第三章 混沌の混じった理の世界

第38話 戦場後、船上で洗浄から始まる異変

 勇者アークの一行は予定通り船に乗っている。

 その過程など、サラドーム大公国に伝わる筈もなく、結果だけが齎された。

 サラド台地の中級魔物は極夜地帯にある城、月光城へ招集された。

 結果的に、サラド台地の魔物は一掃された。


「へ?船に乗る…だけ?まぁ、サラド台地に平和を齎した勇者様御一行ですし、それくらいは容易いこと。でも、本当にそれだけ…?」


 勇者がサラドーム大公国を救ったということになったから、ツェペル・マラドーナも仰天の条件に変わった。

 畑の損害賠償どころか、逆に請求しても良さそうな程、大陸の大半から魔物が消えたのだ。

 かつての人にとって、イーストプロアリス大陸は未知なる大地だった。

 だが今は港町モルネク、大公国の巨大植民地フォニア、北の鉱山と産業の都市ヴェルグの発展により、宝の島へと変わった。

 そこに向かう途中。


 気になるのは人狼の処遇。


「絶対にダメ。ここから先は通っちゃ駄目」

「どうしてよ。話を聞くくらい良いじゃない」

「駄目。…今のレプトには会わせたくない」


 船の中、独房の中。いや、閉じこもっているだけか。

 そして看守としてか、近衛としてか、勇者様が道を阻んでいる。

 ある意味、ここも表面的には変わらない風景。結局、アークはレプトの味方である。

 あの後だって、アークはずっとレプトを守っていた。

 大回復魔法もアークは自分の意志でどうにか出したと言っている。


「一歩間違えば、いや間違えなくとも、アイツは処刑だ」

「マリアもそう思うでしょ?」

「私は…、勇者様の巫女。今は何も申し上げられません」

「何を言っているのだ。魔物とつるんでいた事実は消せぬでござる」

「はぁ。お前がそんなことを言う日が来るとはな。だが、ダーマンさえこう言ってるんだぞ。マリアが説得しろ」


 勿論、ここも同じ。彼らにとって許せない行為は二つ、魔物と結託していたことと勇者に何かをしようとしたこと。

 後者は良く分からないことになったが、前者は明らか。

 モルリアだって、ちゃんと申請を出している。

 ただ、一つ抜け道があるとすれば。


「船の上です。西の法律は適用されませんので、私にはなんとも。リンも何か?」

「アーク様は大丈夫なんですか?…あれから様子は。私もまだ、近づいてはいけないと」

「それは…、私にも分かりません。そして…」

「前の世界の記憶を持つ、レプトしかアークの話が分からないって?」

「その話、そもそも本当なの?」


 そして、ここ。三白眼で睨み合う中、心臓が常に鷲掴みにされる中。

 少女は言わなければならない。いや、早く言ってしまいたい。


「…女神のお告げ。アレはレプトの言葉です。皆さまが有難く、とても有難く聞いていたのは、皆さまの言う人狼の言葉です。そしてこのメンバーを選んだのも人狼です」


 この話になると当然、とある少女が溜め息を吐く。


「その…、マリア様。それは私以外…です…けど」

「それはね。でも、今回はちゃんと黒は勇者の仲間、と人狼、いえレプトは言ってますよ。そして、貴女はここに居ます。アナタだって、彼に選ばれています」


 全員が天を仰ぐ。それにあの魔物の動きを見るに…


「人間も魔物も、レプトの手のひらの上にいた。そういうことでしょうね」

「とんでもないヤツ。でも、アークが守ってる。しかも、あのアークって私たちが知らないアークでしょ」

「今までが知らないアークが混ざっていて、今は純粋なアークですね」


 天のさらに天、もはや反り返って呆然とするアークの仲間。

 現時点ではそのアークが一番、解し難いのだが。


「それじゃ、優しかったアーク様はもう…。私のことも忘れて…」

「大丈夫ですよ。それはアークです。ただ、一部の記憶は取り戻しましたが、大部分は持っていかれた、と」

「一部だが記憶、それじゃあアークも前の世界の記憶を持っているでござるか?」

「いいえ。彼が持っているのは前の世界よりも遥か昔。創世記の記憶です。そして持っていかれた記憶は前の世界よりも以前の記憶。元々、前の世界の記憶は持っていませんよ」


 やはり理解し難い。

 こういう時は物事を整理する必要がある。


「以前の知識はどうでもいいが、繰り返された方の記憶は気になる。それを知ってる人狼から全部吐かせればいい」

「それが出来ないから、話し合ってるのですわよ、お兄様」

「分かってるよ!それをどうやってするかって話し合っているんだ」


 ここで「はい!」と手を挙げたのは、やっぱり彼女。そっちの方ではなく…


「私、少しなら…知ってます」

「そういえば‼そうだったわね‼」

「ん、マリア?」

「ご、ゴメンなさい。ちょっと声、大きかったです」


 マリアは自分の口に目を剥いた。そういえばコイツ、人狼の手先だったという気持ち、そうだろうと呑み込み、口ではなくうろんな目つきに変える。


「…いや、まだ目が座ってるし」


 と、フレデリカ。


「リンは人狼に捕まっていただけだ。人狼を見るような目をしたいのは分かるが、抑えてくれ、マリア。…リンは色々と利用されたんだったな。…教えてくれ。アイツは何を知っていた?」


 そして、ギルガメットが優しく諭す。

 ダーマンは、色々考えているがちゃんと空気が読めている。


「アイツが目指しているのは…、人間と魔物の共生…」

「ほう。モルリアのような世界を…」

「ううん。あれは人間がエサをあげているだけって。アイツが言うのは対等な関係を築いた世界」

「でも、その結果。何かを呼び覚ましてしまった。最初から、それを狙っていたんじゃないのか?」

「私もマリア様と同じで、詳しくは教えてもらえなかったから。…結果だけ見れば、そうかもしれないです」


 とリン。


「アナタと同じにしないでくれますか?私はただ、勇者様と皆さまの案内をしていただけです。人狼の手伝いなんてしていません‼」


 マリアも自分の名を出されると黙ってはいられない。

 ゾワゾワとするのは確か。だけど、そんな筈ない。何回、信じてたのにと叫んだと思っているのだ。

 アレを皆が聞いていたと思うと、ゾッとする。


「マリア、どうしたの?」


 そして、フレデリカが彼女の変化に目を剥く。


「な、なんでもありません。本当に何でもありません。私は自分でもこれは必要かどうか考えながらでした。つまりアレは私の考えでもあります」

「分かったから。お前は休め。それから風呂にもちゃんと入れ。この船には…」


 王子様も心配そうにマリアを見つめる。

 ただ、その発言は流石に聖職者に対して、というより女性に対して、と。

 彼の妹が白い目を向けるのだが。


「ちょっとお兄様‼そういうとこ、良くないと思います」

「お前が言ってたんだろ」

「お・に・い・さ・ま‼ち、違うんですのよ。ほら、色々ありましたし。あ、そうだ。ツェペルが用意した客室、なかなか快適ですのよ。マリアさんも是非、堪能してみてはと。目的地のフォニアまで、まだまだ長いですから」


 フレデリカのフォロー。そして、それは間違っていない。

 あんな偉業を為し得た勇者にツェペル・マラドーナの船が使われる。

 ただでさえ、安易な条件だった。それで客室までボロでは罰が当たる。

 勿論、彼は商売人であり、勇者様がお使いになられた部屋として、金持ち連中に宣伝する気満々の下心ありあり。

 だが、彼女達の為に豪華絢爛な部屋が用意されたのは間違いない。

 そして、それを堪能する余裕さえなかったことに、マリアは気付かされる。


「今日は解散しましょう!私もお風呂に入って…」

「やや。それでは拙者も」

「ついてこないで。アンタは汚れるほど髪がないでしょう。髪自体ないでしょう」

「さて。俺も体を洗ってくるか」

「あら。お兄様も薄汚れているんですの?」

「お前、俺のこと馬鹿にし過ぎてないか?伯母様が新たな使い道が出来たと喜んでいらっしゃる。感想の一つや二つ、俺からもと思ってな」


 随分前の話のように感じる。

 スライムから取り出した濃厚なゲルと、ダラバン領の羊の毛を使った体の洗浄方法。

 ソルト山地のスライムは、元々ソルトシティと交流があったアングリアに送られる。

 ダラバン領で飼われていた羊たちの需要は、エルフ達との交易で齎された綿花によって、下落する一方だった。

 だが、その羊の乳と毛、それからスライムの亡骸と岩塩が合わさることで、別の需要を産んでいた。

 商人がそれに食いつき、一枚かませてくれと言ったとておかしくはない。


「そういえば最近、髪を丁寧に洗ってなかったかも…」


 指摘された通り、髪の毛が薄汚れていた。同じ金髪のフレデリカとは大違い。

 紛い物だとは分かっているが、今は雲泥の差が生まれている。

 あの右も左も分からないアークでさえ、髪の毛の先まで綺麗にしているというのに。

 いや、彼はあれほど綺麗好きだったろうか。

 人狼の為に用意される部屋はない。だから、勇者様は人狼を部屋にまで連れ込んでいる。


 だから、今。どういう生活をしているのか分からない。勿論、船の上だからやれることは殆どないのだが。


「マリアさん」

「は、はい‼」

「部屋の鍵、忘れないように。後ろからエロ坊主がついてきているわよ」

「う…。それは大変ですね。はぁ…、リンも気を付けなさい」

「大丈夫です。…潰せばいいんですから」


 リンはそう言って、自分に用意された部屋に入っていった。

 「ひ…」という声をあげて、ダーマンも部屋に。

 ギルガメットは


「リン。なんか、俺もぞわっとしたんだが…」


 と言って自分の部屋に入っていった。


「マリアさん。一人で抱え過ぎよ。私たちの・・・・勇者様なんだから、私たちが支えてあげなきゃ。その為には話をしないといけないし、相手はあの人狼よ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝なきゃ、頭も働かないわよ。それじゃあ、また明日」


 あの人狼レプトと勇者アークが同じ部屋にいる。

 普通に考えれば危険。だけど、勇者はアレだけの力を持っていた。

 そして、人狼の方は憔悴しっぱなし。演技ではないと分かるくらい隙だらけ。

 何より、あの勇者に勝てる気がしないから、何もできない。


「私たちの…、ですか…」


 だけど、マリアは先ほどのフレデリカの言い方が耳に残っていた。

 単に、勇者はみんなの勇者と言いたかったのかもしれない。

 けれど、女神のお告げではなく、人狼のお告げをしていたという皮肉にも聞こえる。

 女神アリスの声を聴き、勇者を見つけたのはマリア。

 彼女は何処の馬の骨かも分からない。ただ、どうしてマリアだけが聞こえた声を教皇は信じるのか。


「女神さまがくださった髪…。もっと大切にしないと…」


 今までのマリアの行動を見れば分かる通り、女神の巫女に選ばれたら特別扱いされる。

 教会は特別な存在であり、不可侵の領域である。

 とは言え、その社会を形成するのは人間だ。

 領主とは関係なく、王と家臣の主従も関係なく、境界を越えて教会は税だってお布施だって徴収できる。

 そこに貴族が介入しない筈がない。

 それだけではない。身分の低い者でも女神の巫女に選ばれたら世界が変わる。

 シンデレラストーリーが始まる。


 どこそこの村に勇者が現れますと、適当に言えばいいだけ。

 いやいや、それどころか例えば、フレデリカが巫女になり、ギルガメットが勇者ですと言っても良くなってしまう。


 とは言え、マリアは何処の馬の骨かも分からぬ少女。

 とは言え、マリアがレプトを追い出そうとした、最初の作戦はなんだったか。

 モルリアを除く、全ての民の記録が入っている魔法具を使った。


「アリス様はいつでも私を見守ってくださっているのに…」


 つまり教会は、彼女が何処の馬の骨かくらいは分かっている。

 そしてルールがある。伝承に則って、紛れもない女神の巫女を選んでいる。

 だから、偽物が混ざっても意味がない。

 別の世界線と同じ話だが、マリアは女神に見られている。

 それ故、とある特徴を持って生まれている。いくつも特徴がある。

 魔法紋が独特とか、色々。そして、外見にもそれは現れている。

 女神の巫女は生まれに関係なく…


「こんなにも髪が汚れていた…なんて。…え?…あれ?」


 勇者と同じく金の色の髪で生まれる。

 両親の髪色がどんな色であろうと、どんな生まれだろうと。

 

「どう…して?」


 ソルトシティとモルリアの化学反応が生んだ、最高級の石鹸。

 魔物成分が多分に含まれているから、そのせいかと思って水のみで洗う。


美妖精の水浴びフェアリー・クリア


 呪いかもしれないと、魔物のせいかもしれないと、魔法も駆使して、髪を洗う。

 だが、落ちていくのは金の色の方。


「なんで…。こんな色…。見たこと…ない…。私は…」


 在り得ない色に変わっていく。

 ウェストプロアリス大陸でこんな色の髪は見たことがない。

 いや、そもそも人間の髪色には見えない。水色なんて…

 だが、それよりも彼女にとって重要なのは、流れ落ちてしまった金の色だ。


「アリス様‼アリス様は私を見捨ててしまったのですか?アリス様‼アリス様‼」

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