第39話 親友だから
薄暗い部屋。
だが、外は明るいかもしれない。
随分と上等な部屋だ。あの時とは大違いだ。
分厚いカーテンなんかなく、カーテンさえもない部屋だった。
王子様とお姫様が乗っているのに、お姫様へのイジメのために薄汚い部屋がたった一つ用意されただけだった。
「夕ご飯。ちゃんと食べなきゃ駄目だよ?」
明るい声。優しい声。少しだけ低くなった気もする声。
「なんで…、俺を責めないんだ」
責められた方が良い。こんな馬鹿をした男。何もしなくて良かったのに、余計なことをして、訳が分からない世界に変えてしまった。
「責めないよ。うん、僕に責める資格なんてないよ」
「なんでだよ!!俺はお前に魔物を植え付けたんたぞ!!魔物と結託して!!」
「でも、僕の為だ」
部屋の隅で蹲っていた鳶色髪の少年の肩がビクッと跳ね上がる。
「違う。あれは俺の自己満足だ。勝手な思いつきで一人でやったたけだ」
「それは…、そうかもしれないね」
「だったら」
「でも、僕の為にやったことだよね。それは何となく分かる。それに僕の魂に義父さんが溶け込んでるなんて、誰にも分からないよ」
「それは…そうだけど。でも、俺はお前が導いた世界を台無しにしたんだ」
全部話して、全部罰してもらって、全部の刑罰に処せられる。
そうあるべきだ。その方がずっと…
「どう…かな。もしも時が戻っただけなら、その時の僕の魂にもオズはいたのかも」
「でも…」
「その時は大丈夫でも、その後同じことが起きたかも」
「そんなの」
「うん。想像。でもね、オズが目覚めたのはアリスの力とエリスの力がぶつかったから。普通に考えれば、十分に起こり得ることだと思うよ。レプトが語る宝物のような未来でも」
レプトは目を剥く。
それは確かに否定できない。アリスの力とエリスの力が共存する世界。
オズが何処にいたのか分からなかった以上、何処かで目覚めた可能性はある。
前のアークならともかく、今のアークがそれをサラリと言ってのけた。
それだけで以前のアークとは違うのだと分かる。
「記憶が…」
「だから、まだだって言ってるでしょ。オズは、オズ自身が死んだ後から先の知識がない。だから、そこをゴッソリと持っていかれたんだよ?」
「理がアシュリーに作られた後の記憶…か」
「そう。オズは先に死んじゃったからね」
船に乗ってから、他の誰とも会わないのは彼が守ってくれているから。
人狼を匿う勇者。皆、気が気でないだろう。
だのに、少年はここではいつも笑顔だ。
「それ、殆どの記憶じゃねぇか。よくそんな顔ができるな」
オズが持っていった記憶。それはアシュリーとの記憶も入ってる。
宝物を盗まれた。その手伝いをした盗人を前に。
だけど、彼は笑顔のまま、彼の肩を抱く。
「レプトがいるから、だよ?あの時感じた、僕に欠けているものは、オズにとって欠けていたもの。でも、今は僕。僕に欠けているのはやっぱりレプトなんだ」
ポロ、と涙が溢れる。
何があっても、アークはそう言ってくれる。
ただ、今回はドンと突き飛ばされた。
「って、ゴメン!今は無理!レプト、お風呂入って!」
とは言え、涙が引っ込む理由にはならない。
「そっか。そうだよな。アークは潔癖症なんだった」
「ちょっと、ヒトを病気みたいに言わないでよ。汚いものは汚いんだから!ご飯より先にお風呂!」
そしてそのままお風呂に連れて行かれて、丹念に洗われた。
誰かに洗ってもらうなんて、母親ぶりで。
ものすごく恥ずかしかったけど、泣きながら洗ってもらった。
その途中の出来事。
「成程。レプトの体。筋肉、魔力器官。かなり特殊だね」
「そういえば、前にも触られたっけ」
「うん。でも、今の方がよく分かる。女神の恩寵の出し入れが特殊な構造に変えている。流石にこれと同じことを皆に押し付けちゃ駄目だよ」
「押し付けるって…。特別なことはしてないぞ」
レプトを洗うとアークに汚れがつく、ということでアークは自身の体も洗っている。
とても綺麗な体。流石は女神に選ばれた人間。
そして、魂までも女神に選ばれた存在、それがアークだ。
「アシュリーは理を作った。それはアリスとエリスの為でもあった。でも、元々は別の力」
「えっとノーラだっけ」
「そ。ノーラの力を完全に二つに分けるなんて無理。だからノーラの力はその間に沢山の残ってる」
「でも、アークの元の体のスライムなら綺麗に分けられるんだろ?」
「分けただけだよ。不純物は取り除かれる。で、レプトは前の記憶のまま、時を戻って、その時はまだ存在していない女神の恩寵を使った」
「は?いやいや、存在していないって自分で言ってるじゃん」
「そ。でも、君は使ったんだ。女神の恩寵が存在しない世界で、その代用となるものを」
アークはスライム石鹸で泡を作りながら、そう言った。
そして、その泡がパンと弾ける。
「ノーラの力ってこと?そんなこと…」
「理論的には可能だよ。だって理が生まれたとはいえ、元々は野良の双子女神が作った世界だからね。多分だけど、アリスの力、エリスの力を持たなくても強い人って、ノーラの力を無意識に使ってる。そもそも、魔法だってあったんだし」
思い当たる人間に思いを馳せたのか、金色の少年は寂しい顔でそう言った。
もしかしなくても鳶色の少年だって同じ顔をしていた。
「そっか…。それで」
ただ、ここからが本番だった。
いや、だからこそのレプトだった。
「レプト。僕はレプトが大好きなんだよ」
突然の告白。勿論、それはレプトにも分かっていたことだ。
勿論、綺麗になった体のまま、抱きつかれたら照れたりもする。
「ちょ、アーク。突然、どうした…」
今まで落ち込んでいたのはレプト。だけど、彼は咄嗟に親友を抱きしめた。
裸とかそんなの関係なく。…アークは震えていた。
「…怖いんだよ。僕は怖い。オズが…、怖い」
「…そう…だよな。自分の中にオズワルドが居て、あんな風に…。俺の…せいで」
アークの中にオズワルドが居た。誰よりも本人が怖かった筈だ。
彼が一番怖かったろうに、罰して欲しいなんて勝手なことを思っていた。
「…ううん。元々入ってたんだと思う。アシュリーも見てないって言ってたし。でも、僕にはどうしようもない」
さっきまで平気な顔をしてた?本当に?自分のことばっかり考えていたから、見ていなかっただけだ。
部屋だってカーテンを閉じて、ずっと暗かったし。
「…俺に出来ることを言ってくれ。なんだってする…」
そして、彼は言う。親友へのお願い。一番信用できるレプトへのお願いは。
「僕が、僕の手がアシュリーが作ったこの世界を壊すかもしれない。だから、お願い…。アイツが戻ってくる前に…、僕を殺してほしい」
——鳥肌の立つお願いだった。
確かにそうだ。こんなお願いを言える相手はレプトしかいない。
色んなことを知っているレプトにしか頼めない事。
「…そんなの出来るわけない…だろ。俺だってお前のことが大好きなんだ」
年上だが、まだレプトの方が背が高い。
さっきまで体を洗われていたから、上に乗られていた。
けれど、彼の体を持ち上げて、体勢を入れ替える。
すると、アークの泣き顔が良く見える。全身の鳥肌だってはっきり見える。
「僕も…だよ。だけど、僕にはどうしようもない。僕はただのスライムなんだ…」
見た目は人間の勇者でも、前世はスライム。魂はスライム。
善も悪もないけど、悪いスライムじゃない。素直で良いスライムだ。
そんなスライムが、僕を殺してと彼を見つめる。
だけど、そんなの…
「お願い…だから…。僕を…」
「嫌だったら嫌だ‼だったら俺が守ってみせる…」
「無理…だよ。だって、僕の魂は簡単に…」
震える瞳の勇者。同じく震える瞳の盗賊少年。その盗賊の脳がパン‼と弾けた。
勿論、物理的ではなく精神的に。
「そうだ…。アークの魂は
仰向けでコクンと頷く美少年。彼の体からゆっくりと体を剥がして、レプトは右手を差し出した。
「え?何?僕を…」
「プロエリス大陸には魔法使いが住んでいる」
「…うん。オズの魔法使いが住んでいた」
「そうだ。オズの魔法使い、アシュリーの子孫がまだ住んでいる。彼女ならきっとスライムをどうにかしてくれる筈だ」
そういえば、最初からイザベルに相談しようと思っていたんだ。
オズの魔法使いアシュリーの子孫であり、この世界の常識を覆した存在、ハーフエルフのノノの母親。
彼女なら。
「行こう、アーク。俺達で世界を救うんだろ」
差し出した手をもっと差し出す。くいっと顎で掴めと示す。
すると弱弱しくはあるが、ゆっくりとアークの右手が持ち上がった。
パシッ。そして強引に引き上げる。
「アシュリーの子孫。僕は誰か知らないけど、レプトは色んなことを知ってるんだね」
色んなこと。それはアークから教わったものだ。
だから、こんなことを言う資格はない。それでも——
「バッチリ知ってるよ。イザベルの髪が緑の理由も知ってる。白い髪が緑になった理由まで知ってる」
「そっか…。やっぱりレプトは頼りになるな…。でも、その時が来たら…」
瞳はまだ涙で濡れている。だけど、彼は真剣な顔で。
「…分かってる。だけど、その時は俺も一緒に死んでやる。アークのいない世界なんて、俺にとっては価値のない世界だからな」
「そ、それは…。えっと…、困る。だから、早くその人のところに行こ?」
やるべきことは最初から決まっていた。
何があってもアークを支える。本当に馬鹿みたいだ。
自分が招いた異変。だったら責任をもって最後まで彼の為に生きる。
当たり前のこと。
当たり前…、その為には——
「ん?ちょっと待て。俺ってどれくらい塞ぎ込んでた?」
「えっと一週間とちょっと?」
「な…。駄目だ。早く船を降りるぞ、アーク」
「え?船から降りる?」
「港町モルネクに途中寄るんだよ。そこから真っ直ぐ上にイザベルが住む魔法使いの家があるんだ‼」
急いで風呂場から出て、それからというところで右手が固まった。
いや、動かなくなった。
「えっと。服は着た方がいい、かな?」
「あ、あぁ。そうだった」
それはそう。だから、急いでズボンに足を通し、シャツに腕を通す。
ただ、そこで。
「そ、それから」
「それからって…、体は洗ったし、服も着た。後は…」
もう一つやるべきことが残っていると彼の目は訴える。
「みんな…。すっごく怒ってる…」
それはもう、殺してやろうと思われるくらいに。
レプトだって、殺してくれと思っていたし。
「うわ…。そうだった。俺が何を言っても絶対にダメじゃん。また悪さするつもりって思われて終わりじゃん。ギルガメットとかフレデリカとか、マリアも‼絶対に無理じゃん…」
ここに来て、ここまで考えて、漸くそこに気が付いてレプトは頭を抱えた。
だけど、勇者の方は笑顔になって、かるーい感じでこう言った。
「大丈夫だよ。謝ろ。僕も一緒に謝るから」
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