第18話 荒くれ者の住む地域
ロージン自治区は大陸の北西に伸びる比較的大きな大地である。
ウラヌ王国の国境の考え方が、そこで作物が育つかであることは、以前に語った。
つまり、この地はとても痩せている。
「一応、教会はあるのですが…。誰も行こうとはしないので」
イーストプロアリス、ウェストプロアリスの間にあるドラグーン島。
その島の南部は海水の温度が温かく、雨雲が発生しやすい。
だが、北側は氷河に囲まれており、空気中の水分も少ない。
その影響かウェストプロアリス大陸北端は乾いている。
ドラグーン島周辺で発生した雨雲の殆どはアリス島とウラヌ王国の大地を濡らすが、そのアリス島のせいでロージン地区はやはり乾いている。
そして、気温も低い為、不毛の大地、試される大地と言われ、古くから修行僧や修験道者が住み着いている。
「いやいや、ここに住んでる奴もお説教はして欲しくねぇだろ」
「こんなに寒いんですね。それに殆ど人がいない。」
「居ないように見えて、潜んでる。あんま、その剣を見せるなよ。直ぐに盗人がやってくるぞ」
「あら、盗人ならここにも」
「…って、マジでマリアは来なくて良かったんだけど」
「そうは行きません。回復魔法が必要とアナタが言ったのですよ?」
勿論、全てが乾いている訳ではない。
偶には雨も降るし、北端にある霊山から垂れ流される雪解け水もある。
ただ、ここで暮らすのは国を追い出された者たち、彼らの喉を潤すのは紛れもなく力である。
魔物が出たところで、助けてくれる兵士はいない。
兵士がいないし、法律もない。力の強い奴が水源を独占している。
「は‼勇者様、魔物です。いつものように行きましょう!」
「はい‼マリア様はいつも通り後ろに下がってください」
マジックラビットとマジックラットの二匹とアンデッドッグが三匹。
集落という概念がなく、防壁という設備もない。
現れた魔物は自分たちで対処するしかない。
「あちらからも来ます。ここはどうなっている…」
つい、レプトに聞こうとするマリア。
だが、聞いてはならぬとアークに言った身。だから、口を噤んで目の前の現実に対処をする。
「とにかくマリア様は僕の後ろに‼一匹ずつ倒していきます‼」
因みに、「戦いになったら、俺は一旦離れる」とレプトは言った。
それは勿論、彼が強すぎるから。
ロージン地区は修行するために来ているのだから、当然だろう。
僕が考えて、戦わなきゃ…
「先ずは魔法系の魔物からだ‼」
例の服屋でレザーアーマーに着替えた。ラウンドシールドも装備している。
マリアが話した予定では、大聖堂でもう少しマシな装備が貰えていたが、混乱のせいで受け取ることが出来なかった。
ただ、レプトは今はこの装備で十分と言っていた。その後、マリアに叩かれていたのはいつものこと。
「てぃ‼」
手ごたえは十分。だが、エネルギー弾が横から飛んでくる。
どうにかラウンドシールドで弾き返して、ラットの方も打ち倒す。
レプトが話していた通り、盾は視認性を重視した。
だから、取り囲もうとするアンデッドッグの動きもちゃんと追えている。
「うぐっ…」
だが、そこで背後から、ドン‼と強い衝撃を受けて、アークは危うくアンデッドッグの群れに飛び込みそうになった。
「もう一集団、魔物がいたんだった。でも、これくらい…」
脆い体の腐敗犬で豪奢な剣を汚しながら、女神の恩寵を授かっていく勇者。
そういう趣旨で向かったわけではないが、これはこれで修行に繋がっている。
流石はレプト…、じゃなくて僕が言い出す予定だったんだっけ。
「マリア様。僕、ここに来て良か…った…?」
そしてここで勇者は青褪める。
どうして、さっき背後から魔物が攻撃できたのか。
後ろから離れないでと、彼女には言った筈。彼女に盾になれと言ったわけではないが、彼女なら…
「え?…あれ?マリア…様?マリアさ…」
枯れ木も山の賑わいか、それともどうにか生を保っている木々か。
まばらではあるが、木が生えている。そこにチラリと青い衣服が見えた気がした。
「グルルルルル」
まだまだ魔物の姿は消えない。
だけど、そんなの今は関係ない。
殆ど枯れた雑木林に行くために必要な魔物だけを狩り続ける。
「マリア様‼マリア様‼マリア…さ…ま?」
「おっと。そこまでだぜ、ボンボンのガキ」
そう、ここはならず者も暮らす試される大地。
それは分かっていた筈なのに、周りを警戒しろと言われていた筈なのに、視認性を重視しろと言われていたのに、頭から抜けていた。
「す…すみません…。勇者…様…。お守りしようと…したら、それは…」
彼女も後ろで戦っていたのだ。そして気が付いた時にはかなり離れていた。
いや、それも恐らくはこの男たちが仕掛けた罠。
「お、お前たち。マリア様を離せ‼彼女はシスターだぞ」
「おお、怖い怖い。だが、先ずはその高級な剣を置いてからだなぁ」
アークの二倍以上ありそうな、クマのような男が三人。
同じくらいの背格好の男が五人。恐らくは周りにもっといる。
「分かった…。だから」
「いけません。これは私のミスです‼それに…」
カラン…
「これで…、いいのか?」
「ダメだ。それをこっちまで蹴飛ばせ」
「く…」
「この姉ちゃんがどうなってもいいのか?」
腕力では勝負にならない。まだ、勝負にならない。
だから、マリアも身動きがとれない。
「私のことは見捨ててください‼」
「嫌です。僕が突っ込み過ぎたせいです。今から、蹴ります。だから彼女を…」
売れば数年は困らない額の剣。汚れているが、大切に使っていたから一目で高級なものだと分かってしまうソレ。
だが、蹴ったが最期である。
「だー!マジの甘ちゃん。貴族のボンボンなんてこんなものだ。結局、頭悪いんだよなぁぁあああ」
「く…。この外道が…」
「あ?ここがどこだか分かってねぇのか?それとも俺たちに教えてくれるのか?」
「止めてよ‼マリア様は僕の…」
「今はお逃げ下さい。私は…」
マリアにとっても、ここは危険な場所。それは最初から言われていた。
だが、彼女は勇者の仲間。彼女にとっても修行の場。だから、魔物と戦っていた。
その心の何処かに、とある感情があったのは否定できないが、否定したい。
「こりゃ、上玉だなぁ。ま・り・あ・様ぁ?先に俺たちが教えてやろうぜぇぇぇ」
勇者とその仲間は魔王と戦うために、人々と協力して共に戦って…
色んなことを頭に入れてきた。だけど、こんなところでその全てを否定される。
やっぱり、こんな場所に来てはいけなかった
ここまで…なの?
ただ、マリアが心の中で大きな後悔をした時
「ここまでか」
どこからか、聞き覚えのある声がした。
そして。
「へぇ。それじゃあ俺にも教えてくれよ…。お前たちの血の色が何色かをな?」
「ひ…。なんだ、てめ。げふぅぅぅううう‼」
ズドッと糸の切れた人形のように崩れ落ちる人間。
その後ろに立つ、どこでも見かける平民服の男。
流石に寒さ対策で、羊毛製のマフラーを首に巻いているから、口元は見えないけれど。
その隠れた口が、ぼそりと「済まなかった」と紡ぐ。
「な、なんだ、てめぇ。何処に居やがった‼ガグ、やっちまえ‼」
「あ?ガグってそこで倒れてる奴のことか?」
正確には「ことか?」と言った瞬間に崩れ落ちた。
泣きそうな顔になっていた、いや殆ど泣いていたアークは、嬉しさが頭に沸き起こることもなく呆然としていた。
そも、何が起きたのか全然分からない。
それはマリアも同じ。彼が何処から湧いて出たのか、本当に分からなかった。
「ってめぇ‼この女の仲間だろ‼この女がどうなっても…」
「アーク。こいつをどうしたい?殺す?それとも逃がす?」
「へ⁉え…、えと…」
「何言ってんだよ、お前。お前は人質を取られて…」
「マリアもちょっとは足掻け。その間に隙が生まれるかもしれないだろ」
ここで漸く、マリアは体をねじり始めた。どうにか逃げようと全身を揺る動かして、身をよじる。
「暴れんな、この女。痛い目に遭わす…ぞ」
「嫌‼止めて‼アークも早く武器を‼」
そして、この瞬間。マリアは完全な自由を得た。
その直後、ドサッと男が地面に崩れ落ちる。
その後になって、アークは漸く武器を拾い上げた。
「で、アーク。もう一度聞くぞ。こいつはまだ生きてる。殺す?殺さない?」
「えっと…」
ここで、立ち尽くしてしまう勇者。
五秒待ったところで、レプトは肩を竦めてこう言った。
「まぁ、いいや。今回はこの辺に縛っとくだけにしとくぞ。運が良けりゃ助かるし、運が悪けりゃ魔物の餌だ」
それはそれで残酷な刑。だけど、マリアは何も言えなかった。
一度、睨もうと思ったが全身の力が抜けて、その場に崩れ落ちてしまった。
「…アーク。魔物との戦いと同じだぜ。魔物だったら構わず殺してたろ。…今回は勉強だったけど、人間相手にも生かすか殺すか。問われる時が必ずやってくる」
と言ったところで、勇者アークも膝から崩れ落ちた。
今まで味わったことのない恐怖、考えたこともないこと、本当に色んなことを考えていたのだろう。
顔から生気が失われていた。二人とも。
「あー、その。あれだ。途中まで見てて悪かったな。人間も全員が善人じゃないって知って欲しかったんだ。マリアも…ゴメン。怖かったよな」
「…当たり前…です。怖くないわけ…ないじゃないですか。見ていたなら…」
いや、彼は何度も警告をしていた。
だから、完全に自分たちのミス。普通に魔物と戦って修行をしただけでは、やはりギルガメットに勝てなかったかもしれない。
とは言え、一つ疑問は残る。
「前は…どうなったんですか?その時も同じようには…」
「はぁ…。マリア様、それを聞いちゃう?」
その言葉に違和感を覚えた。勿論、教えてくれるなと言ったのは自分だ。
つまり彼の言い方違和感があったのだ。
だけど、その好奇心は抑えられず、ついついマリアは頷いた。
「俺も参加してたからここまで極端なことにはならなかった。…けど」
「け…ど?」
聞かずにはいられなかった。だって、今のレプトはあまりに強い。
やはり、タダでは済まなかったのだろうか、と。
だから、自分は行くなと言われたのではないだろうか、と。
「アークも聞きたい?」
「…うん。聞かせて…。僕はどうしたらいいか、分からなくて…」
そしてそれは彼も同じだった。軽率に女を連れてきたことを後悔したのだろうか。
けれど、返って来たのは恐るべき言葉だった。
「いいんだな…。それじゃあ、教える。今のと近いことはあった。そこでアークは躊躇なく人間を殺した」
二人とも眼球をひん剥く話。今のアークからは想像も出来ないこと。
「…でも、どうやって?人質を取られたら…」
「何言ってんだ。今回も同じ手が使えた。お前は魔法が使えるだろ。マリアに当たっても、マリアは回復魔法が使える。だから、気にせず撃ってたよ。ま、その時は判断が早くて、マリアは軽いやけどで済んだんだけどな。んで、ビビッて悪漢どもは逃げてった。俺もビビったよ。優しい勇者様が簡単に人の命を奪ったんだからな」
前世が曰く付きスライム。
善悪の判断、というより生死の判断が曖昧だったのだ。
「僕が人間を…」
「だけど、判断が早かったから、死んだのは三人くらい。こいつらを縛り上げて放っておく方が、もっと被害が出るだろうな。俺はここだけじゃなくて、周囲に居た三十人くらい、同じことしてきたし。」
流石にこれ以上、開く眼瞼挙筋はなかった。
今ようやく気付いたほどに憔悴していた。
取り囲まれていたのは知っていたのに、どうして何の動きがないのかさえ考えてなかった。
「結果的に被害が出なかったってだけだけど…。それが…前の僕との差。僕はもっと…強かったんだ」
この勇者の反応に、マリアは聞いてしまった自分を心の中で責めていた。
そして、前の勇者が本当にハッピーエンドを齎したのか、大きな疑問を抱いていた。
「強くなれ、アーク。前と同じでなくていい。どんなお前でも俺は仲間で居続けるからな」
「どうして…、レプトはそこまで言ってくれるの?」
「どうしてって…。アークは前の世界でも、今の世界でも俺の宝物を守ってくれたからに決まってるだろ。だから、俺はお前の為には何でもできる。例え、煮えたぎる溶岩の中でも、凍てつく氷河の中でもな」
それは誇張ではないと、瞬時にマリアは理解した。
この世界にどちらも存在する島がある。そして何より、彼の身のこなし。
間違いなくレプトは、アークの為に汚れ仕事をやっていた。
ただ、聞くことは出来ない。聞いたら自分がどうなるか分からないから。
マリアだって人間だ。だから、彼女が彼に未来を聞けない理由は最終的にここに着きあたる。
──その時、私は生きていたのだろうか。
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