穏やかな朝
朝の陽ざしが差し込んでくる朝の十一時。俺はようやく眠りから目覚めた。
起きてすぐに自分の部屋ではないことに気づく。ああそういえば、昨日はここで寝ることになったんだっけ。
薄暗いリビングの中、俺は起き上がろうとして、すぐ横にいる少女に気づいた。白銀の髪をした少女――神坂天音。
まだ眠っているのか、寝息一つ立てないで眠る様はまるで死んでいるようだった。
「どうりで」
暑いわけだ――寝返りすらも打たず俺の身体を抱き締めながら眠る彼女の頭を撫でて、俺は彼女を起こさないように慎重に布団から離れると、改めて、昨夜のことについて思い出していた。天音の過去――俺をただひたすらに待ち続けていたと言う天音を思い出して、心が苦しくなっていった。
「天音……」
なんとも言えない感情が渦巻く。互いに苦しんできた。誰が悪いというわけでもなく……いや強いて言うならば、やはり俺が悪いのだろうか。俺があの時自分を許してさえいれば、もう少しマシな未来になっていたのだろうか。
「今さらだよな……」
そんなのは戯言だ。傑作に近しいくらいな妄言だ。
後悔ばかりしても仕方がない。過ぎたことはいくら悔やんでもやり直しがつかないのだから、それならばまだ残された未来について思案したほうが有意義だ。
そう思いながら、寝癖を直すためにシャワーを浴びて再びリビングのほうへと戻ると。
「おはよぅ……ふあぁ」
遅れて天音が起きてきた。ところどころに寝癖らしきものがみられる。
朝は低血圧なのか、まだ夢見心地というような感じで、むにゃむにゃとしていた。
だがその様もすぐに変わり、俺の上半身を見るや否やかけ布団をガバっと被って隠れてしまった。
「な、なんで裸なの……?」
「おはよう天音。さっきまでシャワーを浴びてたんだ。寝汗がひどかったからさ」
「……っそうなんだ」
ちなみに寝汗の原因は無論天音による抱擁だ。
それに気付いているのか、それ以上天音は何も言わなかった。
ただその口元をほころばせて、小さくにやにやしている。
「天音って呼んでくれた……また昔みたいに……ふふっ」
◆
朝食もとい昼食は軽くサンドウィッチにすることにした。
スクランブルエッグとトマトとレタスを挟んだ簡単なものだが、どうやら天音は気に入ってくれたようだ。どうやら
「天音、口元にソースがついてる」
彼女のその小さな口元には、赤いソースがわずかに付着していた。
白いナプキンを彼女に手渡す。
「う、うん……ふへへ」
受け取った天音はソースが付いているところとは逆のところを拭いていた。
本人は気づいていないようで、少し笑ってしまう。
おかしなやつだと、ふにゃりと笑ってる天音をよそに俺は考え事をしていた。
今日は休日。なにも予定が入っていない日。
この日は天音のためだけに使おうと昨夜の俺はそう決めていた。
無論それは変えるつもりは無いのだが……。
「しかしどこに行こうか」
スマホ片手に考える。
検索欄には『女の子 喜ぶ場所』だの『おススメスポット 女の子』みたいなので埋まっている。しかしサイトを開けばデートなの何なのぬかしやがって……まるでこれじゃ俺が天音とそういうことをしたいと言ってるようなものじゃないか。
そうこうしていると、俺はとある場所を見つけた。
ここから電車で三十分の距離にある、地元の人たちに愛されているそこそこ大きい遊園地があるらしい。中でも観覧車や園内にある一面の花畑が有名だそうだ。
入園料もそれほど高くない。それに――。
「……天音、今日は遊園地に行こうか」
「遊園地?」
可愛らしく首を傾げる天音だったが、いや流石にその存在自体は知っているはずだろう。徐々に理解してきたのか、いきなりその顔を赤めてえぇっと小さく驚いた。
「だ、誰と?」
「そりゃ、俺とお前とで。逆に誰が来るんだよ」
「えぇ〜〜〜っ」
何をそんなに驚いた表情を浮かべるのか。
続けて天音は確認するように俺に質問してきた。
「遊園地って、あの観覧車とかあるやつだよねっ?」
肯定。
「ああ」
「木馬が回転するあそこだよねっ?」
これも肯定。
「うん」
「ペンギンさんたちが
それは皇帝──いやちょっと待て。
「流石にペンギンはいないな」
どちらかというとそれは水族館の方だろう。
天音はそっかと笑って、続けて少し申し訳なさそうな顔を浮かべる。
いいの? ──と言っている顔だあれは。俺には分かる。
「いいよ。言ったろ? 今日は天音の好きなところに行こうって。その代わり明日は買い物に付き合ってもらうからな。洋服とか、買い込む
体が弱い天音は幼い頃からそういう『楽しそうな場所』とは縁がなかった。
公園だって誰かが傍で見ていないといけないし、恐らくそれだったら天音は何も不満を言わずに部屋で過ごすことを決めるだろう。
「さて、それじゃあ善は急げだ。善行かどうかはともかくな」
空になった二人分の皿を片付けて、俺は言った。
「うんっ……それじゃあ、ちょっと待ってね。お着替えしてくるから」
「? 着替えならこの前のやつでも良いだろ」
白いワンピースを思い返す。あれはあれで天音によく似合っていて大変よかった。
まあ、あまり洗濯するようなものでも無いから、泥とか汚れとか着いたら大変なんだけど。
「だ、ダメだよっ。こういう大切な日はおめかししなきゃダメだってお父さんも言ってたもん。それに……」
「それに?」
「うぅ〜〜……と、とにかく。私は一旦着替えるから、ゆうくんは出て行ってっ」
なまじ無理やりに部屋の中に押し戻されてしまった。
全く持って分からない。
俺的には普通の遊びのつもりだが……もしかすると、天音にとってはそれすらも特別な日だと思っているのか。
「いやまあ……いいか」
天音の表情は少しスッキリとしたものになっていた。
さんざん泣き喚いて、思いの丈をぶつけて身軽になったかもしれない。
そしてこうしてどこかに遊びに行くだなんて……まるで以前みたいに戻って、どこか嬉しく感じる自分がいる。
「ふふ、ゆうくんとデートかぁ……」
扉越しに微かに聞こえる天音の声に、俺はグッと拳を握りしめる。
何を言っているかは分からないが、上機嫌なのは間違いなさそうだ。
良いだろう──こうなれば、全力で楽しませてやろうではないか。
そうして、念入りな準備支度が終わったのか、次に俺が部屋から出ることを許されたのは三十分後のことだった。
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