第44話 ハーフエルフの少女
「お母さん。わたし、怖い」
「大丈夫よ。お父さんはとっても強いから」
この世界は巻き戻った世界。
なのに、勇者と魔王の様子がおかしかった。
「あれ、ニンゲン?」
「えぇ。ついに人間も魔王軍の傘下についたみたい」
白い髪の女が背中に隠したのは、この世界に生まれる筈のないハーフエルフの少女。
喋り方は幼いが、見た目はアークと同じくらい。
いや、そもそも。彼女は人語を話せなかった。
「イザベル。ノノ…」
理を作った女神、アシュリーが世界を見つめるタイミングは、魔王核の発現。
その直後勇者に力を授ける。
その瞬間に生を受けたから、奇跡的に子が生まれた。
アシュリーが混じり物のエルフだったからか、彼女が2つの顔を持っているからか。
それが今回はもっと緩かったのかも。
他に理屈もあるのだろう。だけど、そんなことよりも、もっと大事なこと。
「イザベル…。良かっ…た…な…」
驚愕した後のレプトにやって来たのは、止めどなく溢れる涙がだった。
「おい!何泣いてんだよ‼これはどういうことか説明しろ。その緑の髪のアシュリーの子孫は何処にいる⁉」
「コイツら。何なんだ。アシュリならそこら中で取れるだろ‼…成程。それで恐怖を紛らわす、腰抜けか‼」
「どうなってるのよ。コイツ、めちゃくちゃ敵視するじゃん‼」
全員が乱入する。
小さな家に押し入る。だけど心配はない。
ここは魔法使いの家。イザベルの先祖が作った家。
奇妙な力で内側の方が広い。そこはどうやら同じ。
「アナタ、ちょっと待って」
「待つものか。私は家族を守りたいんだ‼」
「分かってる。分かってるけど…でも、ねぇ。そこの鳶色髪の君。どうしてそんなに嬉しそうに泣いているの?」
誰かの家に押し入って、ギルガメットたちは俺達を誰だと思っている!とか、アークは「本当にアシュリーに似てるなー」とかの中、一人だけ嬉しそうに号泣。
彼の涙の意味に気づいて、ギルガメットも鞘に納める。
フレデリカも肩を竦ませて、マリアも溜息。
ダーマンは「貴様が間男か」と言い、ギルに「やめておけ」と制止される。
「イザベルの願いが叶ってる…。やっぱ、嬉しくて」
「願いだと?怯えて暮らす我らが」
「ルッツ。彼は多分、そういう意味で言ってるんじゃないと思う」
それくらい異常。レプトの泣き方はやはり。
そしてイザベルだって、前の世界では世界一の魔法使い。
でも、それは前の世界の話。
つまり、ここでまた…
「アーク…、ゴメン。アークにとっては良くないことなんだけど。前の世界のイザベルはもっと病んでいたんだ。生まれたはずの我が子が突然消えた。十五年探し続けた。彼女が本格的に魔法の研究を始めたのはそれが理由。髪の毛が緑になるくらい、研究に没頭した。いや、それが彼女の存在理由に変わった。だから…」
「今回の世界のイザベルは幸せって、意味だよね。レプトが嬉し泣きするくらい」
「でも、アレだと魔法は…ゴメン」
「うん。仕方ないよ。僕のために誰かの幸せを奪う訳にはいかない」
レプトの胸に突き刺さる言葉。
自分は意図的に望んだが、彼女は結果的にそうなっただけ。
全然違う。
「レプト、行こ。皆、行こ。他にも方法があるかも。無かったら…、レプト、よろしく」
誰かが幸せになったせいで、アークがまた…
「絶対に見つけるから。絶対に…」
「うん。ありがと、レプト。えと、ゴメンなさい。人違いでした。その…」
「そんな目で俺を見るな。妹の方が溜め込んでいる」
「溜め…」
「ダーマン黙れ」
「確かにお金は持ってるけど、今は持ってないわ。後で誰かにお金渡して直させにくるから。…ってか、未来が変わる可能性は頭に入れておくべきでしょ。知ったかのレプト君?」
イザベルの夫はうろんな目で彼らを睨むが、どうやらお帰りの様子。
流石にこれだけの人間と戦う自信はなかったから、少し胸を撫で下ろす。
すると、ここで。白髪の女が言う。
「待ちなさい。いえ、待って。外は危険よ。暫く、匿うくらいは出来るわよ」
「な、イザベル。正気か?こいつらは…」
「さっき、彼が言ってたでしょう。勇者様なら匿うべきよ。それに私たちの罠を搔い潜ったのも納得できるわ」
夫に止められるが、彼女の眼力で肩を落とす。
「あぁ。いい。ドアの方は勝手に直るから。…それより罠の修理だ。ただ、罠の修理は…」
「何かあったら、俺たちが守る。そもそも、匿わってもらう義理もない。レプト、あては外れたが他にも何かあるんだろ?」
「あるにはあるけど…」
「だからー、匿うって言ってるでしょう。それに勇者様がここに来られたのです。理由があるのでしょう?」
「えー。こんなとこに閉じ込められるならフォニアに行ってみたいー」
この言葉でイザベル夫婦は顔を顰めた。
「お前たち。フォニアから逃げてきたんじゃないのか?」
「いや。違うぞ。その泣き虫がモルネクで降りて、ここに向かうと言ったから途中で下船した」
「っていうか、逃げたって何?どうして私たちが逃げないといけないのよ」
「ルッツ。やっぱり匿うべきよ。恐らく、女神アリスのお導き。ですね、シスター様」
「へ?えと、そういうことに…なります」
「その髪の色と関係があるのですね?」
「そ、それはそう…かも?」
マリアも怪訝な顔。だが、金色髪が当たり前なのに、イザベルは気にした様子もない。
前の世界では緑の髪をしていたから、自分のことは言えない、なんて意味ではないことは分かるが。
「逃げた?拙者はここに妖艶な魔女が住まうという話を聞いて、一晩…」
「潰…」
「ひ…」
「済まない。コイツは病気なんだ。…それよりその口ぶりが気になる。フォニアで何かあったんだな?」
二人が険しい顔になる。
そして、イザベルが目配せをして、ルッツというエルフが「さぁ、ノノはこっちでお父さんが本を読んでやる」と言って少女を連れて行く。
因みに、何部屋もある。どういう構造なのか、この時期は大変だったから、レプトはあまり知らないけれど。
そして子供が居なくなったところで、彼女は俯いて話し始めた。
「かなり前からその兆しはあったのだけれど、大体一か月くらい前かしら。…突然、魔王軍が動き出して人間とエルフも狩り始めたの」
言葉に違和感。
「かなり前の兆し?それに今の話し方だとそれまでは別の何かが狙われているって感じに聞こえたわ」
「…それは言えない」
ノノ…?でも、そういう個人って感じじゃ…。いや、そうか。
「人間とエルフの子、か。この世界線ではそこまで珍しくない…んだな」
「やはり気付きますか。それに珍しい…です。私たちのような例は、普通は認められません…から」
「人間とエルフのことは分からない。それより、レプト。一か月前ということは」
「僕の中のオズが目覚めた時と一致してる…」
「オズワルドは先にこっちと言っていた。そして始めたのが…」
「人間とエルフ狩り…か。こうしてはいられない。アーク、レプト。ここで何かをやらなければならないとは知っているが、フォニアに向かわねば」
「そうね。私たちは魔王と立ち向かう勇者ですもの!」
ここでイザベルが俯いたのを、レプトは見逃さなかった。
もしかすると、彼女は。
「イザベル。気にしなくていい。女神のお告げがあっても、それに従うかは自由だ。な、マリア」
「そ、そうですね。思えば、両殿下もリンもアレも自ら立ち上がったのです」
「レプト、行こ。ここを守るためにも。それから…」
「あぁ。リンがここまで成長する世界線だ。何処かで優秀な魔法使いが生まれているかもしれない。ここはかつて、魔法使いの隠れ里があったんだっけ?」
「うん。アシュリーもその一人だからね。きっと、見つかるよ」
そう。絶望ではない。リンという前例がある。ってことは同じメンバーじゃなくても良いということ。
ただ、あてはあまりに少ないし、人間狩りとエルフ狩りも始まってるらしい。
アークは心配。とは言え、流石にその話を聞いたら放っておけない。
「んじゃ、悪かったな。イザベル。ノノと旦那さんにも伝えてくれ。悪かったな…」
背を向け、こちらからだと大きく見える扉に向かう。
そこで彼女が後ろから声を出す。振り絞るようなその声。
「待って‼ちょっと待って…」
「気にするな。イザベル。今回のお前は幸せな人生を送ってる。それに俺が知ってる、
「レプト、言い方…。この世界のイザベル様は幸せに過ごしていた。それで宜しいではないですか」
「それはまぁ、そうだけど。アークを守る為に、あの知識は欲しかったんだ。まぁ、そういう人物に心当たりがあるなら、魔法使いネットワークってのがあるなら、どこに居そうか、知ってたら教えて欲しいけど。確か…」
「もう、私の家しかない…。魔女の一族は…、もう…」
白い髪。前とはかけ離れた穏やかな顔。
その顔が暗く、落ち込んでいるように思えた。
「そっか。それでも探してみるよ。それじゃ」
隠れた才能、隠れた異能。それを急いで探さないと、という瞬間。
「違う。その…、勇者様が患っておいでなのですよね?診るだけ…なら。診るだけと約束をして頂けるなら」
前の彼女は娘が死んだと思っていて、その娘を蘇らそうと、とことん無茶をしていた。
研究の過程で若返りの秘術さえ完成させた。
ただ、今の彼女は勿論美しいが、年齢よりも少しだけ若く見える程度。
申し訳ないけど、幸せになった分、役に立たなくなってしまった。
悪いことではないのだろうけど、今のアークには…
「どうする、アーク」
「えっと。どうしようか。でも、イザベルさんでは多分…」
アークも同じ意見。だが。
「私…ではない」
「え?それじゃ」
「でも…、連れて行かれては…困る…」
ここでアークは目を剥いた。勿論、レプトも。
「あのエルフのおっさんか?」
「おっさん?お兄様と同じくらいの年齢に見えたけど?ダーマンより若い…」
「ふん。それはこれを見てから」「潰…」「ひっ」
なんて、会話の中。
「あの子?」
「ノノ?…そうか。魔女の家。女児が生まれたら、その子が後を継ぐ…」
「でも、ノノは。ハーフエルフは狙われる。だから…」
「大丈夫ですよ。イザベル様。連れて行こうとはおもってませんよね、レプトもアークも」
「当たり前だ」
「うん。僕たちは僕たちだし」
期待できるかは分からなかった。
ノノは同い年くらい。だけど長寿のエルフの血を受け継いでいるからか、とても幼い。
前は、そう。今回もそう見えた。
そして、渋々顔の父親も連れて戻ってきて、イザベルではなく、ノノが言った。
「え、えと。勇者様。わ、わたしが…診る…ね」
「ノノ、その前にどういう状況なのか、聞かないと」
「えと、どういう症状なの?」
母が娘に教えながら。でも、母が教えている、ということは。
「頭に入られそうなんだ。どうにか出来ない…かな」
「頭…に?痛いとかではなく?」
「うん」
辿々しい手つき。心配そうに見る母。
やっぱり無理だ、…と思った馬鹿な自分を殴りたい。
「不思議な魂。まるで吸い込まれそう…。うん、うん。よく分かった。このままじゃ、確かに乗り移られそう」
「え?マジ?そんなこと」
「し…。いいから、見てなさい」
アークも小さいから、と言ってもお医者さんごっこをする程は小さくない。
でも、それを連想させる。けれど。
「それを止めたい?」
「…うん。怖いんだ。この体を使われて、アシュリーが作った世界を壊されるのが」
「えっとね。でも、それをすると沢山のスライムさんを固めないといけない。その間は記憶が失われるし、絶対に大丈夫って保証は出来ない」
「な…」
「ノノは私をゆうに越える才を持つ。すでに私を超えているから私は魔法使いをやめたの。だから…って訳じゃないけど、私の宝物」
考えてみれば、それはそう。
アシュリーの一族で、しかもエルフの血が入ったことで、アシュリーに近づいている。
成程、確かにそうだ。そして、今。恐ろしい会話をしている。
「アシュリの葉と…、うん。他にもいくつか要るけど。出来る…と思う。ううん。この魂だから出来る、のかな」
「ちょ…。待って。記憶が失われるってことは。魂を固めるってことは…」
「だ、大丈夫です。意識はそのままです。でも…」
「また、前みたいになるってこと…だよね。それでも勇者としては問題なさそう」
でも、それだって。考えてみれば当たり前の話だ。
そして、レプトの全身からすべての体液が零れ落ちそうになる。
だって、それって…。何のためにやったのか。ただ、損をしただけ。
オズを野に解き放っただけ…。
「レプト。僕を守ってくれるって」
「約束した。だけど俺だけだと…お前が導いた未来に導けない。それにもっと厄介になってるのに…」
「大丈夫。僕はあの幼い状態に戻るだけ。あの時の僕だって、レプトの言うことはちゃんと聞いてたでしょ」
「それは…」
「それに今は皆もいる。前は僕が集めたのかもしれないけど、今回は君が集めた。レプトなら、大丈夫…だよ。ね、皆。みんなも大丈夫…だよね?」
頷ける者など、誰もいない。
けれど、首を横に振ることも出来ない。
オズにアークの体を乗っ取られることだけはあってはならない。
「前のアーク…か」
「頼りない…っていうのは確か…にあるわね」
「あ、あの…」
「みんな、酷いな。元々、前世の記憶を人間は持っていない。あれだって僕なんだけど。あれでも一応勇者なんだけど」
確かに言われてみれば、ものすごく失礼な言葉だ。
前世の記憶がないだけで、ミネア村出身の少年の記憶はちゃんと残る。それが本来の形。
だけど、その記憶があったから、真のハッピーエンドに世界を導けた。
「大丈夫ですよ、勇者様。レプトが必ず、オズから記憶を取り戻します。ね、レプト。私とも約束しましたよね?」
「それは…。そうだけど」
「そか。なら安心だ。ね。ノノさん。それを僕にお願いできないかな。お金は…」
ただ、ここで。
この世界線ならではの出来事が起きる。
「お金は…いい…です。ハーブを集めるだけだし」
「でも、それは凄い力。流石に…」
「だ、だからその代わり…」
この世界ならではのイザベル。彼女が念を押した理由。
イザベルが最初に恐れた理由。マリアに女神のお告げかと聞いた理由。
「ノノ‼ダメよ。アナタは狙われているのよ!」
「お母さん。この人たちは戦っているんだよね。…それにわたしが見ていないと、この
魔女の家系は女児が生まれるとその全てを教える。
ならば、この世界での魔女は彼女。
「そ、それは頼もしいけど…。出来ないよ。君は家族に囲まれて…」
「あれ。守ってくれないのですか、勇者様?」
「それは…。守る…けど。レプトが守る…けど」
「って、俺かよ。いや、そうか。アークは元に戻ってしまう…。でも、それを決めるのは俺じゃ」
当然、イザベルとその夫。つまりノノの両親。
「ダメだぞ、ノノ」
「危ないし、それに元々ノノは」
「お母さん、お父さん。勇者様たちは…、あの坊さんを除いてだけど、わたしと変わらない。みんな、お母さんとお父さんから生まれてきたんだよね?あのお坊さんを除いてだけど」
「いや、流石にダーマンも人の子だと思うけど」
「ふ、ふはははは。なかなかの審美眼…。拙者は実は…」
「マリア。ダーマンに魔法。この男、ハーブにやられてるわ」
と、それはさておき。
「はぁ…。やっぱりこうなってしまうのね。薄々感じていたのだけれど」
イザベルが恐れたのはもう一つ。ノノの意志で行きたいと言うと分かっていたこと。
「いいです、よね?勇者さま?」
「え…、うん…。君、さえ…良ければ…」
前の世界では人間の言葉を覚えていなかったし、守られてばかりの存在だったハーフエルフの少女。
でも、この世界では人語も解する。別の顔を持っている。
「え?アーク…様?」
と、頬を染めるアークに半眼を向ける少女だって、前の世界では守られていただけだ。
「あれ。もしかして前の世界で私がフラれたのって、本当はこっち?」
「あ。いや、俺に話したのはあっちだったし。…まぁ、本当はこっちかも、とは思ってたけど」
「道理で苦しい言い訳だと思いました。それで引いてしまうレプトもどうかと思いますけど?」
「いや。だから、その時のお前は俺を見てなかったし」
そしてクスっと笑う、アルビノのハーフエルフ。
「わたしも仲間に入れさせてください。治療の条件はそれです。患者さんの経過も見ないといけませんし、ね」
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