ。慌てた頭でその後の文面を考えようとするも、その状態では続く言葉も、ただ誤って途中で送ってしまったと追加で送るという考えも思いつかなかった。
あれこれと考えているうちに、想思郎は眠りに落ちてしまった。
翌朝、忘れるということはなかったが、頭が冴えたからと言って思いつくこともかなかった。朝食をとりながらも必死に考えているところへ、綾音が声を掛けた。
「想思郎、なんか唸ってるところ悪いんだけど」
想思郎は、なんだ、人が必死に考えているのにと想いつつ、綾音を見た。
「そう睨まないでよ、なんか考えてるのは分かってるけどさ。昨日なにかあったの?結局来ないままだったけどさ」
そう聞かれて言い淀む想思郎に、別来なかった理由とかは追求ないよと付け加えた。
「……会ったんだよあのあと。会ったというか、来たというか。相手は、最近よく話してた子だったんだ。…………あんまり驚いてないな?」
綾音は前日に聞いていたため驚いていなかった。それ自体に驚くことはなかったが、伝えぬようにと言われていたところを想思郎がすでに知っていたため、その返答に困っていた。
「まぁ、隠す必要もないか。言ってた上司に聞いていたんだよ。娘さんから聞いたって言ってた」
(だったら教えてくれよ……)
不満げな表情を見せつつ、口にはしない想思郎だったが、綾音にはその心の内は筒抜けだ。
「そんな不満な顔しないでよ。私だって昨晩聞いたんだからしかたないでしょ。それで?」
その後どうなったのかと聞く。
「完全に嫌われた感じだよ。そいい加減なやつだと、そんな感じの事を言われたよ」
まぁ、約束違えるやつは不誠実すぎるわ、と思う綾音だったが、想思郎は別の理由が重要なのだろうと考えていた。適当な告白と、性格の問題。
「前も言ってたけど、俺ってそんなに話さずに顔ばかり変わるか?」
そう想思郎が聞くと別の方向から「そうね」と母親から声がかかった。
「島田……、いや、御堂さんは、俺が子供の頃はそうじゃなかったって言ってたけど」
そう聞くと母親は何かを思い出したようで、二人の方に近づき続けた。
「その子に会ってから、想が、全然喋らなくてなんだか格好良かった、みたいなこと言ってたわよ。それを真似しようとして変わっちゃったんじゃない?」
あくまで推測にすぎないが、他に思い当たる事はないうえ、綾音もその内容に同意しているために、想思郎はそれをある程度信じた。さらに確証を得るために、今日も話せるなら、聞いてみようとも思った。しかし昨日のあの様子を思い出すと、先週と同じように話してくれないかもしれない。なんなら電車の時間をずらしてくるかもしれない。そう考えた想思郎は早く家を出て学校の最寄駅の出口で待とうと想い、支度を急いだ。
すっかり、途中で切れているSNSのメッセージのことを失念していた――。
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