第28話 女黒狐忍者

「北側からは海洋ルートが確立しにくい。ドラグーン島は北を周るも南を周るも地獄だからな。だが、モルリア地方はその影響を受けない。とは言え、長距離の航海は困難だ。海の魔物の存在も厄介だ。」


 ギルガメットが南の海を行く船を見ながら語る。

 アークは初めて見る巨大な輸送船に目を丸くしている。


「あの船でイーストプロアリス大陸に行くのか…。あんな大きな船がなんで水に浮かんでいるんだろ」


 目をキラキラさせながら、水平線を眺める勇者。

 まだ、この後の選択を知らない無垢な少年だ。

 時折、聞いていますとチラッとギルガメットを一瞥するが、本当に頭に入っているのかは怪しい。


「そこで魔物との共存が要となる。魔物はどうやら魔物同士で会話が出来る。人間だけで航海するよりもずっと安全らしい。と言うのが、モルリア諸侯連合の言い分だ。北と西の一部しか海を持たないウラヌ王国としては頭が痛い問題でもある。」

「私が嫁ぐ予定だったサラドーム公国は、魔物との共存を許さないという顔をしつつも、モルリアと協力してイーストプロアリス大陸の南東にフォニアっていう植民地を持っているのよ。ほんっと、勇者にならなかったら、嘘つき国家に嫁がされるところだったわ。そもそも、爆弾を抱えているって気付かないのかしら」


 モルリア諸侯連合は、魔王が復活する度に魔物が狂暴化して、ほぼ壊滅している。

 だけど、海洋ルートが齎す黄金が人間を呼び寄せる。


「アーク。感動している場合じゃない。俺たちの行動が遅れれば、魔王軍はモルリアを拠点にウェストプロアリスの征服を始める。…だから、ウラヌ王国は魔王を封印せずに、滅ぼしたいと思っている」

「あれ?封印と滅ぼすって意味が違うの?」

「全然違うわ。封印だと、魔物はただ力を失うだけ。滅したら魔物は二度と現れないと言われているの」

「邪神エリスの力を断ち切れれば、女神アリスの光が満ち溢れる。そもそも勇者はその為に選ばれる、と言われています。人間たちにとっての楽園が待っている、と」


 魔王が消えたら、海の魔物も居なくなる。龍も居なくなるから北ルートも開拓できるかもしれない。

 但し、火山と氷山を潜り抜けた先に待つのは、極夜地帯だけど。


「でも、そんなに簡単に割り切れないのがモルリアなのです。だからモルリア諸侯連合は二分しています。…って、私が口を挟むのはダメね」

「エリサ様はどちらなのですか。どうやら牧場の半数が魔物のようですけど」

「議長である私の姿がモルリアなのよ、フレデリカちゃん」


 ギルガメットと同じ赤い髪の毛の女。彼の母の姉であり、モルリアの盟主。

 彼女の家で一度落ち着くのは予定通りだった。


「そういうことでしたのね。一応、どちらに転んでも良い…。良く分かりました。では、私たちへの協力も惜しまないわけですわね」

「…んー。でも、私から強くは言えないの。既にその時期は過ぎてしまったみたい。私はただのお飾りね。私を盟主にしておけば、王家からお目こぼしがあるという考えだったのだけれど、議員の一票は一票でしかない」

「フレデリカ。伯母様にあたるな。こうして、休めるだけ有難いと思わなければ。…エリサ伯母様、妹が失礼を言いました。」


 品の良い女は笑顔を絶やさない。

 彼女だって今、窮地に立たされている。


「いいえ。今の私に出せるのはベッドとお洋服と、少しだけの茶葉とお菓子だけ。せっかく勇者様が来てくださったと言うのに」

「凄く美味しいです‼とっても甘いです‼こんなフルーツ見たことないです‼」


 さっきまで海を見ていた少年が、いつの間にかテーブルで甘いものを頬張っている。

 レプトの記憶の中、ギルガメットは祖国の為に戦っていた。

 フレデリカもそれは同じ。マリアも同じ。アークだけが違う。


「えっと…。お坊さんがいるんだっけ。どの辺りかな」


 オーシャンビューを眺めながら、贅沢にも甘いものを食べている彼。

 それらがどういう流れでここにあるのかも、今の彼には分からない。


「アングリアを通って行くのかしら。確か、アイシャちゃんが勇者様に会いたいって言っていたわね」


 勇者様以外の手が止まる。両肩も飛び上がる。

 まだ、あの話が出来ていない。一先ずは基礎知識からと思ったから。


「アイシャさん?ってどんな人?」

「そうなの。アングリア地方の一領主の娘さんなんだけどね。今では私の領地と取引をしてくれるのはバレットさんくらいで、よく遊びに来ているの。ベローナの寺院って武道もやっているんだけど、そこで槍術を勉強したんですって。ほら、あそこの壁に傷があるでしょう?」


 指をさされなければ、気付かない位置にある壁の傷。

 少年が座っている場所からだと、海が眩しすぎるから手で庇を作って見上げる。


「凄い。あんなところまで届くのか。僕、槍は習ってないから良く分からないけど、凄いっていうのだけは分かる。ね、マリア様。もしかしたら…」

「そ…、その前に勇者様はお勉強をしましょう。モルリアの特殊性は理解しましたよね?」

「魔物と共存しているところ。でも、もうすぐ手におえなくなっちゃう…」

「そう。も、もしかしたらアングリアに魔物が大量発生するかもしれませんよ」

「アングリアは大きな町で、モルリア諸侯連合の議事堂もある。あそこは人口が多いからな」

「…それなら急がないと‼」

「待ちなさい。この地域の人たちには良い勉強になるかもしれない。少なくとも教会と王国の考えは同じでしょ、アーク」


 突然始まったアイシャの話。

 マリアは勿論知っているが、二人は知らない。

 だけど、アイシャなんて名前、よくある名前。偶然と済ませても問題はない。

 だが、マリアが伝えた四天王の一人、ギャスターが化け物だという話。

 今でも意味の分からない強さだと聞いている。


「ここから見ると良く分かるな。避難する場所がない。沿岸一帯が地続きの街だ」

「みんな?…何を言っているの?」


 そしてここで。…少年の目が見開かれる。瞳孔が大きく広がっている。

 本人は無自覚だが、魔物を察知する嗅覚は持っている。勘だけは鋭い。

 それが今の彼。それに…


「魔物と共生するとかしないとか、意味は分からない。だけど、僕たちは勇者だよ。逃げるなんて絶対にしちゃいけない」


 寧ろ、彼の方がまとも。勿論、女神に選ばれた勇者として、という意味で。

 最初から、この選択肢に意味はない。

 話題に出た瞬間から、答えは決まっている。

 そもそも、ダラバン領に立ち寄った行為は、タダの保留。寧ろ前進してしまう保留。


「それは…その通りです。ですが…」

「アークが死ねば、ここだけでは済まないんだぞ」

「自分の命の重さを考えなさい」


 シスターは振り絞って声を発した。ちゃんと二人も理解してくれる。

 そして、ここであの選択肢の真意を理解する。

 アークに見せないという行為に意味はないのだ。

 人々が抹殺されると知って、アークに黙ってここにも立ち寄らずに真東に向かう。

 そんなことが出来たら、苦労はしない。ここに居る三人だって、使命を感じているのだ。


 つまりアレは女神の巫女としての私の…

 勇者の仲間としての俺の、私の、覚悟を問うていた…


「みんな、行こう。見て見ぬフリなんて、皆らしくない。それに何となく分かるんだ。あそこに何かが待ってるって。アイシャさんに会ってみたいし」


 この勇者を命を賭けて守ること。

 選択肢なんて最初からなくて、たった一つの指示しかなかっただけ。

 この指示をいきなりしたくなくて、羊の毛の話を書いたのだろう。

 マリアはそう考え、自らの成長中の胸に手を置いた。


「勇者様をお守りします。ですから…」

「え?いやいや。もう、マリア様もギルガメットもフレデリカさんもかなり強いと思うよ。だから大丈…」


 ザッ‼


「大丈夫…。痛っ…。え?痛い?」


 風が切れる音、そしてアークの頬に痛みが走った。

 そして、昔アイシャが付けた傷の少し下に、矢尻が現れた。


「本当に…大丈夫?」


 窓の外から女のような声が聞こえた。


「エリサ伯母様‼隠れてください。魔物かも知れません」


 ちらと見えた後ろ髪。黒い髪。

 もしやとは思った。だけど、気配が全然違う。


「外に言ったわ‼」

「うん。あの人。凄く強い…」


 頬の血をダラバン領で頂いた洋服の袖で拭い、少年が先ずは飛び出した。


「一体、何なんだ。俺たちも行くぞ。」


 ギルガメットもフレデリカも彼女を知らない。

 だから、当たり前の行動だろう。マリアも迷いながらも追う。

 三人は少しだけ遅れた分、異様な人間と対峙する勇者の後ろ姿に追いつくことになる。


「何、あの恰好…。人間…よね?」


 異様なのは体の形ではない。大きさでもない。

 恐らくは女、彼女の服装。忍び装束と言うべき漆黒の服。

 一番異様なのは。


「狐の仮面?」

「黒の狐?…もしかして狼かしら」


 それがある魔物を連想させるには十分だった。


「人狼…か」


 顔側を覆う仮面。後ろは黒い髪が上の方で結われている。

 黒くて美しい髪、身の丈。多分、リン。だけど、別人。魔法紋も恐らく変わっている。


「本当に大丈夫?それを試す。でも、一対一で…。お願い…します」

「分かった。僕が相手になる」

「ふぇ…?勇者…様が?」


 って、絶対にリンじゃないの。アイツ、何を考えているのよ。それにリンは…


「…分かった。戦う。何処からでもいい」

「女の子だからって遠慮しないから‼」

「おい。アーク‼一人で突っ走るな‼」


 と、言ったところで、止まる彼ではない。

 山で修行って言ったって、アークにはぬるいモノだった。

 思い切り体を動かしたかったところに、強い奴がやってきた。


「判断は良い。でも、これ。躱せない」


 仮面の女が右腕を振ると、そこから黒い何かが飛び出した。

 アークは飛んできた四つの黒い棒に、いきなり選択を迫られる。

 そのまま当たると、どうなるか。屈んだらどうなるか、上に飛んだら…


「あ。ここは下…、うわぁ‼」


 仮面女がトンと大地を踏むと、そこから地面がせりあがって、勇者は前向きに転んだ。

 そして、真上から数本の矢が、彼の顔の横、脇の下、股の下をすり抜けて地面に刺さる。


 ここでザッと飛び出した短剣持ちの女は、少年の頭に切っ先を突きつけた。


「足りない。…全然足りていない」

「待てよ‼今のはどう見ても罠だろ。お前が卑怯な戦い方をしただけだ‼」

「そうよ。上に矢も放ってたし、地面にも細工。全然フェアじゃないわね」


 だが、やはり。リン。そして戦い方はあの男。

 彼が拉致した女、流石に今のを見たら間違いないと確信が持てる。

 マリアだけが気付いたのか、アークも気付いたのかはさておき。

 女は言う。


「私が外に居たことは知っていた。私が誘ったのも知っていた。考えたら分かる罠。進歩がない。まだ、…足りない。それでも…行く?」

「行くに決まってる。僕は追いつかないといけない…」


 マリアは気付けたと言った。だけど、リンとはあれ程に戦えたのか。

 アークが飛び出したとは言え、罠の全てを有効的に活用した。


「そう。流石、勇者様です。…急がないと間に合いませんよ」

「うん。分かってる。そんな気がしてた。ありがと。目が覚めた…」


 そして、飛び起きて走り出す。


「おい‼一人で勝手に…。クソ。俺たちも行くぞ」

「先が思いやられるわね」


 ギルガメットもフレデリカも彼を追いかける。

 一歩遅れて、半眼でお面を睨みながらマリアも続く。


 だが、その仮面の奥で。

 

「足りない。それでも…行く?あれは彼に言った言葉ではない。…気をつけて」


 シスター服が跳ねる。視界が歪み、転びそうになった。


「あ、貴女!」と言った頃には彼女は消えていた。


 これも女神のお告げ。分かっていて、それでも止められずに勇者がやられた。


 私たちも…足りていない。これからが本番…なのに


「マリア‼遅れてるわよ」

「は、はい‼」


 怖い。とても怖い。それでもマリアは走り出した。

 仲間と共に、勇者様を守るために。

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