思いを伝える方法
「はあ!?」
父さんのいった言葉の意味がよく理解できなかった。
天音が……帰る? どこに? フランスに。
何故――?
「天音ちゃん、向こうの学校でもかなりの有名人でさ、しかも成績優秀ときた。あちら側にとっても早く復帰してほしいんだとさ」
天音の――フランスにある高校は、音楽界ではかなり有名な学校だ。
その中で天音は実技トップであるらしい。プロ活動もしているくらいなのだから、学校側としては何としてでもこちらに戻したいのだろう。
「天音ちゃんはそれに了承した。オレたちもその辺りで会社に戻るよ。だからどんなに待っても三日。詳しい時刻表は後で見せるから、まあその前に来ることだな」
父さんはこんな状況でも楽しむかのように言った。こちらとしては全然笑えない事実だ。そりゃあ確かに学校は大事だし、天音の将来を考えればそっちのほうが良いのだろう。
「いくら何でも早すぎるだろ……っ」
だがいくら言ったって現実は変わらない。
俺は一呼吸置いて、気持ちをリセットする。
やることは変わらない。その期日がちょっと狭まっただけだ。
「ま、お前はお前なりに頑張れよ。信じてるぜ」
「…………」
信じるといわれたからか、父さんは俺に何も説明を求めなかった。
それは、凄くうれしい。信頼と信用とはまた違う、愛情に近しいものを感じられる。
だから――。
「父さん」
「あん?」
膝の上に置いた手の、その震えを誤魔化すかのように硬く握る。
努めて冷静に、声の震えをごまかして、かつ真剣そうな声色で。
俺は言った。
「もう一度……ピアノをやりたいって言ったら、どうする?」
「…………」
父さんは黙った。笑いもせず、驚いた表情も見せなかった。
バックミラー越しで顔を覗くことも出来るけど、今はそうしたくなかった。
エンジンのかすかな音と、徐々に増えていくネオンの光が車内を満たす。
閉塞感とどうしようもない居心地の悪さ。
だけど「冗談」なんて済ませることは出来ない。
少なくとも、それくらい本気だってことだ。
「それじゃあ、またピアノ買わないとな。今のマンションじゃ迷惑になるから、電子ピアノしか買えねえけど」
張り詰めた空気に一石を投じるような、刺すような一言だった。
「なに辛気くさい顔してんだよ。言っただろ? 今お前がやりたいと思うことをやれって――そのために金が必要ならオレは払う。子供のやりたいこと応援するのが親の務めだからな」
「……ありがとう、父さん」
俺は、顔を見せられなかった。
きっとひどい顔をしていると思ったからだ。
あれだけ散々迷惑をかけて、剰えもう一度やりたいだの……と、抜かした俺を優しく受け止めてくれた。そのありがたさに、胸がいっぱいだった。
きっと言葉にならないと思うのはこういうことを言うのだろうか。安堵と安心感で浸る心を引き締めて、俺は再度駅前で車から降りた。
「それじゃあ、何かあったら連絡しろよ」
走り去る白色の車を見送りながら、俺はふと気づく。
「啖呵切ったのはいいけれど、今日泊まる場所考えてなかったな」
今から圭の家に上がらせてもらうかと考え電話してみたが「彼女のいちゃいちゃするんでダメでーす!」と断られてしまった。末永く爆発しやがれ。
「なあ圭」
『んあ?』
俺はついでとばかしに圭に訊いてみることにした。
「お前は女の子と喧嘩したとき、どうやって仲直りする?」
『なんだ悠、喧嘩できる女の子いたんだな』
「茶化さないでくれ。結構まずい状況なんだ」
詳しいことは言えない。だが圭はう~むと少し悩んだ様子を見せる。
俺も策がないわけではないが、しかしここは頼れる親友の意見も欲しいところだ。
というか今更ながら、これは喧嘩と呼べるべきなんだろうか?
『何かプレゼントあげるとか?』
「俺その子の欲しいもの知らないんだよな」
『じゃあ花とか?』
「好きな花わからないし、その子もうすぐ外国に行っちゃうんだよ」
『じゃあ花とか飲食物はダメそうか……つか、外国人?』
「いや、日本人。俺の幼馴染」
『ほー……ぅ』
俺は圭が考えている間に財布の中身をチェックする。
うげ……二万しか入っていない。
こうなれば普通にカプセルホテルか、ネットカフェで過ごすしかなさそうだな。
『まあ、マジでいろいろだけどさ……悠はさ、ぶっちゃけその子のことどう思ってるん?』
「俺が?」
『ああ。付き合いが浅いとかだったら、俺はもうすっぱり手をひくね。だって互いに悪影響しかないんだもん。悠――お前はその子をどう思ってる? 喧嘩して本当に仲直りしたいのか?』
圭の突くようなセリフに、俺は暫く黙り込む。
天音のことを、俺はどう思っているのか。
儚くて、触れれば崩れてしまいそうで、面倒くさくて、小さくて、強くて、泣かなくて、そんな妹みたいで大切な幼馴染のことを、俺は――。
「大切な子なんだ。大事に思ってる。だから、喧嘩別れは嫌だ」
驚くくらいに、その言葉はするりと出てきた。
そうだもんな……最初は庇護欲で、今までは劣等感で、それで今となっては大切に思ってるだなんて、我ながら気の移り変わりが激しいというか、何というか最低だ。
だが俺の答えに圭は笑って。
『勝手にラブコメ始めるなっての。まあそれなら、もう俺から言えることは何もねえよ。その素直な気持ちを、ありのままの思いを、そのまま口にしろ。当たって砕けろだ』
「ちょっと待て。確かに大事だとは言ったが、別に俺はあいつのことを好きだなんて一言も言ってない!」
『じゃあもしその子が他の男とつるんでたら? 外国とか、性に関してはフランクだからな。あっちじゃ恋人より先にセフレが出来るんだぜ?』
『面白いだろ』とバカみたいに笑う圭にガチャ切りしたい気持ちを抑えて、しかし圭のいうことも一理ある。
ぐぐぐ……確かに天音は美少女だ。二日とはいえ一緒に外に出たら多くの人が彼女の外見に惹かれているのを見ている。いくら全寮制の学校といえど安心はできない。
その……まさか……既に天音には――。
白無垢な彼女が、純粋で清純な彼女が実は誰かの手で――。
「あばばっばばば」
『やっべ悠の脳が破壊されてる。冗談だって! 悪ふざけが過ぎた』
脳がショート寸前になる。圭の言葉に我に返った。
『悠がどう思ってるかは知らないけどさ――それが嫌なら、もうやることは一つしかないだろ?』
「や、やること?」
相手をぶっ殺すことか!?
『さっきから思考がバイオレンス過ぎる。さっさとラブコメに戻ってこい!
……要するに、さっさと釘刺せってことだ。そうすると何か身に着けられるものとかが良いかもな』
な、なるほど……いや前半はともかくとして、何か身に着けられるものを贈るのはいい考えだ。実用的であれば尚良い。
俺は一言圭に礼を言って電話を切った。
しかしどうするかな……要件である寝床の確保は断られてしまったし、こうなれば本格的にカプセルホテル等に頼るしかない。
そう思った俺は駅前の繁華街のほうへと足を向けていた。
繁華街は今宵もにぎわっていた。多くの観光客や仕事帰りのサラリーマンたちであふれている。酒と香水と局所的に臭う下水や吐しゃ物の臭いに苦笑しながら、俺はここの近くにあるカプセルホテルに足を運んでいた。
それにしてもここは面白い。見渡す限り様々な人たちがいる。
ネクタイを頭に巻いて喚くおっさん。様々なコスチュームを着て呼び込みをする可憐な女性たち。シャッター前では数人の同年代の奴らがタバコやら酒を呑んでいた。
ほら、こうしている間にも路地裏のほうでげろげろ吐いてる瀬戸先生もいるし――。
「って瀬戸先生!? こんなところで何やってるんですか!?」
隅のほうで一人でげろげろ吐いてる瀬戸先生を見かけて、俺は急いで近寄る。
「んあぁ? なんだ悠じゃないかーアハハ、なんだお前も呑みにきたのかー?」
「未成年なんで呑めないですよ」
瀬戸先生の顔はかなり赤かった。髪色に近しいくらい赤かった。
うわ……これは結構酔ってるな。しかも片手には酒瓶持ってるし。
アンタはいつの時代の人間なんだよ。
「いいかーゆうー、酒は呑んでも呑まれるなという格言があってなー?」
「呑まれているのはアンタのほうだ! ……あーもう、大丈夫ですか?」
俺は優しく先生の背中を擦って介抱する。
こういうのは父さんのでだいぶ慣れた。父さん曰く「お前は吐かせるの上手いな!
!」だそうで。実はちょっと自慢に思ってる一家言あるといっても良い……いや、吐かせるのが上手いって地味に嬉しくないな。宴会後の世話だけ上手いですってどんなアピールポイントだよ。
ともあれ、数分後には楽になったのか、先生は朧げな様子で俺の顔をまじまじと俺のほうを見ていた。
「どうして先生がここにいるんですか。いくら学校ないとはいえ、こんな呑むと――」
「うぐ、ひっぐ……うわぁぁん! だってぇ、今日は今日こそはいい男捕まえるって思ってぇ!」
「うわ面倒くせぇ」
酔っぱらいの泣き言ほど煩わしいものはない。
しかしここは話を聞かないと黙ってくれなさそうだ。
狭い路地裏の中、俺はとりあえず先生の話を聞いていた。
◆
話を聞けば、今日も今日とて合コンに出かけた瀬戸先生は、男性から心無い言葉を言われたらしい。それでヤケ酒をしていたらこうなってしまった……と。
ちなみに持ってる酒瓶はボトルキープしていたものらしい。ホント、どんだけ呑んでんだって話だ。
それで話をして満足したのか、今先生は俺に負ぶわれている。
「ぐぐぐ……っどうしてこんなことに」
しかしここで寝かせておくわけにもいかない。
先生はまだ意識があるものの、さっきから戯言しか言わない。
「いやーだぁ! お姫様抱っこがいい!」
「だーっこの二十四歳うるさすぎる!」
「ああ!? 何が二十四歳で教師大変ですねーだ! このワンナイトしか脳がない猿どもが!」
さっきから会話が成立しない。俺は適当に流すことにした。
「はいはい。それで先生、次はどこに行けばいいですか?」
「うにゅ……あそこのアパートだ。三階の302号室。鍵はポストの下に貼ってある」
震える指で指さしたのは少しボロが目立つ三階建てのアパートだった。
うげ……この人を担いで三階まで上がらないといけないというのか。
俺はそんなことを思いながら階段を上る。
今にも崩れそうな階段を慎重に上る。
階段を一歩一歩踏むたびに、瀬戸先生のその無駄にある胸が背中に当たる。
存在感を放つ胸、アルコールに混ざった甘い匂い。
「なんだぁ悠ーだらしないぞ」
「今の先生よりかははるかにマシですよ……っと」
振り払うかのように俺は頭を振って、俺は三階の302号室の扉の前にたどり着く。
鍵は先生の言った通りポストの外底にセロテープで貼ってあった。
ガチャリと音が響いて扉が開いた。
中は意外にも綺麗だった。
てっきりごみ屋敷だと思ってたのだが――整頓された机や棚、壁の隅には小さな電子ピアノがある。こういうところは真面目なんだな……この酒癖の悪さを除けば、本当にモテそうなものだが。
「ほら先生、家に辿り着きましたよ――ぉぉ!?」
安心したのもつかの間、居間に連れ出そうとした俺の背中に先生の体がのしかかり、俺は先生に押し倒される形で床に倒れる。
身体中に先生の重みと匂いを感じる。
無駄に存在感を放つ胸が、俺の下半身に乗っかっている。
「せ、先生……?」
何故か鼓動が速くなる心臓を押さえつけて、俺は先生の顔を見る。
「…………。むにゃ」
どうやら先生は眠ってしまったようだ。俺の腹筋を枕にして。
たまに頭を擦り付ける。そのたびに胸のほうも揺れるが……そこはまあひとまず無視する形で。
はぁ、大きなため息を吐いた。
だがこれではどうしようか、出られない。
壁枠にある丸時計は夜の十二時を指していた。
いくら夜更かし大好きな高校生でもさすがに眠くなる時間だろう。
いつも十時には眠っている俺ならなおさらで。
これから先生の家を出て、繁華街に戻るのも億劫だ。
「先生が悪いんですからね」
結局、その日俺は先生に覆いかぶされながら、一夜を過ごすこととなった。
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