謎の美少女仮面YouTuber YUI


 会場──というには少し粗末な作りだが、それらを微塵にも感じさせないほどあたりは観衆でいっぱいだった。最前列の人たちは各々スマホを片手に録画している。少し手詰まったが、なんとか前列の方に移動できた俺は改めてピアノを演奏する少女の姿を見つめる。


「やっぱり……」


 やはり、あれは結衣だ。

 折月結衣おりつきゆい──ピアノコンクールの常連で、夢に向かって邁進し続ける『心理掌握のピアニスト』。俺の後輩でもあり、まだそれらしい事をやってる訳ではないが、教え子でもある。


 彼女の特徴としてまず一つ挙げるなら、人々を惹き込ませるピアノの手腕だろう。

 彼女のピアノには『魔力』がある。それらは旋律に乗って俺たちの耳から脳を支配するのだ。そのピアノの腕は昔の俺を真似たものらしいのだが──断言しよう、俺にはこんな力はない。だからこの力は間違いようもなく彼女の弛まぬ努力の賜物なのだ。


 そしてもう一つは、その持続力だろう。

 もう演奏が始まって十分が経過しているが、一向に腕を休ませる事なく弾き続けている。流石に曲調は序盤のような荒々しいものではなくなったが、しかしそれでもその演奏は色褪せる事なく俺たちの胸を突き動かし続ける。


 ──気づけば、俺の食指が動き始め、タンタンとリズムを取り始めていた。


 早くピアノを弾いてみたい。

 あの時から、俺の心はそれしか考えられなくなった。

 あの白と黒の鍵盤に触れたい。あの旋律を俺も奏でてみたい。

 あんな風に弾けたら、どれだけ気持ちのいい事なのだろう。


 そんな事を思っていたら、急にピアノの音色が止んだ。

 休憩なのか、少女──結衣は立ち上がって、近くにあるスタンドマイクに駆け寄って話し始める。


「今日はお越しいただいてありがとうございます」


 楽しげに観客に向かって話しかける。

 ファンなのか、最前列にいる人たちは「休んでー」とか「ゲリラなのに告知したら意味ないじゃん!」とそう彼女に向かって言っていた。

 それらに対して結衣は明るく笑いながら返答する。恐らく彼女はそういうキャラなのだ。普段の態度からは考えられないようなエンタメ的な会話に、俺は少しだけ驚いていた。


「それでは、毎度恒例の連弾やって見ようかと思います! 腕に自信があるやつ出てこーいっ!!」


 手を差し出す結衣の声に、おおお!! と観客の歓声が沸く。

 さ、参加型の連弾だと!?

 しかも毎度恒例とか言っているし──その誘いに観客からは疎ながら手が挙がった。


「おお! お馴染みのメンバーですな」


「連弾を弾かせればプロ顔負けの実力を持つ『魔連』のタクヤ氏に、オールマイティにどんな曲もこなせる音大生『闇の弾き手』カナト氏! 更にはこのチャンネルがきっかけでピアノを弾き始めて、メキメキと実力を伸ばし続ける『熱き挑奏者』コマ氏もいるじゃありませんか!」


 隣にいた眼鏡を掛けた小太りと細身の人たちがそう解説するかのように二人で騒いでいた。というか、あだ名が痛々しすぎる。とてもピアノに纏わるネーミングではない。


「興奮しますなぁ。あの中からYUI氏の手を握って……YUI氏が触れた鍵盤に触れられるなんて……」


「我々だとYUIちゃんに恥かかせるからなぁ……ああいっそあの黒と白の鍵盤になりたい。彼女の食指で突かれたい」


 興奮するんだ!

 そんな願望まで持つんだ!

 仮面で素顔を隠してはいるが、やはりそれでも美少女だということは何となく分かるのだろう。な、なるほど……大体分かってきたぞ。


「やはりここは『闇の弾き手カナト氏』ですかな……」


「いやいや。カナト氏は前回の動画にも出ていましたぞ。ここは順番的に『魔連』が妥当かと」


「個人的には『熱き挑奏者』を選んでもらいたいですな。我々の中でも派閥が現れるほど、彼女のピアノにも人気がありますぞ」


 なんか予想までしているし……なるほど、そもそも参加する人が少ないから毎回こんな感じになるんだな。というかそれだいぶ危うくないか? もし誰もいなかったらどうするんだよ。


「まあ最悪『完全不明の演奏者ミスターアンノウン』氏がいますし大丈夫でしょう」


「ああ。誰もいない時にふらりと現れるあの黒服の」


 また変なワードが飛び交っているし……。

 そして相変らずピアノに関するネーミングじゃない。

 しかしそうなのか。 やっぱり保険はあるんだな!


 ……それじゃあ、ちょっと手を挙げてみるのも悪くはないかもな。

 まあ選ばれはしないだろう。ちょっと、ほんのちょっと手を挙げるだけ……。


「──あ、それじゃあそこの人、君にお願いします」


 それを逃さないとばかりに、ちょっと手を挙げようとしたその瞬間。

 ビシッと俺の方に結衣が指を指した。

 周囲にいた人が一瞬あっけにとられ、呆けた口から「え?」という言葉を発する。

 それはもちろんこの俺もそうであり、上げようとした手を引っ込めて、目をきょろきょろさせて、俺以外の誰かであることを望んでいた。


「そこに君ですよ。初見はじめましてさんかな。よろしくね!」


「え? え、あ、え……っと」


 どうやら本当に俺のようだ。

 さすがに「やっぱなしで」はあまりにも場が白けるだろうし、それにあの結衣の瞳――完全に俺のことを認知しているな。まだ自分の正体がバレていないとでも思っているのか。


 彼女の手を取って壇上に上がった俺に、結衣が「なんの曲がいいですか?」と優しく尋ねる。ほほう……曲選は相手側が選んでもいいのか。それが自信の表れなのか、それとも自分への挑戦なのかは分からないが――俺は心の中で笑みを浮かべて言った。


「クラシックでもいいですか?」


「ええ構いませんよ。何がいいですか? ベートーヴェン?」


「ショパン・エチュードOp10のメドレー……もちろん、弾けますよね?」


「……ええ勿論」


 ショパンのエチュードといえばだれもが知っているあの楽曲だ。

 むろん、それらを弾けないピアニストはいないだろう。

 誰もがあの曲を通る。すべての道がローマに繋がるのならば、必ず通らなければならない主要な道こそがエチュードといっても過言ではない。


「誰だかは分からないですが、ショパンのエチュードは元々連弾ではなかったような……? 一体どうやって弾くつもりですかな」


「恐らく連弾用にアレンジしたやつを弾くつもりでしょうな……しかし、エチュードはその人気故に腕がないと相当つまらないものになってしまいますぞ。あの少年はそれを分かって……」


「む、無茶だ。ただでさえ技量を求められるクラシックなのに……しかもメドレーですぞ? ……合計何分くらい掛かりますかな?」


「全部弾いたとしたら約五分くらいですな。アニソンのフルくらいありますぞ」


 解説ありがとう。オタクの人たち。

 とにかくだ……確かに本来のエチュードは一人で弾くやつだということは流石の俺でも分かっている。だが俺は知っている。彼女が――結衣が、エチュードの連弾を弾けるということを。


『私のお母さんは元ピアニストで、今はもう弾いてませんが昔は一緒にエチュードを弾いたことがあります』


 そんな会話を思い出しながら、俺は彼女の陰に隠れる形で左方のオクターブへと移動する。

 結衣の方は大丈夫だ。問題は――五、六年ぶりに弾く俺の腕の方だろう。


「楽譜見ますか?」


「あるのか?」


「一応は」


 連弾に備えてある程度はそろえているのか、しかし彼女の表情は少しだけ訝しんでいるように思えた。そりゃあそうだろう。なにせ持っている楽譜をピッタシ当てているのだから。向こうにとっては不気味であろう。


 あれ、そう考えるとあいつ……まだ自分の正体がバレていないとでも思っているのか?


 まあ今は人が集まっているし、俺も言うつもりは毛頭ないが。


「ミスったらごめんね」


「全然! こっちでカバーしますんで大丈夫ですよ~」


 ……いや、笑うな俺。

 普段の結衣を知っているから、今の彼女とのギャップに笑ってしまいそうになる。

 その間にも結衣はちゃくちゃくと準備を進めており、俺は軽く手を握ったり開いたりしていた。


「それじゃあいきますよ……3,2,1」


 そうして五年ぶりに弾くことになる俺の……俺たちの演奏が始まった。















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