第20話 闘技場の決戦(上)

 二か月半が経った頃の朝食。

 食事は基本的に朝だけ。皆、気絶か疲れ切ってしまうので、夜は食べていない。

 勿論、周囲で暮らす人たちは晩飯もちゃんと食べているが、基本的には芋と豆の料理。


「はい。これを貰って来たよ」


 そこでブレン以外の手が止まった。

 ブレン以外の目にはいつの間にと映っていたらしいが、レプトは気にせず、封筒の一つをブレンに放り投げた。

 彼はそれを巧みに箸で掴みとり、迷惑そうに鳶色の少年を睨みつけた。


「ワシが客席?」

「って、もう読んでんのかよ。その箸にまで神経通ってんのか?」

「レプト、それって先生も闘技場に?」

「アーク。先生と呼ぶなと言っている。お前は表の存在だ。ワシは裏の人間。しかも」

「ブレンの名は知れ渡ってる剣聖って意味でもならず者って意味でもな。でも、今回のブレンのおっちゃんは客席で剣聖の方だ。剣聖ブレンの弟子、勇者アーク。その対戦相手がウラヌ国王子ギルガメット。金がある奴は絶対に見に来るカードだろ?」


 レプトが煽ったからとはいえ、闘技場周辺は既に盛り上がっている。

 彼の記憶よりも五倍、いや十倍の盛り上がりだった。

 なんせ、ただの余興ではなく本気の戦いだ。確かに噂は流したが、尾ひれも背ひれも、それどころか腹ひれも角も触覚も足さえ生えて、ウェストプロアリス大陸を走り回ったらしい。見なければ、この時期に生まれた価値無しとまで言われている。

 勿論、ソルトシティにも同様の噂が流れていたが、あっちはレプトの話の方で盛り上がっていた。


「けっ。看板役じゃあねぇか。テメェは出るってのに、お預け喰らった気分だよ」

「いいだろ。俺が勝ったら、ソルトシティの自治権をくれるって話だ。オッちゃんが面倒見てる奴らもそこなら安心して暮らせる筈だ。」

「は?い、いつの間にそんな話に…」

「てめぇらが寝た後、いつも姿が消えてやがったぞ。どうせ、そん時に交渉してきたんだろう?」

「ったり前だろ。アークは勝ったら王国の全面的な協力が約束されてる。で、俺の場合は負けたら…、モルリアが責任を以って、ソルトシティを解体しろってさ。だったら、勝った時はって話になるだろ。アングリアの要人の名前を適当に出して、約束させといた」


 皆が驚愕するが、これはアークの顔色が蒼く変わる話。

 だって、レプトと戦う男はアークが指名してしまった。

 こんなことになるなら、もっと弱い人を指名すればよかった。


「…そ、そんなことに?僕が決めたヒト…、絶対に強い…」

「ウラヌ王国騎士団長。ガラム・ルービッヒ将軍でしたよね」

「あぁ…」

「ガラム・ルービッヒ…?」

「師匠…。行っちゃうんですか?わた…私、たちは…」

「その辺はぬかりねぇよ。何席か用意してもらった。勿論、オッちゃんの隣な」

「全く。用意の良いことだ」


 そして、ここでレプトがドンと机を叩いた。


「だからオッちゃん。頼むから、余計なことはしないでくれ‼」


 真剣なまなざし。それで何かがあると分かってしまうほどの。

 ブレンはここでは死なない。だけど、少しずつ歯車がズレている今。

 何があってもおかしくない。


 美丈夫は何も聞いていない。だが、うろんな目つきで数秒睨み、大きなため息を吐いた。


「はぁぁ。分かってるよ。弟子の晴れ舞台を台無しにゃしねぇ。ドカッと座てみててやるから、安心して戦え。二人とも、な」


     □■□


 歴史上、最も凄惨な魔物の急襲に出会した勇者様と、ウラヌ王国の王子ギルガメットが闘技場で戦う。

 その凄惨な大聖堂での虐殺事件も噂になっているというのに、闘技場周辺は人間でごった返していた。

 

「っていうか、こんなにあの建物に入るの?」

「無理でしょうね。私たちは関係者用の道からあっさりと来れましたけど」

「チケットの転売屋もいる。もしかしたら入れるかもしれねぇって連中と、雰囲気だけでも味わいたいって連中が集まってるんだろう。それにずっと建物に籠もってたんだぞ。今日くらいは騒ぎたいだろ」

「…でも、私は怖いです。勇者様」

「だ、大丈夫…だよ。僕もいるし、せんせ…ブレンもいるし、みんなもいるし」


 そも、ブレンのせいで近くに誰も寄ってこない。

 彼が死ぬのはサラド台地。しかも、一人飛び出した勇者アークを庇ったことが致命傷。

 そうでなければ、あの程度では死なない。だからこそ、勇者アークを傷つけた。


「どした、オッちゃん」

「いや。久しぶりすぎてな。右も左も分からん」

「大丈夫かよ。マリア様、リン。ちゃんと見ててやれよ」

「分かってます」

「だ、大丈夫…だと思います」

「それじゃ、行こうか。勇者様」

「うん。頑張ろうね、レプト」


 そして、言うなれば剣闘士は専用の通路を歩く。

 言うなればレプトは前座だが、同じような前座が何人かいるらしい。


「前座か。まぁ、前座だよな。すげぇ小さな字と小さな姿だったし」

「でも、気を付けて」

「分かってるよ。アークの直感だ。何かあるってことだ」


 アークとギルガメットの肖像画が百とすると、レプトは五、他の二組はコンマ1。

 その二組はどんな気持ちで参加するのだろう…、と思ったらガチガチに緊張した面持ちで部屋の隅にいた。

 そして、将軍様はどこにもいない。勿論、王子も居るはずがない。


「お、今日はよろしくな。俺が」

「知ってるぞ。レプト、お前のせいなんだからな」


 一応挨拶をと言ったところで、突然キレる四人。

 元々、闘技場の開催は決まっていたから、その参加者だったのだろう。

 もしかしたら前座ってレベルじゃない人気剣闘士だったのかもしれない。

 それが、あんな扱いになっていたら、心中穏やかではないだろう。


「いや、それは話の流れで…。悪かったって」

「悪かった?それで済まされると思うなよ?」

「えぇ…。そこまでブチ切れること?」

「あ、アナタは勇者…様。…そうなんです。僕たちは演武をする予定だったんです。それが…」

「自分との戦いの前に盛り上がりにかけるからと、将軍が対戦相手を急に変えたんです‼」

「だから、お前のせいって言ってんだよ。タコ介‼」

「タコ介って。闘技場じゃ相手が変わるなんて、よくあることだろ?それに…、対戦相手って言ってもここに」

「モルリアのワーウルフだ。用心棒をやってるって話だけど、僕たちは魔物と戦うつもりなんてなかった」

「お前は見慣れてても、俺達はモルリアになんて行ったことないんだよ‼」


 ドン‼…ドッドッド…ドン‼…ドッドッド…


 ここで外から太鼓の音が聞こえてきた。

 そして俄かに盛り上がる会場。


「クソっ‼始まっちまう‼」

「え、えと。四人で一緒に出ちゃえばいいんじゃない…かな」

「はい。勿論、その予定です。将軍は頑張れば倒せると仰ってくれたのですが…」


 今回の主催はサラドーム大公国。

 そこにウラヌ王国王族とどうにか混乱が収まってきたアリス教国が加わったことで、闘技場の趣旨が変わったらしい。

 大ダメージを受けたという教会のイメージを払しょくするための演舞が今まさに行われている。

 女神アリスを讃える歌が、歌い手たちによって歌われる。


「レプト。ワーウルフとの戦い方を教えたらどうかな?」

「なんで、お前になんか…」

「あ、そうだな。俺のせいだし。えっと——」


 もしかするとガラム・ルービッヒ将軍の参加が大きく関わっているのかもしれない。

 と、外の様子を見てレプトは感じ、責任も感じ始めていた。

 彼は言ってみれば敗残の敵将。ここでアピールしなければ、立場を失う。

 拡声魔法での声しか聴いていないし、遠目にしか見ていないから、黒い鎧を纏った男以上のことは分からないのだけれど。


「王様の席は変わってない…。国王と王妃、それにフレデリカ。教皇ゼットもいるな。いや、いやいやいやいや。これってウェストプロアリス大陸の要人が揃ってないか?」


 ウラヌ国王とサラドーム大公はまだ分かる。

 エリサ・ダラバン、つまりモルリア諸侯連合議長がその隣に座っている。

 そして更に後ろに本日の主役と前座の将軍が鎮座している。


「今回の興行は金を取る。モルリアからの集金目的かと思ったけど、牽制の意味も含めている…のか」

「え?どういうこと?」

「あぁ。モルリアはもう少し先に行くところだが…」


 モルリア諸侯連合はウラヌ王に膝をついていない。

 それどころか、教皇にも膝をつかない。

 そもそも税を納めていない。

 完全に他国と言ってよい。その彼らに世界の中心は北部にありと印象付ける為。

 勇者の所属はアリス教国故に、前回も似たようなところはあったけれど、今回はなかなか派手な演出をしているということだ。


「まぁ…。うまく行けばエリサ・ダラバンが口利きしてくれるかもな。まぁ、彼女は彼女で色々あるんだけど」

「成程…、って‼ゴメン。ほんと、何も考えずに聞いちゃった。後でマリア様に叱られてきます」

「見てないからいいんじゃないか。それより、お前。そのフルフェイスは止めとけ。魔物の爪を1㎝止めるだけだ。そこから大脳まで数㎝もないだろ。スピードで負ける分、四人で視野を確保しろ」


 外の様子を窺いつつも、的確に戦い方の、そして装備のアドバイスをする。

 隣では目を輝かす少年がいる。彼はいつまでもアークの憧れであり続けている。

 女神の恩寵が僅かな状態でも、彼が戦えるのは軽々が豊かだから。

 今のアークが憧れてしまうのは自明である。


 そんな時、話しかけてくる兵士が一人いた。

 その後ろには、もう二人。いや兵士というよりは騎士か。

 比較的豪華な鎧の合計三人の男。


「勇者アーク様はこちらへどうぞ」

「え?僕も剣闘士として戦うんだけど…」

「彼らがいる前で申し上げにくいのですが、前座と主役では待ち部屋が違います」

「あ?俺はアークの仲間だけど?」

「仲間と勇者様ご本人とでは大きな差があります。陛下と猊下、それに王妃と両殿下もお待ちなのです」

「チッ…」

「申し訳ありません。私たちを睨まれましても、どうしようもなく…」


 本当に申し訳なさそうな顔の三人の男。

 待たせているのは、彼らにとっても天上に居る人たちだ。


「アーク…」


 ただ、ここで止まる。

 先の瞳の輝きを見てしまうと、これ以上は何も言えない。

 甘やかしてないかと聞かれたら、甘やかしてますと答える自信しかない。


「大丈夫。僕も頑張って修行したんだ。ちゃんと自分で考えて、自分で行動する。だから、心配しないで。それより彼らに対策の続きを教えてあげて」

「あ、あぁ」


 相手はギルガメット王子だし、彼は勇者だし、この会場に集まった人たちが見に来ているのは全員がソレ。

 将軍は王家の家臣だから置いておくとして、アークとレプトには明確な差があってもおかしくない。


「それじゃ。レプト、応援してるから‼」


 一つ年上とは思えない。もしかしたら身長も体格も前とは違うかもしれない。

 レプトが声変わり前だから、アークは成長期に薄暗い部屋で過ごしていた。その影響かも知れない。

 本当に弟のような彼が、笑顔で手を振りながら去っていく。

 母性とか、父性とか、そういう気持ちにさせる勇者様。まだ始まったばかりと言い訳をして、自らの仕事に戻る二周目の盗賊。


「…とにかく、長物を持て。威嚇と攻撃の役を決めておけ」


 少しの気持ち悪さを覚えながら、可哀そうな前座たちの作戦会議は続く。



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