第10話 来訪者は勇者様
カンカンカンカン‼
「何⁉」
突然の警鐘に読書途中に寝入っていた少年が飛び起きる。
そして、開いていたページを一瞥して軽くため息を吐く。
正直良く分からない、だから全然ページが捲れない。
カンカンカンカン‼
「ってか、煩いな。何かの故障?それとも魔物?」
顔に本のインクが付いたことにも気付かずに、鳶色髪の少年はソルトシティにしては良い部屋から飛び出してみた。
すると、父リプトと母ティレが急いで家に飛び込む瞬間に出くわした。
「父さん、母さん。先ずは水を飲めって。塩分は抜いてるから…」
と、二人に水を勧めるが彼らはカップを見ることもなく、肩で何度も息をしている。
「だーかーらー」
「水を飲んでる場合じゃない‼」
「ウラヌ王国が攻めてきたのよ‼」
「は⁉今更、ライ麦畑を取り戻そうってこと?確かに在り得る…けど」
それにしては余りにも急だ。
ソルトシティにはウラヌ王国から逃げてきた者もいる。
彼らの中にはウラヌ王国に親族が居る者もいて、まだまだ城壁づくりが終わっていないと語っていた。
これは古くない情報だ。それに
「まだ、あっちだって麦の収穫が終わってないだろ。そんな急に…」
「使者が二人、先行していたという話だが…」
「だけど、兵士が見えたの‼宣戦布告と同時に攻撃するつもりよ‼」
ただ、成程とも思った。
急襲するなら、畑の被害はこちら側だけで済む。
それに一応使者がいるなら、体裁を保てる。…いや、本当は保てないが、後から言い訳が出来る。
「分かった。…俺がその使者と会う」
「ダメよ。アイツらが長弓得意なのを忘れたの?」
「絶対に狙ってくるぞ。だから、先ずは斥候を…」
その理屈も勿論理解した上での話。
「そうしたら斥候が射られる。あんま、自惚れたくないけど、不意打ちの対処は俺が一番出来る」
「…それはそう…だが」
「父さん。こっちからは絶対に仕掛けるなよ。アングリアへの印象が悪くなる。俺たちは悪い国じゃないんだ」
すると、目を剥く二人。
「今すぐ、やめろと連絡してくれ。これ以上、俺に悪名をつけさせるなって」
「でも…」
「でもも何もない。…俺を誰だと思っている」
女神の恩寵を失った、手癖の悪い男。
だけど今のところ、これより強い言葉を思いつかない。
「わ、分かったわよ」
「だが、せめて俺も…」
「それもダメ。長弓を避けられないだろう。それに魔物が出てきた時、どうやら俺の顔が利くらしいし。今のところ、俺しか適任者がいない」
でも、だけど、待てなどなど、多くの言葉を頂戴した。
同じような言葉を、弟や妹からも受け取った。
新参者にさえ言われた。
でも、だけど、待て待て、と彼自身も思う。
でも、だけど。
今日が何の日かくらいは分かる。
あの城壁の向こう側で何が行われているのかも知っている。
「…そういうことなんだろう?ってことは、俺が行かないと。敵である俺が顔を出さないと、父さんや母さん、ジョン、ミンミたち。ここに真のハッピーエンドはこない」
ドメルラッフ平原での戦い。
どこかでケリをつけなければとは思っていた。
そして、勇者に課せられたのは間違いなく…
「よぉ。勇者様じゃねぇか。…こんなとこまで来て、何の用だい?」
使者が二人、しかも歩いてきている時点で、間違いないと思った。
そして、記憶に新しい二人の姿が見えた。いや、新しいと言っても既に6年。
彼らの姿は五年前のものだから、十一年も前ってことになる。
若返っているのは、自分も同じだけれど。
「何の用…ですって?あれだけのことをしておいて、よくも顔が出せたものね‼」
「あぁ、そっか。マリア様にも挨拶しておかなきゃいけなかったな」
そして、その瞬間マリアの顔が歪む。もしくは引き攣った。
ただ、勇者の顔はそのまま。無表情というか、何を考えているのか分からない。
「こ、こいつ…」
「後ろに兵が控えてるのは知ってる。勇者様の最初の討伐対象は俺ってことか。その為に来たんだな」
「当たり前でしょ。勇者様のお父様を殺したのはアンタなんですから‼」
レプトの目がやや剝かれる。
剥かれるが、大きなため息でそれを誤魔化した。
アークの父親がドメルラッフ平原の戦いで戦死したことは、前の世界で知っている。
今回は更に大規模な戦いになってしまったから、そうではないかと思っていた。
出来れば生きていて欲しかった。
けれど、自分のハッピーエンドの為に誰かのハッピーエンドを奪ってしまった。
その自覚はあるし、罪の意識は結局消えなかった。
もしかしたら、一人で来た理由がソレかもしれない。
「そ…だな。俺が殺したみたいな…もの…」
口が乾く。喉が渇く。
世界が違うとはいえ、今の三人は他人とは言え、父親を殺す戦いに関与した事実は消えない。
「レプト…だっけ。…ねぇ、君は僕の父さんを覚えている?」
ただ、勇者は意味の分からないことを聞いた。
いや、殺した人間の顔を覚えているか、という悪人に向けたセリフだろうか。
「…覚えてない」
「コイツ、自分が何をしたか‼」
「マリア様。僕は話をしにきただけ。何もしないって約束したでしょ」
「でも、こいつは‼」
「…そうだよ。俺が関与したのは間違いない。だからアーク。お前には俺を殺す権利がある。煮るなり焼くなり、その大聖堂の聖剣でたたっきるなり好きにしてくれ」
ここで二人の瞳がやや揺れるが、それがどうということはない。
その前に言わないといけないこと。お願いしないと…
「その代わり…。ソルトシティに住むみんなは保護してくれ。アーク、お前が出てきたってことはさ。…もう、勇者のカモフラージュはしなくていいんだろ。アイツらは…俺の大事な家族なんだ」
「大事な家族?あの戦いで大事な家族を奪われた人がどれだけいると思っているのよ‼」
その通り。
もっと言えば、何故過去に戻って来たのか。
だったら、ちゃんとお願いしないと。陳情しないと。平伏しないと。
「レプト‼」
「待ってくれ‼俺の首をやるから…」
背後から声が聞こえる。だけど…
「父さん、母さん。皆。今回は折角助けられたんだ。…俺のハッピーエンドなんだ。だからこっちに来るな‼」
あぁ。そうだ。彼らが生きていれば、彼らが家族と共に幸せなら、この世界に来ることもなかった。
オーブの力が引き出されることもなかった。
そして、今は生きている。だったら、これが…
「……面目ない。俺の首でどうにか…」
スーッという金属が軽く擦れる音が聞こえる。間違えることはない。
抜刀の音。勇者の持つ剣の声。
背後からは息を呑む音、そして悲鳴、泣きじゃくる声。
「…これが俺の…ハッピーエンドだ」
「何がハッピーエンドよ。自分だけ正義を気取って。盗人猛々しいのよ。勇者様、さぁ早くお斬り下さい。これで留飲の下がる民もいることでしょう」
「盗人猛々しい…か。違いない…」
前の世界の話だけれど…
だが、まだ胴と首は繋がっている。
「ねぇ。どうしてこの剣が大聖堂から送られたものだと知ってたの?」
「…前から知ってた。それだけだ」
本当は幸せなエンドだったことは言いたくない。
「あの、勇者様?それは当然です。そういう習わしなのですから」
「あ、そっか。だったら、どうして僕の名前とマリア様の名前を知っていたの?」
「どこかで聞いた…から」
本当はあの幸せエンドが不満だったなんて言いたくない。
「さっきの君の言葉。今回は折角助けられた、の意味は?」
「勇者様。どうしたのですか。どこかで調べたんでしょうよ。それに適当なことを言っているだけです。なんせ、悪魔と繋がっていたのです。この男が戦いに関与していたのは間違いないんですから」
だが、ここで。カチャという音。
「勇者…様?何を…」
「マリア様。その理屈だと、アリス教国も教会も疑わないといけない。だって、そうでしょう。僕の名前は伏せられていた筈だよ。僕の身代わりが殺されるように」
流石に、マリアの目がひん剥かれた。
「それは…、そういう決め事で。人類の為…なんです。そうやって勇者様をお守りする…っていう」
「彼らもその一人?僕のカモフラージュ?」
「そうです。あろうことか、そこで勇者を売ったと聞きます。それどころか自分で勇者を名乗り…」
「でも彼は僕の顔を見て、最初にこう言ったんだ。勇者様って。自分で勇者を名乗っているのに、そう呼ぶのっておかしくない?」
「それは勇者様が有名だからです。みんな待ち望んでましたし。そもそも…」
知ってる二人が何やら話し合っている。
でも、一度は死を覚悟した身。いや前の世界を合わせたら何度死を覚悟したか。
だから、早く決めて欲しかった。
「待ってくれ。その話は後にしてくれないか。関与していたのは俺だけだ。後ろのみんなは関係ない。死ぬ覚悟が揺らぐ前に…、俺の罪を確定してくれ」
「分かりました。では勇者様の代わりに私が…、痛っ‼勇者、様?」
「ゴメン。止めようと思ったんだけど、痛かったんだね。えっと、先に言っておくけど、僕は彼を…レプトを殺すつもりはない。勿論、彼の家族を傷つけるつもりもない。…それは最初に言った筈だけど」
「でも、彼はこの通り、罪を認めています」
認めているどころか、目撃者もいる。
そして、もう一つ。このアークは知っているアークではある。
だけど何かが違うとも思った。
けれど流石に十一年も前だから、成長していないだけかもしれない。
だから、確証はなかった。そも、何をしに来たのか、だんだんわからなくなってきた。
マリアと後ろに控える兵士たちの殺気はガンガンに伝わってくるのだが、勇者からは1mmもそれを感じない。
「僕は彼を連れて行こうと思う」
「成程。公の場で裁きにかけるべき…と」
そして、彼はレプトが目を剥くことを言う。
「ううん。罪人としてではなく、一人の人間として連れて行く」
ガサガサ‼と音を立てて、堪らず伏兵たちが飛び出してくる。
「な、なりません。勇者様。その者は罪人です。我らで連行させてください‼」
「…それは出来ません」
「どうしてですか‼」
「僕は父の真相を知りたい」
「でしたら、連行を‼」
完全にレプトを囲う陣形。だから堪らず、ソルトシティからも人間が飛び出してくる。
それに見かねた勇者様が、鞘ごと剣を大地に突き立てた。
「それでははっきり申し上げさせて頂きます」
もしも彼が勇者でなければ、勇者として扱われていなかったら、とっくにレプトを拘束していただろう。
それほどに、勇者とは稀有な存在である。
その彼が言う。
「僕の父が戦死したこの戦い、双方にそれなりの原因があると僕は考えています。レプトの話は大体分かりました。でも、ドメルラッフ公、ウラヌ王、そして猊下にも落ち度があったと僕は考えています」
ここでレプトは目を見開いた。
彼はやっぱりアークだ。何かが足りなくとも、根っこは変わっていない。
そういう考え方が出来たから、ハッピーエンドに辿り着けたのだ、と。
だけど、これは前回よりも厳しい道だ。
「勇者様。それはなりません。勇者様はおひとりでは戦えません。皆が力を合わせて、勇者様をお支えしなければ、魔王に勝つことは不可能なのです。それが…、大聖堂の記録にしっかりと残っています」
「…構わないです。というより、彼らを見て気付きませんか、マリア様」
「気付き…とか。そういう話ではなくて…」
そして、ここでレプトも思わぬ行動に出る。
いや、無意識に口に出してしまったというか。
「マリアの言うとおりだ。お前はそうやっていつも正しさを貫こうとする。だから、苦労するんだ。時には見て見ぬフリも大事なんだぜ」
「はぁ?アンタが勇者様を語らないでよ‼」
「あ、悪い。つい…」
以前の世界の時のよう…。だけど、そんな話が通じることはない。
あの女神の話によれば、間違いなく他の人間には記憶の保有がないのだから。
だから、これは素のアークの言葉ということになる。
そもそもの性格。だから、女神アリスに選ばれたのだろう。
「マリア様。彼らの装備、それから施設を見たら分かる」
「…装備ですか。それが何か…?」
「勇者様。勇者様はまだ、戦をご存じありませんですから」
それにウラヌの兵たちが焦って割って入る。
つまり、かなりの核心をついている。
「そうですね。僕は素人です。ですから、戦の記録を見せて頂けませんか?素人目には、彼らに陽動は不可能と思えてしまうのです」
「いえ。そんな筈は。…それに我々は戦の記録を所持しておりませんし」
その通り。先制攻撃は王国からだった。
だが、それを訴えたところで意味はない。
マリアもこの場を見て、それに気付いているが、口には出せない。
「で、でしたら…。一度、戻りましょう。それからでも遅くない筈です。さぁ、勇者様。戻りましょう。先ずはウラヌ王の直轄地を抜けて…」
「分かりました。彼を客人として扱ってくれるなら、それでいいですよ、マリア様」
「客人⁉…それは少しお時間を頂かなければなりません。その…、必ずそうするとお約束しますから」
かなり我が儘な勇者に映りそうな場面。
だけど、この後の彼の言葉で…
「分かりました。準備が出来るまで、僕はここに残ります。レプト、申し訳ないけど、少しだけ置いてもらえる?」
「…それはいいけど。アーク、お前にとっては居場所が悪いと思うぞ」
レプトは今までの、勇者の言動の意味を理解した。
「分かっている。僕のせいで危険な目に遭ったんだ。それを謝らせてほしい」
場所も人数も違うけれど、以前の彼も同じことをした。
だから、理解できない筈がなかった。
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