第5話 空白の捜索願

 のぞみこころと別れた後、通りのマンションの下にいた。左手には折り畳み傘を持っていて、その先端から雨粒が滴り落ちている。希はもう一方の手でスマートフォンを握り、淡々と数字を打ち込んでいく。その手を耳にかざすと同時に、コール音が流れだした。静寂の中、雨音とコール音だけが耳に流れてくる。そのまま15秒ほどが経過した。


「……」


 通話は繋がらない。それでものぞみは電話を切らなかった。すぐに切れなかったということは、少なくともこの電話番号は使われているはずだ。辛抱強くコールを慣らし続けると、9コール目の途中で音が止まった。もし今繋がらなくても、また時間を変えてかけてみるつもりだった。


『もしもし』


通話先から女性の声が聞こえてくる。


「捜索願を見かけてお電話しました。私、のぞみと申します。突然ご連絡して申し訳ありません」


『……』


相手からの返答はない。ただ、少し乱れた息遣いが聞こえてきた。


「単刀直入にお伺いします。あの捜索願を載せた記憶がありますか?」


『……あなたは何か知っているんですか?』


不躾なのぞみの質問に、女性はそう答えた。聞こえてきたのは不安そうな声だった。


「私も調べている途中なんです。知っていることがあったら教えていただきたく……失礼ですがお名前をお聞きしてもよろしいですか?」


谷村たにむらです。その……調べているって何をしているんですか?』


「ある人を探しているんです。それがちょっと不可解な事件でして、それで調べているうちにあなたが載せた捜索願を見つけたんです」


 捜索願。見つけたのは公園にいた時だ。この地域で起きた失踪事件について、何かあいちゃんに繋がる情報は無いか探していた。そのとき、SNSのとある投稿に目が留まった。


 ――この人を探しています――と書かれた文字と添付された3枚の写真を見て捜索願だと最初は思った。いや、それは間違いないのだろう。全国の人に見てもらえるSNSで、より多くの情報を得ようとすること自体はありだ。全く関係の無い土地の人に届いても無意味だが、警察に届け出る以外にできるいい方法だと思う。ただその投稿には不自然な点があった。いや、不自然な点しかなかったというべきか、そこにはあるべき情報が何一つとして無かった。


 探している人の名前も、顔写真も、年齢も、性別も、身長も、どんな服を着ていたかも、個人を特定するに必要な情報がすべて抜け落ちていた。


 3枚の写真はまるで塗りつぶされたように、画像データが壊れてしまったかのように、全体が白く染まっていた。そこに一つだけ残っていた情報が、谷村たにむらさんへの連絡先だった。


「あれは9月10日に投稿されていました。2週間以上経った今でもそれを消していないのには、何か理由があるんじゃないですか?」


『……何かを、いえ、誰かを忘れているんです。あの投稿を消してないのは、忘れたことを忘れないためなんです』


誰かを忘れている。その言葉にのぞみこころのことを思い出す。


『捜索願を出すほど、私たちにとって大切な人。家族か、親戚だとは思うんです。でも夫に聞いても私と同じで、何かを忘れている感覚だけがあるって言ってて……。思い出せないんです』


――ゆき――こころさんはそう言っていた。多くの人の記憶から誰かの記憶が無くなる。そんなことが往々にしてあるわけがない。ただ、ここでのぞみは「ゆき」という名前を出すことはしなかった。


「そうですか……。すいません、最後にもう一つだけいいですか?」


『はい、なんでしょうか?』


「私が今探している子の名前なんですが、あいって名前に心当たりはありますか?」


「いいえ、特には……」


「わかりました。こんな時間にすいません、ありがとうございました」


『あの、何かわかったら、連絡していただいてもいいですか?あなた探偵さんか何かなのよね。このまま忘れたままなのは怖くて……』


「はい、何かわかったらご連絡させていただきます」


『ありがとうございます』


 その言葉が聞こえた数秒後、通話は切れた。雨足は強くなるばかりだった。


「通話ってやっぱ苦手だな……相手の顔が見れないし……」


のぞみは大きくため息をついて、そう言葉をこぼした。

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