第7話 崩れる

 喫茶店の中に入り奥の席を見ると、そこには誰も座ってはいなかった。


「いらっしゃいませ」


 その声に対してカウンターの方を見ると、そこには店主マスターと客席に座ったのぞみさんがいた。うわさ通りならのぞみさんはずっと奥の席にいるものだと思っていたけど、やっぱり噂など当てにはならないということか。


「お待たせしちゃいましたか?」


 約束の時間に対して10分早い12時50分の到着だったけど、のぞみさんの目の前に置かれたコーヒーは半分ほど減っていた。


「私はいつもここにいるから……、むしろこっちまで来てくれてありがとう」


 そう言うのぞみさんに、「こちらこそありがとうございます」と返し、席に座ってコーヒーを注文する。どう話を切り出せばいいかわからないまま、前と同じようにサイフォンでコーヒーが作られていくのを眺めていた。見ていて飽きない作業風景だ。注がれるコーヒーの色は澄んでいるのに、カップに注がれると色の深みが増す。淡い色の積み重ねが、底を見えなくする。


 そうして出来上がったコーヒーが私の前に出された後、のぞみさんが


「サイフォンでコーヒー作るのっていいよね」


と口を開いた。


「私これが好きでね。最初は撹拌しすぎちゃって、最後に綺麗な泡が残らないんだけど、それがうまくいったとき嬉しくてね」


のぞみさんもこれでコーヒー作るんですか?」


「うん、小さい頃かよく見てたからね」


「親が好きだったんですか?」


「父親がね、ほらそこにいる」


 そうやって視線を向けた先には店主マスターがいた。え、店主マスターのぞみさんの父親なの……?驚いた私は再度のぞみさんに視線を向ける。のぞみさんは静かにうなずくだけだった。


 再度店主マスターの方を見ると、軽くお辞儀をしたあと、片付けを済ませて裏方へと消えてしまった。呆気に取られた私は落ち着くためにコーヒーに口を付ける。まだ熱いコーヒーは冷静さを取り戻すのに十分だった。


 考えたら会って二日目の相手に父親を紹介されてしまったわけだけど、のぞみさんはそんなに私のことを信用しているのだろうか……。けれど私も同じく会って二日目の相手を妙に信用している節がある。というか、初対面だった昨日ですら、警戒をしていなかったのではないだろうか。


 そもそも根拠の無いうわさに飛びつくほど、私は警戒心が全然無いのかもしれない。そう考えると、結果的にうまくいっているこの状態は、都合がよすぎるというか、なんというか……。


「さて、それじゃ本題に入ろうか」


そんな風にのぞみさんが仕切り直す。


「もったいぶらずに聞くね。谷村って名前に聞き覚えはある?」


「谷村……」


口に出した瞬間、その名前に強く馴染みがあることを感じる。そうだ、これは……。


ゆき谷村雪たにむらゆき


すっと言葉が出てきて、自分の中でその名前を確信できる。


「やっぱり、ゆきって子の苗字だったんだね」


のぞみさんはこの名前をどこで?」


「昨日ちょっとね……」


 そういってのぞみさんはSNSで見つけた不気味な捜索願について説明してくれた。そしてそれは、話を聞けば聞くほどとても恐ろしかった。両親すらゆきのことを覚えていないということ。まるでゆきの存在だけが消されたようなSNSの投稿。私の知り合いが二人も行方不明になっているという事実に戦慄せざるを得なかった。


 のぞみさんの確認したかったことはこれだけだったようで、私は今朝のことを相談することにした。


のぞみさん。私、今日不思議な夢を見たんです。えっと、夢の中にあいが出てきて」


あいちゃんが?」


「はい。夢だからその……全然関係ないかもしれないけど、私はそうは思えなくて」


「いったいどんな夢だったの?」


あいが言ったんです。ゆきについて、思い出せる記憶にヒントがあるって。朝起きてからそのことをずっと考えていたんです。9月のことは思い出せないから、その8月以前のことをずっと。でもゆきに関するような記憶なんて無くて……」


 そうだ。夢の中であいゆきのことについて言及していた。そういえばさっきの捜索願、私があいのことをを思い出した日とタイミングが近い。


 捜索願が投稿されたのが9月10日の月曜日。あいのことを思い出したのは9月14日の金曜日。一週間も経たないうちに、二人もいなくなっている。あいの失踪とゆきの失踪、無関係とする方が不自然……?


 考えがまとまらず言葉の止まった私の代わりに、のぞみさんが言葉を繋ぐ。


こころさん。夢の中であいちゃんは、思い出せる記憶にヒントがあるって言ったのよね。それってってことじゃないんじゃないかな」


「それってどういうことですか?」


「思い出せる記憶ってのは失くしたゆきちゃんの記憶じゃなくて、例えばあいちゃんに関する記憶とか、そういうのを言ってるんじゃない?」


あいに関する記憶……」


 あいゆきの失踪、無関係とする方が不自然なら、あいに関する記憶がゆきに繋がる手がかり……?


「8月はあいと一回だけ遊びに行ったけど……。駅で待ち合わせして、ショッピングモールに行って、カフェでお茶して、帰りに星を見て喋って……」


 そこまで口に出して違和感を覚えた。そしてそれはすぐに確信に変わった。


 違う。これはあいとの記憶じゃない。あいも私も星になんて興味ない。星が好きだったのは、星に詳しくて、夏の大三角形すらも怪しい私にいろいろ教えてくれたのはゆきだ。


「なんで私はゆきとの記憶を、あいとの記憶だと勘違いしていたの……?」


瞬間、私の中で何かが崩れる音がした。

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