第29話 迷子なのは誰
アングリアに魔物が襲来したという情報は、風よりも速く伝わった。
だから、前の世界通りに事が進んでると思って、アークパーティは東へ走っていた。
「なんで私がこんな目に遭わなければならない。この町は魔物を歓迎していたのに‼」
「どうして、ニャオニちゃんがあんな凶暴に…」
街に近づくたびに、逃げ惑う人が増える。
どうやら大悪魔の接近と共に、魔物も凶暴化したらしい。
「やはりな。自分たちの飼い主に価値がなくなった瞬間に裏切る。魔物とはそういう生き物だ」
「これはどの教会、どの寺院にも伝わっていることだというのに…」
「大丈夫よ。根回しはちゃんとお父様がやっているわ。勇者の行動を疑問視する人間に、こういった警告はしていた。だから、自業自得よ」
「駄目だよ。フレデリカさん。皆、怖がっているんだから」
「はぁ。そうね。それじゃあ行きましょう?あの狐面には勝てなかったみたいだけど、本当に大丈夫なんでしょうね?」
「そんなの…、関係ないよ…」
議員の三分の二が、魔物との共生を望んでいた。
そして、残りの三分の一は商売がうまく行っていない連中だった。
この一件で、殆どの議員が魔物反対派に回るだろう。
見事解決すれば、全員が勇者を支える派閥になるだろう。
「勇者様が全てを解決すれば、何も問題ない。そうだろ、マリア」
「…解決できれば、の話ですが。それは間違いないです」
対策なんて出来ない。そう言われている。
とは言え、見事に打ち倒せば。少なくとも遠ざけることが出来れば、勇者の懐はかなり満たされる。
それだけの黄金をモルリアは持っているのだ。
「しかも勇者アークはアリス教国所属。座っているだけで有名な猊下も、その腰をあげるでしょうね」
教会が後押しすれば、ゴールドロードと呼ばれる魔物を用いた海洋ルートにケチが付く。
「伯母の領地から船で行ければ良かったんだが、船の多くはアングリアで止まるらしいんだ」
「どの道、あそこからでは魔物の力を借りなければ船が出せませんけれど」
その為に魔物を用いないで渡れる船を探す。
イーストプロアリス大陸と最も近いのはポートアミーゴという大都市。
前の世界でのアークたちも立ち寄ったと考えるべきだ。
「やけに混んでる、人が多いな」
ギルガメットが言う。
だが、近づくほどにその人ごみの違和感に気付く。
「祭りでもやっているのかしら‼真ん中で踊り子って。いいえ…」
さっきまで逆方向に走っていたのに、正面の顔しか見えなかったのに、背中を向けている集団がいる。
ということは戦っている?そう、戦っている。人間と戦っている。
「槍使い。みんな、急ごう!」
先ほど仕入れたばかりの情報だけど、槍使いの少女。
赤毛という話も聞いている。踊り子としても成立しそうな体裁きだった。
槍を振り回したかと思えば、槍を軸にして自らがぐるりと回って、文字通りの回し蹴りをする。
「だけど、あれ。戦ってるの人間…じゃない?」
「なにか嫌な予感するな。あちこちで人間が人間を襲っている」
「そう…いう…こと?」
ザパッ‼
戦少女が彼女の身の丈よりもずっと長い槍を振り回すと、彼女の周りの人間らしき何かの胴から上がなくなった。
そのおかげか。それとも彼女の動きに目を奪われていたせいか。
視界が一気に広がった。その奥、いや自分たちの足の下には赤い絨毯が敷かれていた。
勿論、それは液体の絨毯だったけれど。
「君がアイシャ…さん?」
赤い絨毯は彼女の足の上にもあり、その絨毯は更に奥へと続いている。
ここから300mくらい先まで続いている。
「ももも、もしかして勇者様ですか⁉」
陽気なのが滲み出ている顔の、可愛らしい少女の声。
「うん。そうだよ。えっと…」
「わたし、勇者様を探してたんです‼」
彼女ではない。彼女はアイシャ・バレットに違いない。
聞いていた容姿と一致する。それに人間にしか見えない。
問題は、その先に居たのは女。
真っ赤なドレスを着た、真っ赤な髪の女。
その髪、そのドレスの裾は、敷かれている液体の赤い絨毯と繋がっている。
「ひ…」
マリアの足が震えた。
間違いない。アレは強い者…
「勇者…様。いえ、アーク。…やっぱり私たちでは」
ずっと言われていた話。
彼はハッピーエンドな未来からやって来たと言った。
それが何かは知らないから、いつも首を傾げてしまう。
「勇者様!勇者様!初めまして!わたし、アイシャって言います。アイシャ・バレットと申します‼」
「やっぱり、君がアイシャ…さん。」
弱肉強食の世界にハッピーエンド?
弱肉強食は人間の世界でもそうかもしれない。
強者が弱者を食う、勿論文字の意味のままではないけれど。
「はい。わたしがアイシャですよぉ。わたし、勇者様のファンなんです‼」
飛び散ったのは人間?それとも他の何か?
少なくともアイシャが強者、彼女を相手していたのが弱者。
その強者が、何故か更に強い者に向かって歩いていく。
「お、お前。待て!そっちは…」
ギルガメットも立ち尽くす。フレデリカも同じく。
そして、勇者アークも立ち尽くしていた。どうして彼女が朗らかな笑みを浮かべて、こちらを見ながら足を後ろに、一歩、また一歩と下がっていくのか。
「でも…。この町の人達は殆ど殺されてしまいました」
それも笑顔で言う。
「ここは弱肉強食の世界です。弱肉強食の意味、それは弱者には選べないって話でしかないのです。強者は選ぶことが出来る。食べることも、殺すことも…」
やはり笑顔のまま。ゆっくりとあの赤い悪魔のところまで彼女は行ってしまった。
そして、色々な意味で血の気の引く美しい女は言った。
「そして、飼いならすことも…ね?ここ、人間の言葉だとモルリアっていうんでしょ?ここと同じ…、いやぁ。全然違うわねぇぇええええええええ」
とんでもない魔力に立ち尽くした足が、逃げろ逃げろと訴える。
泳いでいる瞳が、見るな見るなと暴れ始める。
「勇者様。勇者様。是非是非―。わたしのぉ、ご主人様のぉ…、レイネリア様に付き従ってくださいましぃぃぃいいい‼」
赤色の髪、本人は気にしていたかもしれないそばかす。
大袈裟じゃないそばかすは、寧ろチャーミングと言える。
ただもう一つ、八重歯特性を貰ったから、そっちの方に目を奪われる。
アレは最初からそうだったのか、それとも…、徐々に伸びてきたのか。
「吸血鬼…。ブラッディ・レイネリア。地元住民の避難が難しい理由…。それが…彼女?彼女は意志を持つアンデッド?」
「何言ってんのよ。シスターなら分かるでしょ?いや、アンタたちも相当なガキ‼だから分かんないかぁ。アタシはペットに優劣をつける主義なの。侯爵、伯爵、子爵、男爵…みたいに、ね?」
アイシャの赤茶色の髪の毛が、ただの茶色に見えるほど赤い。
赤い女。眩しすぎて目がちかちかする。赤色が目に眩しい時は、緑色を見るとよい。
だけど、辺り一面赤だらけ。いや、血だらけ。
「人間の真似事ね。そんなの私たちは当たり前にやっているわ」
「ねぇねぇ。勇者様ぁ。どっちが正しいと思う?わたしのご主人様はぁ、力で階級をつけてる。でも、そこの二人は生まれだけで階級をつけてる。ねぇ、どっちが正しい主従関係?」
「え。そんなこと言われても…。と、とにかく駄目だよ。アイシャさんは僕たち」
「アーク。言わされているだけだ。彼女はもう…」
「私たちは女神アリスの名の下に平等です。それに私たちは魔力で操ったりはしていません。
「ねぇねぇ。女神の恩寵って操る力とかはないの?あはっ。でも、一緒かな。勇者様は、女神の恩寵で三人を従えているんだもんね!だから素晴らしいんだもんね?」
ここで少年は目を剥いた。
マリアもギルガメットもフレデリカも同じ。
女神アリスの力を受け取るのが勇者パーティ。それはアークを通して行われる。
前の世界のアークのことは分からない。でも、今の関係はあの怪人と同じではないのか。
「そんなことないわ。アークは裏表のない良い子よ。それに命を懸けてここに来たの」
「だが、アーク。アイシャは諦めろ。今の俺達には勝てない。それはアイツを見た時に分かっただろ」
何も言えないマリア。
そして息を呑み、頷く少年の勇者。
「アーク。今は…、どうか私たちに従って…。私たちにとって貴方は希望なの」
「僕が?それとも選ばれたのが偶々僕だったってこと?」
「偶々かどうか、それはお前自身が決めることだろ‼」
「そうです。ここまで頑張ってきたではありませんか‼」
「でも。でも。そういえば、どうして僕は…」
パンッ‼
「え?何?」
ここで突然の破裂音。
前方から乾いた音がして、周囲一帯を煙が包む。
街はあんな状態。意識を持つが支配される者、意識を失ったまま支配される者、とにかく暴れまわる者。
それが彼女の言う、階級分け。それらの混乱が引き起こしたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
でも、一番高い可能性はやっぱり彼。
だが、今はとにかく。
「今しかない…」
「あの悪魔、襲ってくるようには見えませんわよ」
「あぁ。分かっている。アーク、考えるのは後だ‼」
「え、でも。アイシャさんが…」
「アンデッドには見えなかったわ。力を蓄えて彼女を助け出すのよ‼」
「う…、うん」
アイシャの言葉に、素直な勇者は迷い始めてしまった。
彼が選ばれたのは間違いない事実。言葉を聞き、マリアが彼を見つけたのだ。
今までだって、頑張ってきたのだ。これからも戦って、その中で意味を見出せばいい。
ただ…
こんな展開は聞いてない。私たち
死んだと言えるかもしれない。それに確かに街は襲われた。
だけど、想像していたものと全然違っていた。
「とにかく逃げるんだ‼」
ギルガメットは呆ける勇者を抱え、フレデリカは全員に補助魔法を与え、マリアは後方を意識しながら、真北を指差して走り続けた。
靴にこびりついた血液。それが点々と続く。少なくともその血の足跡が消えるまで、三人は走り続けた。
「待ってよ‼聞かないと。レ…」
「勇者様‼私たちも迷っているのです‼」
「でも、どこまで走るんだ?」
「どうするの?次は何処に向かえばいいの、女神の巫女さん」
「南です‼」
「はぁ?俺たちは真北に向かってんだぞ」
「だから寺院です。寺院に行くしかありません‼元々、そういう予定なんですから‼」
ここまで来れば、表面上は前の世界と同じに見える。
とは言え、頑張って文章にして、纏めて口に放り込んで、呑み込んだだけ。
結局、指示され過ぎて、みんなは迷子になってしまっていた。
□■□
同刻。
「あれが…、勇者…ね」
ブラッディ・レイネリアはつまらなさそうに血ふぶきのような息を吐いた。
そして立ち上がる。立ち上がった拍子で、血の絨毯が彼女の一部である血のドレスに戻っていく。
【
という、彼女固有の魔法である。周囲の血液を操れる恐ろしい魔法。
そこに鳶色の髪の男と、黒狐の面を被った女が現れる。
「あそこまでやれとは言ってない」
「誰にモノを言っているか分かっているの?…いえ、アンタは分かっているのよね。全く、意味が分からないわね。ほんと、この世界はどうなっているのかしらねぇ」
スカートの裾は、地面と一致したところで止まる。
とは言え、歩くと彼女の素足がちらりと見える。
それは今目覚めた男たちにとってはご褒美か、それとも今までの方がご褒美か。
息をしていた者、全員が彼女の動きに付き従う。
「何処に行くつもりだよ。ここをどうにかしてくれ。少なくともアイシャはお前の下僕じゃねぇぞ」
「知ってるわよ。アタシの魔法は解いてるわ。でも…、どうだろう。美しすぎることが魔法というなら、それは」
「大丈夫か、アイシャ」
「…この男、アタシの話を」
「だ、大丈夫。でも、あの感覚が忘れらなくて、血が湧いて肉が躍って…」
「そっとしときなさい。アタシの血が完全に抜けるにはもっと時間が掛かるってだけ。それじゃあね、どこかの誰かさん」
レイネリアは真っ白な手を真上にあげた。
まるでサヨナラの挨拶をしているようだが、その指先から赤い糸が真上に飛ぶ。
それが、偶々飛んでいた『デスコンドル』に触れ、あっという間に女の体が吸い込まれていった。
「あああああ、レイネリア…様」
魔法は解けても、彼女の魔力に触れた血液が代謝されるのはまだまだ先。
自我を失ったものほど、解けるまで時間が掛かる。
「…うーん。レイネリア様、わたしも連れて行って欲しかった…。魔物ってやっぱり共存できるってことかなぁ」
殆ど自我が残っている者さえ、こう言ってしまうレベル。
この世界のおとぎ話や怪談には、時々赤い女が登場するが間違いなく彼女のことを言っている。
それくらい人間の心を惹きつける悪魔。
「何を言ってるんだ。アングリアの住民の三分の一は実際に殺されてんだぞ。しかも、アイツ一人にだ」
「え…。嘘。アレは夢じゃなかった…んだ。だけど、今は怖いとか、憎いとか思えないかなぁ。あ、どこ行くの?」
レプトが歩き出すと、リンも歩き出す。
彼らが向かうのは東。やるべきことは決まっている。
とは言え。
「…どうなってんだよ、この世界」
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