第12話 ウラヌ王領を越える

 ドメルラッフ公の領地縮小は本当に急ごしらえだったらしい。

 人間の目線で見ても、抜け道がハッキリと分かる。


「基本的にはハーピー対策か。確かに、前の戦いもそれでドメルに被害が出たようなものだったし」

「それくらい私でも分かります。私、あの時お話しましたよね?」

「えっと…そうだったっけ」

「そうですよ。私が手を引いて、ここまで連れてきて差し上げたんですよ?」

「う、うん。そうだった」

「ほら‼」


 殆ど無意味は半眼を、柄にもなく見せるマリア。

 本当に重要なことには目もくれない。

 そも、勇者の後ろに歩いているレプトに目もくれない人々の方を指摘するべきなのだ。


「それより、レプト。その恰好、なんとかできないの?見ているだけで臭いんだけど」

「お前の目は臭いも嗅げるのかよ…。でも、服なんて拾ってきたものしかないし。あ、一応は洗ってるぞ」

「これから王都を抜けるのよ。この辺りで買ってきなさいよ」

「俺が金を持っているように見えるか。基本的には物々交換だぞ。何か交換できるものは…」

「僕がお金を出すよ」

「勇者様?」

「大丈夫。子供の頃からのお小遣いだから、教会には迷惑をかけない。…確かに、そのお金も教会のものって言われたら。そうだ。僕の着替えを…」

「分かりました‼今回は特別に私が出します。ドレスコードの最底辺を狙って見せますから」


 そして、彼女は本当に最低限の服を適当に選んだ。

 とは言え、レプトにとってはそれでも十分に嬉しい。


「ありがと」

「別に…。アンタの為じゃないんだから。…いざこざに巻き込まれないように馬車を呼びます。レプト、粗相のないように」

「はーい」


 こうやって見ると、マリアとレプトはそれなりに会話をしているように見える。

 そんな会話に、アークが絡むとどうなるか。例えば、馬車の中。


「レプト。ちょっと触らせてもらっていい?」

「へ?勇者…様?」

「うん。別にいいぜ」

「ほんと?それじゃ…。へぇ。結構硬いんだな。でも、ここは柔らかい」

「あの…勇者…様…」

「って、ちょっとくすぐったいんだけど」

「あ、ゴメン。つい、夢中で…」

「ゆ、勇者様。それでは次は私の…」

「マリア様の体をさわるのはちょっと気が引けるし…」

「だ、大丈夫です。馬車の中ですから」

「そう?…うん。ありがと。大体分かった」

「え?私は腕だけ?」


 途端に珍妙な会話になる。だけど、これにはちゃんと意味がある。


「うん。マリア様の体と僕の体はある意味で同じ、でしょ?」

「あ、そうか。女神の恩寵‼」

「って、それ。私が言おうと思ったのに‼」


 そこで僅かにアークの目が見開くが、マリアはそれには気付かない。

 レプトはしまったという顔だが、それにもマリアは気付かない。


「そうなんだ。女神の恩寵って勇者の仲間に与えられるボーナスだよね。でも、あの時。レプトは恩寵を受けていなかった。それなのに、矢の雨を躱せたのはどうしてか、ずっと気になってたんだ」

「それについては俺も分からない。なんせ、まだ恩寵を貰える戦いをしていない」

「勇者様。この男を仲間だと思ってはいけませんよ」

「え?どうしてですか?…僕はレプトへの気持ちを止められないと思います」


 勇者は凛々しい顔、金色の髪、青水晶色の瞳、透き通るような肌の色…

 いやいやいやいや、だが男だ。流石に…、いやだがしかし。ボッとレプトの顔も赤く染まる。

 マリアも思わず目を剥く。


「そそそ、それはどういう気持ちですか?勇者様、もしかして…」

「はい。仲間です。僕はもうレプトを仲間としか思えません」

「あ、あ、そっちですよね。えと仲間って意味ならいいです」


 はい?マリアさんマリアさん。朝令暮改レベルじゃないですよ、なんてツッコめる人間はここにはいなかった。

 勇者アークは真面目な顔。レプトはまだ赤い顔。マリアはホッと胸を撫でおろしており、仲間って意味なら良い、と違う意味で安堵を覚えている。

 今回のアークは不安定な人格。本人も認めている通り、何かが欠けていて、常に不安を抱えている。


「レプト。ちょっと頭を低くして。アンタの本体なんて鳶色の髪くらいなんだから、ウィッグだけは死守しなさいよ」

「分かってるよ。って、俺自身が無個性みたいに言うな…。前のマリアの方がずっと優しかったんだけど」


 ただ、それは仕方のないことだった。

 ドメルの街中にプロパガンダなのか、ウォンテッドデッドオアアライブなのか、街中に悪鬼レプトのイラストが貼られている。

 だが、どれも特徴は髪の色だけ。

 巻き戻ってからのレプトの生活を振り返ると分かるが、彼は基本的には引き籠っていた。

 加えて、取り巻きは皆彼の信者だったから、情報を漏らすことはない。

 その結果、髪の色しか合っていない2m越えの悪漢がレプトとして描かれている。


「数十人の兵士に目撃されたけど、彼らの口は塞いでおいた。だから、安心していいよ、レプト」

「また‼レプトにだけ優しくする‼」

「そういうわけじゃ…」

「もういいです。問題は…ここからなんですから…」


 ここの辺りでドメルラッフ領は終わり。そして馬車の乗り継ぎをする。

 ウラヌ王の直轄地に入るからではなく、通り抜けるべき王領が小山の上にあるからだ。

 山登りが得意な馬に引っ張ってもらう為に乗り換える。


「馬車や商人は通行手形を持ってるから、領地をあっさり通過できる。商人の子供は被害に遭いにくい理由だったな」

「レプト、私語は駄目よ。通行できると言っても流石に王領は無理。それにアリス島もね」

「あの…。二人とも。僕に分かりやすく教えてくれない?」

「はい‼それでは私が——」


 レプトの行動により、箱入り勇者だったアークは金庫入り勇者になってしまった。

 それに加えて、前世の記憶まで失っている。

 そしてマリアは真っ白なノートを自分色に染めるべく、事細かく国の成り立ちを話していった。

 長い長い歴史。勇者の巫女である彼女の権限は大きく、大聖堂の書庫にある本の殆どを閲覧できたという。


「そして、この時」

「そっか。それで…」

 

 勇者アークは真剣な顔で、自身の中にぽっかり空いた穴を埋めるべく話を聞く。

 だが、彼女の話はレプトにはとてもつまらなく聞こえていた。

 だから…、ZZZ…。

 馬車の揺れとシスターのタメになる話は、バツグンの睡眠導入魔法だった。


「マリア様…。レプト、寝ちゃったけど」

「彼はいいんです。…それに」


 私はこの時を待っていたのだから!!と口には出さないが、シスターはほくそ笑んだ。

 勇者様は本当に純粋な方。純白のノートにあんな汚れは必要ない。

 間抜けな寝顔。何をしていたのかは知らないが、顔のあちこちに黒いインクのような汚れもある。

 見れば見るほど醜く思えてくる。

 マリアの生い立ちも良いとはいえない。

 両親は分からず、自分が誰かも分からない。

 ただ、物心ついた時からずっと修道院にいて、厳しく躾けられていた。

 彼女から見れば、レプトは物理的にも精神的にも汚れた存在だ。


 純白の勇者と相容れぬ存在に違いない。

 だから…


 コンコン


「そろそろ王領に入りますが、準備はよろしいですか?」

「えっと、何?」

「大丈夫です。勇者様はどんと構えていてください。疫病などが持ち込まれないように検査が御座います」

「あ。そか。この先は王族とその親族が暮らしている。コウキな方が住んでるんだっけ」

「そうです。直ぐに済みますので、目でも瞑っていてくださいませ」

「目を…。いや、せっかくだから見たい…です。それより僕はコウキな生まれではないので」

「問題ありません。勇者様は勇者様です。」


 悪い子は丁度よく眠っている。

 そして、招き入れるのは国境警備隊である。


「失礼します。…勇者様とは存じておりますが、これも決まりですので」

「よ、よろしくお願いします」

「そんなに緊張なさらずとも。直ぐに済みますよ。ねぇ、兵士の方?」

「はい。魔法具で照らすだけです。魔力の波形を…」

「兵隊さん?勇者様はお急ぎなのですよ」

「は!も、申し訳ありません…。では…」


 魔法紋は生涯変わらない為、個人の識別に利用される。

 そして、生まれた時に教会で登録するのが国民の義務である。

 つまりどれだけ見た目が変わろうとも、レプトはレプトなのだ。

 ただ、ここで問題なのは、レプトは連れて行くという勇者の意志だ。

 レプトだから置いていく、となれば絶対に駄々をこねる。


「悪いモノが見つかれば、砦で診断してもらう…それだけですよ」

「そうなんですね。…えっと」


 丸い魔法石が嵌められたペンデュラムを兵士が勇者の前に翳す。

 とは言え、ただの魔法石ではない。アリス大聖堂に集められた全国民の魔法紋が登録された、目玉が飛び出るほど高価な魔法石だ。

 勇者絡みである。マリアからの要望を教皇ゼットが聞き入れてくれたのだ。

 その青く光る魔法石を見て、再びほくそ笑むシスター。


「はい。勇者様、アーク様は問題ありません。マリア様は…流石に」

「私も是非見てください。ちゃんと全員に悪いモノがついていないか見てくださらないと」

「わ、分かりました。それでは…」


 マリアの前でも青く光った。

 そして、揺れるペンデュラムは彼の所に。


「いや、その。彼は…」

「勇者様。これはしきたりです。それに悪い者がついていれば、彼の為にも処置をしませんと。さぁ、兵士さん。薄汚れているからもしかしたら悪い者かもしれません。その時はよろしくお願いしますね」


 グリム村の情報は勿論入っている。アイザック伯領の領民の情報も。サラドーム大公国の情報だって入っている。

 そもそも、何処の馬の骨かだって分かっているのだ。

 さぁ、これで。身も心も健全なまま勇者様は…


「…黄色の光。彼はモルリアの出身ですね。あそこは少し、混み入ってますのでどなたかは存じませんが…。いや、しかし流石は勇者様です。既にモルリア人をお仲間にされているとは‼」


 そして、敬礼をして去っていく兵士。

 それを見て、腕を組む勇者と、目を剥くシスター。

 そのシスターの胸中はただ一言。


 ——は⁉


「ちょっとお待ちください。彼はアイザック領出身の筈…」

「マリア…様?えっと…」

「ち、違います。そういう意味ではなくて…、その…」


 怪訝な顔の勇者、済んだ青空の瞳が同じく青色の少女の瞳をペンデュラムに泳がせる。

 すると、兵士は豪奢な箱にソレを戻すところだった。


「勇者様、マリア様。それでは失礼いたします。これを失くすと、私の首だけでは済まないと言われておりますので」

「そ、そうですよね。お高そうな魔法具でしたので、つい…」


 なんて言いながら、シスターは兵士に向かって手を振った。

 そういうものかと勇者も同じく手を振ったところで、馬車は再び動き出した。


 ガタッ


 と、その振動で少年は漸く目が覚める。


「…あれ。もう、王領?えっと…、あれ。いや、あれだって。話はちゃんと…」

「レプトはモルリア人だったんだね‼モルリアは大陸の南の諸侯が集まった連合国。マリア様に教えてもらったんだよ‼」


 マリアの話がつまらなかった、なんて本音は言えない。

 だからレプトは、「俺は寝てませんでしたけど?」というていで会話に入ろうとした。

 だが、その前に勇者アークの声に掻き消される。


「は?」


 だが、その内容が出るということは、と半眼をシスターに向ける。

 勿論、そのシスターと目は合わないが、非難の意味で肩は竦めた。

 そしてプイと顔を背ける美女ではなく、美少年の方に向き直り大きなため息を吐く。


「違うって。俺は生粋のウラヌ人だよ」

「はぁ?アンタはモルリア人なんでしょ?不潔ね。不義の子ね。教会に何を握らせたんでしょうね」


 すると少女は半眼で、とんでもないことを言う。

 本当はレプトが半眼を向けたいところだというのに。


 まぁ…、こればかりは仕方ないか。マリアを責めるのも良くない気がする。


「俺が寝てる間に魔法紋の鑑定でもしたんだろうけど、…俺はお尋ね者だ。バレないようにしてるに決まってるだろ」

「な…。そんなわけないでしょ。魔法紋は生涯変わらない。これは常識なの‼」


 そう。一般常識だ。だけど、あくまで一般の常識でしかない。

 人間と魔物の戦いが始まって一番のハッピーエンドを迎えた勇者パーティ。

 その隠密担当は伊達じゃない。でも、一番のハッピーエンドをやり直してしまったことは言いたくない。


「あ…あれだって。ほら、女神の恩寵だっけ。アレが加わると偶に変わることがある…とか、言われてなかったっけ?」

「…確かに女神の恩寵は分からないことだらけ…だけど」 

「きっとそれですよ、マリア様。良かった…。レプトは僕の仲間になってくれたんだ。嬉しいよ、レプト!」


 そして勇者の嬉しそうな顔。

 巻き戻ったアーク、彼のそういうところは変わらない。

 世間知らずで危なっかしくて、真っすぐで…


 勇者なんてって思ってた俺が、最後までついていったんだぞ。

 そんなの…


「当たり前だろ。俺はお前が勇者だから頑張れるんだ」

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