第31話 封印されし男、ダーマン
ベローナ大寺院の朝は早い。
先ずは女神像の前で今日の自分の行いを報告する。
ベローナ大寺院の夜も早いのだが、この時に再び報告するので、間違えてはならない。
「女神アリス様…。今日も拙者、女神様の為に邪念を一つ振り払いましょう」
「ダーマン様。なんですか、その人形は。女神像はあちらですよ」
ベローナ大寺院の朝食は実に質素だ。
「もう一品。いや、もう二品。いやいや、ここは贅沢を言わず、愛妻の手料理…」
「ダーマン様はご結婚されていないでしょう」
ベローナ大寺院の朝の仕事は実に過酷だ。
「トトちゃんの調子は如何ですか?こ、こ、こ、これは今すぐ心臓マッサージを」
「ダーマン先生‼ウチのトトに変なことをするの、やめてください‼最近特に機嫌が悪いんですから‼」
ベローナ大寺院の昼の仕事は更に過酷だ。
「奥様、このワーウルフは病み始めています。さぁ、早く拙者に向かって飛び込んでください」
「ううう。いつもは嫌だったけど、今日は…流石に…」
「まだです。ちゃんと抱きしめてください。拙者と一つになったと思うでござる!」
「ダーマン先生…?その…、もう大丈夫…です。その、ベロちゃんも大人しくなりました…から。ちょっと、誰かーーーー‼」
ベローナ大寺院の夕食は早い。
「ナナ様。今日こそ拙者と特訓を…」
「店長、もう時間なんでぇ、帰っていいですかぁ?」
そして夜。
「今日も勇者でありました。間違いなく勇者でした。体に巣くう魔のオーラは封印できております。ダメだ…。女神様に嘘はつけませぬ。たった一度だけ、…闇のオーラを放ってしまいました。三日…我慢したと言うのに…」
ベローナ大寺院の女神様もやはりアリスである。
アリス教皇国の教えは戒律が厳しい。ただ、こちらの女神アリスはとても優しい。
なにより、自由を尊重する考え方だ。
あぁ。女神に嘘はつけんな…
「実は三日我慢したと言うのも…、嘘でございまする…。昨晩…ぶり…。ですので今晩こそ‼」
今日一日のご褒美に、と。彼はマイ女神様像と一緒に布団にもぐった。
その敬虔な行為を行う男に、女神が慈悲を与えない筈がない。
──そして男は夢を見た。
□■□
予め決めたルート。前の世界でも同じ道。
とは言え、戦って敗れたのではなく、逃亡したという心境の違いはある。
「ポートベローナの大寺院は昔から知られている。そこで今一度見つめ直しても良いと思うぞ」
そんな心境の中で得難いものもあった。
ギルガメットに大きな責任感が生まれたことだ。
「大寺院…。寺院と教会。どう違うんだろう…」
「神は変わらない。ただ、北と違って過去の英霊も信仰の対象になっている」
「過去の英霊?勇者ということですか?」
「そうだ。だから、戦うことに己を見出すという、修行に重きを置いている」
「ま。魔物が近い生活をしているから、そうなったって話もあるけどね」
勿論、フレデリカにも変化があった。
「私もそこで色んな武器を試してみようと思うの。アークも気分転換に剣から離れてみたら?」
「そっか。色んな武器が使えた方が戦いの幅が広がるかも」
あんな殺し合いを見せられた。
その中で、アイシャの槍の扱いは見事だった。
黒狐の面も女だった。アレも舞うように戦っていた。
舞うように戦いたい。そもそも、戦い方なんて教わったことがない。
今まで、女神の恩寵でぶん殴っていただけだ。
「マリア。お告げはまだないの?」
「え…。そう…ですね。寺院で時間を潰せ、ということではないでしょうか」
「ふーん。それはそうよね。そこまで行けって最初から言われてたしねー」
後ろを振り返ったフレデリカは特に気にした様子もなく、二人との話に戻っていった。
マリアは一人、後ろをついていく形。
「どうしても…慣れません。人が死ぬところは見たくない…」
アングリアから抜け出した後のギルガメットとフレデリカの行動は、流石は王族だった。
彼らは早馬を呼びつけて、アングリアへの援助を要請していた。
逃げたことを帳消しするつもりだったのだろう。
それが功を奏し、逃げたことに関しては、大きな混乱にはならなかった。
そして、彼らが立派に立ち回る中、呆然としていたアークの背後で、そっと差し込まれた手紙。
『マリア、いつもゴメン。俺はやることがあるから、もう少し遅れる。だから時間を潰しておいてくれ。みんなにもよろしく』
お告げでも何でもない。マリア個人への手紙だった。
個人への手紙は嬉しくはあった。だけど、それはつまりあの場に居たということ。
あの煙は、彼か彼女がやったこと。いや、姿も見えなかったことを考えると、レプトが放ったとみて間違いない。
早く帰ってきて。帰る場所が無くなっても知らないわよ。
「人狼の目撃談はやはりあった。これは大陸全土に伝えるべきだろう。ベローナ大寺院も把握していればいいが」
「えっと」
「しかも、上級悪魔との繋がりを持っている。そうでしょ、アーク」
「そう…かも。そうだったの…かもしれない」
アークがレプトと過ごした時間より、彼らと過ごした時間の方が長くなった。
素直な子供は大人たちの話を真実だと思い込む。
だからなのか、それとも自分に欠けているものを見つけたいのか、勇者の血を引く二人に近づき始めた。
「それじゃ、話すね。僕と人狼レプトの出会いを…」
アークの直感は、記憶の断片だと思われていた。
だけど、後ろから聞く彼の話では、魔物を見つける直観。
実際、王国に紛れていた悪魔を見つけた時はそうだったし、アングリアもそう。
お告げがあったとは言え、彼はそれを聞く前にはアングリアに行こうとしていた。
であれば、こういうのはどうだろう。
「だったら、そのレプトってのはお前が見つけたのか」
「…それ、早く言いなさいよ。決まったようなものじゃない」
聞くだけのマリアでさえ目を剥く、人狼理論。
そして、こんな時に限って、二周目の証拠が思い浮かばない。
だから、私も少しずつ…
「アーク。私たちも寺院で時間を潰しましょう。強いて言えば、それが女神様からのお告げです」
□■□
寺院に見慣れない馬車が着いたと皆が大騒ぎだった。
なんでも、ウラヌ王家とアリス正教の紋章があるとか、あるとか。
昨晩良い夢を見た筈の私は、その夢を思い出すことに夢中で、出遅れてしまった。
「ダーマン様。如何いたしましょう」
「何故拙者に聞くでござる。もっと上の者がいると思うが」
「それが…。ダーマン様とお会いしたいと。ウラヌの王子と姫…」
「姫!…参ろう」
「変わり身早っ!…ちょっと待ってください。アリス教会からも使者が一人、それから勇者です。あの噂の…」
「アリス教会でござるか。修道士か、修道女か、男か女か」
「…お、女性の方です」
「女修道士!…参ろう」
「ちょっと、お待ちください。勇者です。あのアングリアの…、ってダーマン様‼」
「気にするな、リーマン。どうせ修行だろう。この寺院は元々勇者が大陸に渡る前の拠点として作られたものだ」
「そうは、そうですが…、あのアングリアですよ?」
「煩いぞ、リーマン。先ずは髭を剃らねば…。俺は綺麗なダーマンで行くぞ‼」
「はぁ。接写モードですか。最近化けの皮が剥がれかけていますけれど…」
「違う‼拙者モードだ」
いつも小うるさい弟子のリーマン。
逆に言えば、弟子が出来るほどまで私自身が偉くなったということだ。
そして、髭を剃りながら私は言った。
「思えば毛が生え始めた頃か。偶然見つけた『お坊さんとお姫様の破廉恥な情事』という春画を見つけたことで俺の人生は変わった」
「ダーマン様、声に出ていますよ。っていうか、そのせいで切っちゃってますよ。はぁ…、全然聞いていない。法力で治しておきますから。全く…。法力と体術が有名で凄い人って言われてたのに。僕は師を間違えたかな…」
「だが、来てみればどうだ?北の正教の影響が強いから、そういうのは良くないとか…。自由は何処に行った…。その背徳こそがエロいんだろうが」
「あー、エロいって言っちゃってるよ、この人。どうします?頭も剃っときますか?」
「無論だ。『お坊さんとお姫様の破廉恥な情事』の幻と呼ばれる第四版。お前は見ていないのか!」
「見て…いません…。すみま…せん?で、いいのかな。そ、それが剃髪と関係が」
「無論。なぜ絶版になったかというと——」
弟子のリーマンのせいで、余計に時間がかかった。
だが、弟子を取れるくらい立派にならなければ、春画『晴彦さん』のようにはいかないらしい。
だが、漸く。私はその権利を得たのだ。そして、昨晩の夢。曖昧にしか覚えていないが、女神様からのご褒美だったのは間違いない。
つまり、ついに私の時代が来たと言ってよいだろう。
そして、私は——
「初めまして。僕の名前はアークです。えっと勇者ってことになってますけど、まだまだってところで。ここで修業が出来るって聞いたんですけど」
「成程。お主が勇者。そして修行とな?あいわかった」
「え、いいんですか?まだ、来たばかりなのに」
「構わない。拙者も修行の身であるでござるからな。…そちらがフレデリカ殿下と…修道士の…」
「マリア…です。えっと…」
「俺はギルガメットだ。ウラヌの王子だが、そんな気遣いは無用だぞ」
ついに出会った。私は出会ってしまった。
マイ女神アリス様像よりも、マイ女神アリス様像をしている彼女達に。
そういえば、夢の中でも似たような香りが漂っていた。似たようなオーラを纏っていた。
「成程、成程。では、先ずは拙者の力をご覧に入れよう。さぁ、お姫様。何処からでも良いです。かかってきなさい」
「へ?私?私は…」
「ダーマン先生。妹は色んな武器を扱ってみたいと言っていた。腕試しなら俺と…」
「成程。では後程、拙者がお勧めの武器を選びましょう。その為にもお嬢さんの体付き…、いえ身のこなしを見させて頂きたく…」
この時、ご婦人はピタリと動きを止めた。
「え…。ちょっと何言ってるんだろ。お兄様、私は自分の目で見させてもらうから、時間を潰してて」
「潰…」
軽く後頭部を打たれたような気がした。
成程。どうやら私は大失敗したらしい。
私の、内なるオーラが漏れ出てしまっていたのだ。
だが、ここで引くのは、抜かぬのは無作法である。女神様への冒涜である。
『お坊さんとお姫様の破廉恥な情事』に拘り過ぎたか。ならば『晴彦さん』の外伝的存在である『尼僧とお坊さんの秘密』を先に味わうとしよう。
「それではそちらの修道女。同じ神に仕える者同士、北と南。その違いを皆さんにお見せしましょう‼」
「え?私、ですか?ちょっと…、私はまだ…」
「なはは。とかなんとか言いながら、体の方は反応しているではないか」
右手を出せば、弾かれる。
左手を出しても、やはり弾かれる。
そうなのだ。尼僧も体が清らかであり続けなければならない。
特に北の教えはそう。…なんと、彼女も金髪。これはこれは。
マイ女神像はこちらであったか。
「まだ。戦うとかそういう心境じゃないんです‼」
「嫌よ嫌よも…か。ならば、もっと行くぞ。人間の弱点である心の臓、そこに女神様はいらっしゃる…」
私の魔が止まらない。私の鍛え抜かれた右腕がシスター服の先を見通している。
成長している彼女の…。弾かれる?その程度で?この私の右腕が弾かれる訳がない。
その程度で…、この私の情熱がぁぁぁああぁあああ
「私は、…ひ……まを潰す為に来ただけです‼」
更に弾かれる手。私は目を剥いた。
そして、耳朶を震わすあの言葉を聞いた。耳朶だけではない。
背筋が凍り付いた。そも、この女の動き…、私は知っている。
どこかで——
□■□
「——嘘でございまする…。昨晩…ぶり…。ですので今晩こそ‼」
今日一日のご褒美に、と。私はマイ女神様像と一緒に布団にもぐった。
私の中には魔物が住んでいる。私はその邪気を纏い、人形を撫でる。
そして、封印されし右腕の力を解放したのだ。
——その時。
「女神様。女神様。世界で一番美しいと言われている女神様」
「…っと」
「東の大陸に住まう彼のエルフの始祖と囁かれる女神様。私は…。私はぁぁあああ‼」
「ちょっと」
声が聞こえたのだ。
声だけで麗しいと分かる女の声を聴いたのだ。
「…女神…様?」
「一人で発電中の所悪いんだけど、先生に頼まれたので」
私を先生と呼ぶ者。だが、その目は私をゴミムシのように見下すものだった。
暗がりの中でも分かる、キラキラとした髪と綺麗な瞳。何色かは分からなかったが、形だけで彼女が女であり、素晴らしき体つきをしていることが手に取るように分かった。
何より、私は女神さまのご降臨をずっとお願いしてきたのだ。
「女神様‼ついに私と床を共にする気に…」
私は飛び起きた。その瞬間、吹き飛ばされる私の体。
あぁ。これが女神さまの力。女神さまの足。女神様に蹴られた私。
「はぁはぁはぁ。この痛み‼これが…悟り…か」
「そんなわけないでしょ‼」
バンと殴られる顔。当然だ。悟ってなどいない。私はまだ至らない。
そこには至っていない。
「私はまだ、イっていません。途中でした…から」
更に殴られる。とは言え、修業とはこういうもの。痛みを伴う修行は北では行っていない。
だが、こっちでは当たり前。だからこその女神様。
「先生…どうしてこんな男に。私を試すためというのは分かるんだけど」
「た、た、た、試させて頂ける…。つまりそれはぁ‼」
右手を出せば、弾かれる。
左手を出しても、やはり弾かれる。
右足を出しても、左足を出しても…
それなら‼この封印を解かねば——
「私は先生です。では、先生が女神様に男を教え…、か…はぁぁぁあああ‼」
その瞬間だった。
女神は私の封印されし、陰と陽の宝玉をお掴みあそばされたのだ。
一瞬の快感と共に飛び出す冷や汗。内臓を抉られるような感覚。
そして鼓膜の奥底に届く、女神の声
「潰す…わよ。ねぇ、知ってる?」
流石は女神さまの御手。私は魔法が掛けられたのか、息をすることも出来なくなっていた。
女神さまの吐息、そして
「女性の平均握力は25㎏を少し越えるの。そしてあなたの大切なものが潰れる力はその少し下」
「…‼く…ふ…ぅぅぅ‼」
どうにか息をする。女神さまの真意を読み解き、その大切なものを…
「これは偶然じゃないの。丁度、潰せるように女神は作ったのよ」
「な…、なん…と。流石は…女神…さ…」
「動くな‼本当に潰すわよ‼」
全身を襲う猛烈な痛み。それは本当に私という存在を潰すもの。
流石は女神様。彼女に触れるなんて…
口からあぶくが出るのを感じながら、私の意識は遠のいていった。
その時、聞こえてしまったのだ。
「それ以上はやめとけ。本当に使い物にならなくなるぞ」
「先生。本気ですか。こんな男を連れていくなんて」
痛みのせいで内容は頭に入ってこなかった。
「あぁ。何がどうなっているのか分からない。だから今は同じ道を通らせる」
「でも、先生。とんでもない噂を流されてますよ」
「裏で動くにはちょうど良いよ。あー、でもそうか。コイツも…、あ、ちょうどアシュリの葉を持ってたんだ。まさかこんなものまでモルリアに来てたなんてな」
「先生。普通に盗んでましたよ、それ」
いや、内容なんてどうでもいい。
男の声がする。つまりこれは…、
女神アリスの後ろには男が…い…る…
「どうやってたっけな。イザベルのように上手くはいかないと思うけど…」
それだけで私の心を刈り取るには十分だった。
だから、ここで私は意識を手放した。何かが蠢く気配を感じながら。
「レプにゃ。もう、日が開けるニャ」
「私たちは先に行っているわよ」
「あぁ。そうしてくれ。俺たちも直ぐに行く。…サラド台地にな」
□■□
「…かは‼」
目の前には半眼の修道女がいた。
彼女は女神アリスの声を聴く者。つまり…、さっき彼女は
——私は、…たまを潰す為に来ただけです‼
と言ったのだ。
だから、私は彼女に払われた手を床につき、剃りたての頭も床に擦り付けた。
「どうされた…のですか?突然、土下座なんて…」
「もももももも、申し訳ありませぬ。た、たまだけは…。いや、棒の方も‼こ、これからは心を入れ替えてお仕えすると、心に誓いますので‼」
「それって、僕たちの仲間になってくれるってこと?」
「そ、その通りでございます‼つつもた…、いえ。勇者様。心を入れ替えるとお約束いたします‼」
冒険の問題児ダーマンを見逃すほど、二周目レプトは甘くはない。
今回は、そんなお話。
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