連れてきてくれてありがとう


 広大な面積を持つ遊園地の一角――北東エリアにある一面の花畑では、毎年五月になると見事なまでの菜の花畑がみられる。俺はそこに天音を連れて行きたかった。


「そういやさ、あの時天音、なんて言おうとしてたんだ?」


「っ! ……な、なんでもないよ。忘れて」


 道中。隣で歩いている天音にそう訊ねてみるが、はぐらかされてしまった。

 うーん……確かに何か言っていたような気がするんだよな。

 ジェットコースターのショックが大きすぎて聞き逃してしまった。


 整備された石畳の道から一風変わって土の道になる。

 彼女の手を優しく握りながら、俺たちはようやく目的の花畑に着いた。


「うお……すごいな」


「わぁ~っ!」


 一面菜の花だらけ。なだらかに隆起しているところにも余すことなく菜の花がある。

 淡い黄色の花びらが風に流されてさわさわと揺れている。

 人通りは思ったより少なく、燃えるような夕焼けが鮮やかに花びらを彩った。


 これには圧巻だ。舌を巻いて圧倒される。


「凄いね、凄いね!」


 まるで子供みたいにはしゃぐ天音を尻目に、しかし俺もこの光景に心を踊らざるをえない。流石目玉スポットの一角、手入れも仕入れもちゃんとやってるようだ。


「天音、写真撮ってやるよ」


 こんな素晴らしい景色は中々ないだろう。

 俺はスマホ片手にそう訪ねた。


「んー……ゆうくんは撮らないの?」


「俺? いやいいよ。今日は天音のために来たんだから」


「私はゆうくんと一緒に撮りたいな。それが私の望み」


 む……それでは仕方がないか。

 俺はカメラを自撮りモードに変更して、天音の斜め前に立つ。

 画面に映る赤い夕焼けと菜の花たちが絶妙にマッチしていて、何とも……ああ、きっとこう言うのが『エモい』とか言うんだろうか。


 いやそれにしても。


「ち、近すぎじゃないか?」


 彼女の色々なところが当たりそうなくらい近い。

 俺は気取られないよう、努めて冷静を装う。


「そうかなっ!? は、早く撮ろうよ!」


 急かす天音に逆らえず、しかしどんなポーズをすれば良いか分からない。

 高校の集合写真とか、俺どんな風に撮ってたっけ……?

 さすがに仏頂面はダメだろう。


「い、ぇ~い」


「……?」


「ごめんなさい」


 試しに陽キャぶってピースで撮ってみるが、やはり似合わなかった。

 ピンと張ったピースが少し折れて、やがて形を失って気まずそうにぶらりと項垂れる。


 その手を天音が掴んだ。

 さながら自然のごとく、ちょっと手が当たってしまって、その延長線上……優しくしかし放せられるようなものでもない力加減に驚いてしまう。


「いい、かな……」


 何が良いのか。何を許すのか。許しを乞うのは俺のほうなのに。

 だけど今ここで聞くのはなんだか野暮ったい様な気がするし、実際野暮なことだろう。……こんな表情を浮かべている天音は初めて見た。俺が知らない神坂天音の一面が、俺のいない五年間の、積もりに積もった彼女の想いが垣間見れた気がした。


「ありがとう、ゆうくん」


 パシャリと、念を押して二枚撮った。

 撮り終えたのと同時に、天音がばっと俺から距離をとった。

 いや、ちょっとそれは傷つくから止めて……。


 ◆


 それから少し経過して。午後八時――遊園地もそろそろ終了間際というこの時間の中、俺たちが最後に乗ったのは観覧車だった。途轍もなく巨大な、赤い観覧車。

 ゴゥンゴゥンと狭い室内の中、やけにクーラーが効いているその中で、俺たちは他愛のない会話をしていた。


 天音がこちらに来てから早四日。今までの蟠りが無かったかのように、俺たちは四日ぶりに会話らしい会話をしていた。


 まあ、とはいってもだ。

 古馴染みといっても、幼馴染といっても、俺たちは互いに互いのことを五年間も知らなかったのだ。もはやちょっとした知人程度だろう。これならむしろ初対面のほうが幾分か話しやすいというもの。


 なので、話の内容は必然的に、各々互いが過ごした五年間の思い出になった。

 俺的にはピアノの件は触れずに、中学や高校に進学したこととか。だけどどうにも俺の話はつまらない話が多い。斜に構えた見方をして、冷笑を浮かべながらあらゆることに見限った俺の話は、何もかもが中途半端で、何もかもが打ち切り作品のごとく、何もかもがダメダメだった。


 それと正反対で、天音の話は面白かった。興味深かった。

 少ないながらも友人ができ、短いながらも学生生活というものもやっていた。

 いやそれに関してはいまだ延長していて、今も神坂天音はピカピカのJKだ。


「リエちゃんって言うんだ。その子」


 リエちゃん――というらしい。天音の唯一の友達は。

 よかった。女の子で。


「リエちゃんもピアノ弾くんだよ。私より上手いんだよ」


「へぇ……」


 どうやらその友達もピアノ弾きらしい。

 なるほど、そういえば天音の行っている高校は、その界隈では有名なくらい音楽に特化した学校だ。そういう友達ならいてもおかしくはないだろう。


「『如月学園』……って、あの超が付くほどの進学校だよね。凄いねゆうくん」


「お前には負けるよ。ただまあ、最近は楽しいんだ。後輩も出来たしさ」


 一、二年生は……圭や瀬戸先生、他の友達のおかげで退屈しない日常だったけれど、しかし退屈しないからと言って必ずしも楽しいとも生きてる心地がしたというものでもない。たくさん楽しんで、悦に浸って、いい気分のまま家に戻って、風呂に入って、勉強して、そんないい気分のままベッドに入ってしまえば――いつだって、虚無感に浸ってしまう。浸らせてしまう。


 この心は伽藍洞がらんどうで、いつだって悦楽というものはそこから流れていく。

 過去のトラウマから逃げ続けるあまり、俺は大事なものを忘れてしまった。


「後輩?」


「ああ。……俺の大事な、可愛い後輩だよ」


 大事なものを届けてくれた後輩。彼女がいなければ俺はいまここにいないだろう。

 外を眺める俺に、天音が小さく訊ねる。


「それって……女の子?」


「ああ。そうだよ。折月結衣って言うんだ」


「――――。―――。――。そう」


 天音は若干面白くなさそうに、ぷいと外の様子を眺めている。

 ……ん? なにかおかしなこと言ったか? 俺。

 よく分からないが、それから暫くの静寂が辺りを包んだ。


 やがて俺たちを乗せた観覧車の動きが緩慢になってくる。

 そろそろ頂上だ。


「今日はさ、ありがとな天音」


 俺はポロリと口からその言葉を零した。


「え……?」


 満天の星空の下、天音がこちらに振り返る。

 俺はまだ気恥ずかしさから、顔を見られないでいた。

 外の景色を見ながら、だけど、それでも天音に伝える。


「俺、こんなに楽しいって思えた日、久しぶりだよ」


 ――だから、ありがとう。

 ささやかな本心だった。俺はずっと天音とこういうことをしたかったかもしれない。

 ただの普通の幼馴染として……こうやって遊びたかったかもしれない。


「……わ、私も」


 ――……楽しかったよ。


 俺たちはそう言って笑いあった。笑いあった――といっても、大笑いってわけじゃなくて、薄く微笑みあうような、そんな優しいもので……。


「遊園地なんて初めてで、ずっと行きたかったけど、もう機会がなかったからダメかなって、ずっと思ってたんだけど……」


 徐々に動きが遅くなっていく。やがて頂点に達したのか歩きよりも遅くなった。

 すると室内から音楽が流れ始めた。きらきら星――子供みたいだが、悔しいことに外の景色と相まって見事なくらいに似合っていた。


「ゆうくんのおかげ。こんなに楽しいのも、あなたがいてくれたから」


 ――だから、連れてきてくれてありがとう。


 満点の星空に負けないくらいの微笑みを浮かべて、天音は俺にそういった。

 白色の、いつもとは少し違うワンピース。

 薄いピンク色の唇、リップのせいか少し艶かしい。

 敢えて描写しなかった。敢えて見ないふりをしていた。


 ……天音の双碧が俺を射抜く。

 青空のような、青い瞳。

 対する俺は、泥のような濁った眼。


「ゆうくんの眼は奇麗だね。深い夜の色してる」


「そうかな……俺的には、天音の青い目の方が好きだけど」


「えへへ……」


 嬉しそうに口元に両手をあてる。昔からの癖……段々と彼女と過ごす度に、俺の知らない天音と俺の知っている幼馴染あまねを発見する。

 それは嬉しいようで、少し寂しい。彼女の知らない彼女を見つけることは、どうも、俺の心を騒がせる。


「――また、来ようね」


 彼女が言う。俺もそうだなと頷く。

 天音は俺の隣に座って、頭上の星空を黙ってみていた。

 俺はそんな君を、君だけを見ていて――。


「きーらーきーらーひーかーるーよーぞーらーのーほーしーよー」


 天音がメロディーに合わせて微かに唄う。

 鈴のような綺麗な声。天音はちっとも俺のことなんて見ていない。

 俺も彼女と同じように頭上の星たちを見上げた。


 きらきら星……か。


 Ah ! vous dirai-je, maman,Ce qui cause mon tourment? Depuis que j'ai vu Silvandre

 Me regarder d'un air tendre,Mon coeur dit a tout moment:Peut-on vivre sans amant?


「……ゆうくん?」


 気づけば、俺は天音の手を握っていた。

 優しく、しかし離れないくらいの強さを秘めて。

 天音はそれを振りほどくことはせず、しかし何も言わなかった。

 心が、通じ合うような気がした。この体温から、天音の気持ちが伝ってくるようだった。


「また、来ような」


 祈りだ。これは祈りだ。

 こんな日々が、当たり前で普遍的で今にも崩れてしまいそうなくらいの日常が、いつまでもいつまでもと、明日も続きますようにと星に祈る。


 だってそうだろう? 俺も天音も散々傷ついたんだ。

 これくらいの時間は、安らぎは、あってしかるべきなんだ。

 明日は買い物に行って、その次は映画に行こう。明後日も、明々後日も、その後も、ずっとこうしていよう。


 それくらいは――別に構わないよな?


 そう俺は目の前で散らばる星たちに、そう祈り――願った。










 だけど。









 その希望は、ささやかな願いは、祈りは――無意味だということに気づくまで、そう時間は掛からなかった。神様はいつだって俺を苦しめようとして、それはきっと、いつまでも俺が過去と向き合わなかったからだ。いつまでも目を逸らして、見ないふりをして、それでのうのうと天音と過ごせるだなんて、とんな思い込みだったのだ。



 ただ一つ言えることは。



 ――もうここに、天音と来ることは無かった。

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