男子にファッションセンスを求めるな


 あの夜の出来事を乗り越え、翌日。

 俺たちは天音の生活必需品を買いに近くのショッピングモールに足を運んでいた。


 駅と隣接してるとある大きなショッピングモール。

 ここに行けば大抵のものは何でも買える。もちろん、大きなものは後日配送する予定なので、今日は小物類だけなのだが。


 さて、時間通り午後二時に到着したものだが……予想と反して今日は何故か人でごった返していた。確かに今日は休日なので、平日より家族連れや団体客が多くいるというのは想定していたが……。


「まさかここまでとはな。天音、大丈夫か?」


 天音は人が多くいるところが苦手だ。遊園地はまだ外だったから何とか出来たが、こんな室内だとそれもいかない。

 それに呼吸器官に問題がある彼女は、あまりこういう場所は苦ではないだろうか。

 ううむ……抜かった、これなら少々金は掛かるが、全て通販で済ませれば良かったかもしれない。


「大丈夫……平気だよ」


 天音はへにゃりと薄く笑った。

 ちなみに彼女の衣服は最初に出会った時に着ていたものだった。

 話を聞けばこれ含めて三着しか持ってこなかったらしい。


「ごめんな。調子悪くなったら直ぐに帰ろう」


 俺も落ちぶれたものだ。こんなの、数年前の俺なら事前に分かっていただろうに。

 如何に自分が天音のことを忘れようとしていたのがよく分かる。

 だが自己嫌悪に陥っている場合ではない。


「ほら」


 いつしか当たり前に、そうすることが自然かのように。


「うん……っ」


 そうして彼女もそれを当然かのように受け止める。

 俺たちは手を繋ぎあって、モールの中を進んでいった。


 ◆


 一昨日、そして昨日を超えてから、俺は天音との関係について悩んでいた。

 幼馴染なのはそうだろう。だが、幼馴染の中にも仲の良い悪いが存在する。

 俺はくだらない思い上がりと思い込みで、一方的に天音との距離を遠ざけた。

 それについては後悔している──だが、一度やってしまったものは中々変えづらい。


 ヘタレだとでも言ってくれ。


 いっそここで謝って、誠心誠意ちゃんと謝れば、きっと彼女は許してくれるだろう。

 謝ることは別にいい。俺だって申し訳なさでいっぱいだ。

 だがここで問題がある。


(俺──天音に謝ったっけ?)


 謝った記憶はあるが、正直言って何について謝っていたのか記憶が朧げだ。

 きっと抱きつかれた時に粗方吹き飛んでしまったのだ。

 一昨日はギリギリ理性と、彼女に対する憐憫と眠気が勝ってそのまま眠ったが、男子高校生の性欲を舐めないでほしい。いや、本当に。自分でも時々制御不可能になってしまうかもしれない。


 ……もしもあの夜、俺が彼女に対する態度について謝ったのならば、もう一回謝るのは少し変だろう。もう一回振り返すとなると天音だって良い気はしない。


 だがもしも謝っていないとすると、俺たちの間にはずっと禍根が残り続けると言うことになる。

 天音がそのことを忘れたとしても、俺はずっと自分のことを責め続けるだろう。


 ──俺のことをずっと待っていてくれた幼馴染に、あんな心無い言葉を投げて、拒絶した自分のことを。


「ど、どうかな?」


 その時、シャッと仕切りが開けられて、そこにはスカートやら何やらで身を包んだ天音の姿があった。

 今現在――俺たちは天音の私服を買いに来ている。

 だが元よりファッションセンスのない俺だ。天音自身もあまりこう言うのには詳しくないようで、結局マネキンが着ている服をそのまま試着してみている……と言うのが現状だ。


「ああ。良いと……思うぞ?」


 確かに服の選びは間違っていない(はずだ)。

 だがどうも似合っていない……そういえば、選んだマネキンの体型は随分とスラッとしていた。いくらサイズが小さいものを選んだとはいえ、背が小さい彼女には似合わないはずだ。


「あれ? もしかして八柳さん?」


 しかしなぁ……と、彼女に似合いそうな服装を思案する俺の背後から、声が掛かった。振り向いてみると、そこにはこの店の制服を着た一人の店員が立っていた。染めた金髪を後ろで結っているその少女は俺のことを知っているのか「やっぱり八柳さんだ」と小さく笑顔で言った。


「アタシですよ。若木千夜わかぎちやです」


「若木……ああ!」


 その名前を聞いてようやく思い出した。

 若木千夜わかぎちや──圭の彼女だ。

 そうか、ここの店でアルバイトをしているのか。俺はいつもの安いアパレル店で済ませているから、ここには足を運んだことがないから知らなかった。


「ウチの圭が世話になってる。あいつ、アンタが作った弁当、毎日美味しそうに食ってるよ」


「あーいやー……あはは。何というか照れます。でも良かった……アタシ料理下手なんですけど、いっぱい勉強した甲斐がありました」


 照れながらそんな健気な事をいう若木さん。

 ……っく!

 なんて健気で良い子なんだ。

 少しだけあの野郎が羨ましくなってくるぜ。


「ゆう、くん……この子は?」


 その時、天音はちょんちょんと袖を引っ張った。

 少し怯えた顔で、俺の方を見てくる。

 慌てて俺は彼女のことを説明した。


「若木千夜さん──俺の友達の彼女さんだよ。んで若木さん、こいつは神坂天音って言って、俺の──」


「あ、分かりました。彼女ですね!」


「どこからどう見たらそう思えるんだ! ただの幼馴染だよ!」


 ポンと納得したように手を叩いてなるほどと顔を浮かべる若木さんに、俺はそうツッコミを入れる。何というか圭に似た気配を感じるというか……類は友を呼ぶではなく類は彼女を呼ぶって訳か。


「えーでも、ただの幼馴染で自分の洋服に付き合うって中々ないですよ?」


「こいつは今まで海外に行っててな。久しぶりに帰国して来たんだ。だから暫くは俺が面倒を見てるってわけ」


「あーなるほど了解。……ちなみにこれ圭に言ったらダメですよね」


「頼む。非常にデリケートでアンタッチャブルな問題なんだ」


 少なくとも、部外者にとやかく言われるような問題ではない。


「でりけーとであんちゃったぶるね……了解了解〜」


「不安だなぁ……!」


 そんなやり取りをしていると、天音が俺の右腕に抱きついてきた。

 少しだけ不貞腐れているのか、俺が何か用かと尋ねても無視している。


「おい天音。離れてくれ」


 言うのを忘れたがここは試着室の前である。

 何というか、周囲の視線が痛くなってきているような……。

 女性ものを取り扱うアパレルなので、元より男の俺に向けられる視線が更に多くなっていく。


「……」


「いや無視はやめて! ホントマジで!」


 おかしい……いつもなら薄く笑みを浮かべる天音の顔が、今や少しだけ口をへの字に曲げているではないか!

 しかし抱きつく力は強まっていく。いや元々が非力なので別に苦しくとも何ともないが……。


「な、無いものは無いとはいえ、しかしながら僅かにある存在が……」


 簡略に表現すると。

 そう、少し膨らみかけのあれが腕に当たっているのだ。

 天音はそれに気づいているのかいないのか、そんな膠着状態が続いて──。


「……いい」


 その時、背後に立っていた若木が顔を赤くさせながら、口元に手を当てていた。


「可愛い……!」


「は、はぁ!?」


「ジェラシー! ジェラっているのね! いい、いいわ!」


 まるで女の子が可愛いものを見つけたくらいに興奮する若木に、俺や──天音までもが驚いていた。口をミッフィーのような形にして、天音はぶんぶんと若木に手を握らされて振り回される。


「八柳さん! 天音ちゃんのコーディネート私に任せてくれないかしら?」


「天音の? まあそれなら……逆にこちらから頼みたいくらいだ」


 仮にもアパレルで働いているんだ。

 相応のファッションセンスはあるのだろう。

 よく圭が俺に彼女の写真を見せてくるのだが、その写真に映る彼女の服装はよく似合っていた。


 それに、女子のファッションすら分かっていない男子より遥かにマシだろう。


「まっかせて下さい! 最高に可愛くて最高にヒロインチックに仕立てますから!」


「ゆ、ゆうくん……!」


 最後まで天音は俺に助けを求めていたが……許せ天音、これもお前のためだ。

 そんな後方兄貴面で試着室の揺れるカーテンを見ていた。

 やがてシャッとカーテンが開かれると、一風変わった新たな天音の姿がそこにはいた。


「お、おぉ……」


 なるほど、今までの白色のイメージカラーとは異なり『黒色』で攻めてきたか。

 黒単色のワンピースは、最初に出会った時のものと似ているが、こうも色が変わると印象が違ってくるのか。


「う……うぅぅ……」


 天音は少し透けて見えるワンピースが恥ずかしいのか、外には見えないように奥に隠れて、チラリと俺の方に視線を寄せた。


「良いんじゃないのか? 夏にはピッタシだ」


「あーギリ及第点ですね」


「え、マジ?」


「マジマジ。なんか全身から不幸オーラというか幸薄そうな気がします。一定の需要はあるんですけどね、チラチラ」


「チラチラ見んな。そうか俺はこういうのも好きなんだけどな……」


 ……いや、本当に好きなんだけれども。

 若木が変なことを言ったせいで、これじゃまるで俺が幸薄そうな女性がタイプだと思われることになるじゃないか。


 若木は次はと、カゴの中にある洋服らを天音に差し出した。

 見たかぎり十着以上はあるような……おいおい、そんなには買えないぞ?


「取り敢えず天音ちゃんに似合いそうなもの全部ピックアップしてきました。ささ、どうぞどうぞ」


「これ全部着るの……?」


 少しだけうんざり、としたように天音が表情をモニョモニョさせる。

 やや、これは若干不機嫌な時の天音だ。

 表情を表に出すことが少ないから、なんて顔に出せばいいか分からないからモニョモニョさせてる時の顔だ。


「これも八柳さんの為です」


「俺はどっちでも良いよ」


 正直に言って、俺は天音が良いと思えるのならどんな服装だって構わなかった。


「分かった。私頑張る」


「お前はそれで良いんだ!?」


 ふんす、とやる気になってそう言った彼女は、重そうなカゴを両手で抱えてまたカーテンを閉めてしまった。

 そして数分後、再び姿を見せた天音の服装もよく似合っていて、その後何度か試着を繰り返して結局合計で五着も買ってしまった。


「ありがとうございます」


 無料の笑顔サービススマイルで俺を見る若木。

 これが彼女の接客術なのだとすれば、まんまと嵌ったしまったわけだ。

 天音は事前に「こんなに買わなくても良いよ」と言ってはいたが、面倒臭いので全部まとめて購入することにした。


「天音ちゃんの可愛い姿見れて良かったですね」


 店の出入り口、送りに来たのか若木がそう俺に笑いかける。

 ちなみに天音はただいまトイレ中だ。

 今の今までずっと我慢していたらしい。


「本当はあの服が気に入って、でもそれを言うのが恥ずかしいから纏めて購入したんですよね? 罪な人ですねー、ああいうタイプは率直に言ったほうが好感度上がりますよ?」


「……全くもって、何を言ってるのか分からないな」


 ああ本当に。

 何を言ってんだが。

 そそそ、そんなことあるわけなななないじゃないかかか。


「うーわ冷や汗ダラダラ! あはは、確かに圭くんがちょっかい掛けたくなるのも分かる気がします」


 ちろりと八重歯を覗かせながら、面白おかしそうに若木は笑った。


「そういえばもう直ぐ昼時ですけど、この後のご予定は?」


「この後? ここが終わったら近くのレストランで昼飯食べたら帰るよ。今日は何だか人も多いし、あまり無理はさせたくない」


 少し人が開けてきたとはいえ、それでもまだ多くの人がここにはいる。

 一体何かのイベントがあるのか、特に下の階の中央付近は人で賑わっていた。


「まあ基本的にここは人がめちゃくちゃ来ますからねー。イベントも今日は複数あった気がするし」


「あの中央にあるスペースもか?」


 何かのショーでも開くのだろうか。

 だがそれにしては垂幕や宣伝の気配がない。


「実はあそこでとあるYouTuberがゲリラライブするって話なんですよ」


「ゲリラライブ……? つか告知したらゲリラの意味なくない?」


「ええ。それも含めて彼女の魅力なんでしょうね。……ピアノですよ」


「なに?」


「ピアノ。ピアノを生業にするYouTuberですよ。登録者数五十万人強の。ストリートピアノとかの動画を挙げている……この街を拠点に活動している女の子ですよ」


 ピアノ――まさかここでも出てくるとは思わなかった。

 それにしても五十万人強……あまり動画配信には疎いが、中々良い具合なのではないだろうか。大人気とか、超有名とか、そんな単語を前につけても違和感がないレベルというか。


「あ、もうそろそろ時間ですね」


 下の階でわっと歓声が沸き上がった。

 そして穏やかに流れるピアノの音色。

 これは……最近有名になったアニメの曲だ。

 盛り上がる曲調、なるほどセトリの最初にはちょうどいい。


「彼女なんでも弾けるんですよ。アニメもクラシックも。こうやって仮面をつけて素顔を隠しているのも魅力の一つかもしれませんね」


 若木とともに近くにある吹き抜けから見下ろす。

 白と黒を基調としたフリルが似合う、地雷系にも似た服装に身を包まれて、白色の……あれはマスカレードマスクか。そのマスクを身に着けた少女が一人、黒色のグランドピアノに座って演奏していた。


 近くには二人の少女がカメラを回している。おそらく、あれで動画を撮影しているのだろう。

 今までこういう現場に居合わせたことがないから少しだけ新鮮だ。


「演奏技術も凄くて、たぶんどこかのプロなんじゃないのかって話ですよ」


「へぇ……」


 ここで俺に話を振らないということは、おそらく若木は俺の素性を知らないのだろう。少しだけ安心した……圭はちゃんと相手の嫌がることはやらないのだ。

 やがて若木はバイトのほうへと戻っていき、俺は暫く、ありていに言うならば天音が戻ってくるまでそのピアノを拝聴していた。


 アニメから一転してクラシック、そしてジャズっぽい曲へと激しく変化する。

 そこに休憩時間は無い。曲が終わったかと思えば、そこから似たフレーズの次の曲へと変わっていく。飽きさせないように工夫し計算しつくされたセトリは、もはや美しさまである。


「……まさか」


 そして俺はとある違和感に気づいた。

 その違和感に誘われるがままに、徐々に徐々にと広場の方へと近寄る。

 彼女のその弾き方、食指の動き、そしてそれが奏でる音の魔力。


 間違いない──彼女は。


「結衣……?」




 


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