第一章 素直な勇者と盗賊に厳しい仲間

第8話 勇者の旅立ち

「ライ麦パン。ここ、置いとくわね」

「うん…。ありがと、母さん」


 レプトはもうすぐ15になる。

 ジョン、ミンミ、ジュン、デリ、ボロ、ネズ、ギャン、ダズ、ロク、テス、ガゼン。

 今回も救った子供たちも、同じく年齢が上がり、一番上年上のジョンは12歳になる。


「レプト、その本どうしたのかしら?」

「うん。ありがと、母さん」


 と、生返事。


「こーら‼ちゃんと母親の話を聞きなさい」

「え?あ、えと…」


 そして、漸く気付いた少年は本を布団の下に隠した。


「って、隠すような本だったの?その…。ゴメンなさい。お、男の子だもんね」

「いやいや‼そういう意味…じゃなくて。その…」

「ということは、またどこかで盗んできたの?」

「盗んじゃいない…。でも、教会から強引に借りたとも言える…」


 ドメルラッフ平原の戦いから、約四年半が経った。

 戦争の傷は深く、ドメルラッフ公は領地の縮小を余儀なくされた。

 街の復興と、ブーツ半島の守りに徹する為、もっとも南側にあったライ麦畑地域を放棄した。

 世間ではそう言われているが、実際のところは人的被害が大きかったことが理由である。


「教会に誰も来ないものね。私たちが勝手に使わせてもらっているけど…」


 元々、不干渉地帯。

 だが、大人たちの苦労の甲斐もあって水源はどうにかなっている。

 それに加えて、放置されていたライ麦畑での収穫。塩分には困っていないから、それなりに美味しいパンも焼ける。


「で、何を読んでいるのかしら」

「…勇者の歴史。本当は大聖堂に行かないとちゃんとしたのはないらしいんだけど」

「へぇ。でも、私たちには関係ないでしょう。ソルトシティをもっと住みやすくしないといけないしね」


 ズキッと胸が痛む。

 ここは殆ど開拓されていない地域。

 そも、地面を掘り返したところで塩分が多すぎて、畑にならない。

 ソルト山はイーストプロアリスのエリス山脈のような資源の山でもない。

 北と南との仲も良くない。プロアリスの民にとっては、ロージン地区よりも酷いならず者地区が出来たようなものだ。


「ソルトシティって…」

「みんながそう呼んでいるのよ。何処かからやってきて、勝手に家を建ててる人もいるし、ここにもルールが必要よね」


 その多くはグリム村のような小さな村から逃げてきた人たち。

 あの日、他所から来て裏切りかけた人間たちも、何食わぬ顔で暮らしている。

 何食わぬ顔で、ライ麦畑を耕していることだろう。


「で、父さんは?」

「アングリアの偉い人と話をしてくるって」


 連合議長のエリサ・ダラバンも魔物を飼っているが、ウラヌ王と親戚だから近づけない。

 とは言え、モルリアは魔物と共にある国。

 大陸北に住んでいた時には考えてもいなかったが、モルリアを知れば考えが変わる。

 魔物とは食べ物があれば向き合える存在で、勇者アークの言葉がなくとも辿り着ける事実だった。

 勿論、魔王を崇拝する魔物たちとは相いれないし、これから先は別だ。

 魔王核のエネルギーが満ち溢れたら、同じようには行かなくなる。


「交渉するにしても、こっちには出せるものがないんだけど」

「それでも北も南も敵だらけじゃ、やっていけないでしょう?」


 偽勇者、悪魔信者、魔物使い、そしてドメルラッフ平原の戦いの首謀者。

 きっと、ウラヌ王国やアリス教国ではもっと酷い言われ方をされている。

 こんな悪童、いや悪魔の子がトップに立っているのに、交渉がうまく行くわけがない。


「今、王国はブーツ半島を守るのに手いっぱい。その間に南との関係を樹立する…、分からない話じゃないんだけど」

「そうなの。賢い賢いレプト君なら良い交渉材料を思いつくんじゃないかって…」


 さっきの話が広まっている限り、勇者の仲間入りは絶望的。

 しかも、彼と出会ったきっかけであるドメルラッフ平原の戦いの慰霊祭に、どの顔で出席すればいいのか。

 お前のせいだと、殺傷沙汰になるに決まっている。


「…はぁ。勇者の道は歩けない。どのみち、あの後どうしていいか分からなかったし」

「何を言っているの。私たちの中では立派な勇者様よ。世間では偽物とか酷い言われようだけど」


 でも、大正解だ。女神アリスの気まぐれで勇者に成った、なんてことは絶対にない。

 それはここにいる誰にも説明が出来ないことだけれど。


「この地域で取れるって、魔王の体液と噂のスライムくらいだし」

「え…。スライムって魔王の体液なの?」

「いあ…。概念的な話で…。でも、そうか…。スライムの扱い方なら少しは分かる」

「えっと…、それってどういうこと?」

「どういうことって。モルリアはイーストプロアリスにも船で行ってる。だったら、スライムの扱いに苦労している筈なんだ。あっちには厄介なのもいるからな」

「そうなのね。お母さん、スライムはみんな同じだと思ってた」

「うん。だから、とりあえずは情報を売る。その間に何かを考えたらいい」


 と、柄にもないことを言ってみた。

 専門家がもうすぐお出ましするんだけど、俺には関係なくなった話だし…


     □■□


 第13節1990年代後半、っていうか今年。1996年。

 教皇ゼットは16歳になった勇者が住むミネア村に、聖都ダイアナから使者を送る。

 時の女神の巫女であるシスター、マリアだ。


 彼女はミネア村に密かに到着し、先ずは村長に挨拶をする。


「時は来ました。そしてよくぞ勇者を育ててくれました。これより勇者アークは私と共に世界を救います。これは定められた道、光の女神アリスの子孫たる我らの責務。逃れることの出来ない運命です。」


 マリアの話によると、それは聖典に記された文言だ。

 そして、予め渡された文言を村長ババロがたどたどしくも読み上げる。


「承知しております。これが我らの使命です。勇者は壮健に、そして逞しく育ちました。この時をどれだけ待ったことでしょうか。これからも我らは勇者を支え、女神アリスの教えに従うことを誓います」


 巫女、マリアはそこで一礼し、跪く勇者の肩に手を当てる。

 そこで勇者は漸く顔を上げる。

 そして、マリアの護衛に来ていた僧兵がマリアに剣を渡す。


「勇者様、つまらないものですがこちらをお受け取りください」


 とは言え、聖都ダイアナの名工に作らせた見事な剣。

 それを緊張しながら勇者は両手で受け取る。


「それでは参りましょう、勇者様。世界を救う旅路へ」


 本来ならマリアの話はここで終わる。

 だけど、今回は更に続く。


「その前に勇者様。どうかご覚悟を。この度の魔王は非常に狡猾です。そして人間にも魔王に傅くものがおります。ですので、今までよりも苛烈な旅になると、今一度心に刻み込んでください」

「わ、分かりました。人間…も魔王に…」

「はい」


 村の明かりは全て消され、暗闇の中で儀式は行われることになっている。

 そして日が昇る前に、勇者とシスターはソルト山地へと歩き出す。

 馬車は使わない。二人は自らの足で歩いていく。

 それも、聖典の教えに則ったものだ。


 そして、村から出たところで、マリアは愛らしい笑顔を彼に向ける。


「私、ずっと楽しみにしてました‼」


 この村には年頃の女はいない。

 それは単に偶然に過ぎないのだが、それ故に勇者は美しいマリアの笑顔に顔を染める。


「それにしても勇者様って思っていたより体が細いのですね。最初、肌もきれいで白くて、女の子かなって思いました。……あ、もしかして気にされてましたか?」

「え?……いや、この村から出たことがないから分からないけど、あれですか。もっとムキムキな方が良かった…とか?」

「いいえ。私はどちらかというと、今の勇者様の方が好みですよ。その綺麗な金の髪もとっても羨ましいです。」


 勇者アークは母リリーの髪を受け継いだから、金色の綺麗な髪。

 マリアはとても饒舌に喋り、勇者はずっと緊張したまま、髪の毛の話を言われても大した返事もできないまま。

 不安と緊張と初めて見る同世代の女の子に、どうして良いか分からない。


「えと…。その…」

「待ってください。勇者様、魔物ですよ‼」


 そして、朝日が昇る頃に小物モンスターに出くわしてしまう。


「てい‼」


 最初の魔物はシスター・マリアがロッドで退治する。


「す、すみません…」

「いえ。旅立った直ぐに飛び出してきたあの魔物が悪いのです」

「そ、そうなんだ。はぁ…、なんか緊張してきた」

「問題ありません。私、いっぱい勉強しましたし、沢山訓練も積み増した。だから、何かあったら私に言ってください」

「え…。うん、頑張ります」

「はい‼一緒に頑張りましょう。勇者様には凄い力があるんですよ」


 そして再びマリアの後ろをついていく勇者。

 これではどちらが勇者か分からない、と言いたいがマリアの姿は正にシスター。

 それに今までが聖典のしきたりとは言え、ここからも似たようなもの。

 先ずはソルト台地を抉って作られた道を歩かねばならない。


「むむ。次はグリーンスライムですか。勇者様、先ずはここで練習をしましょう」

「へ…。えと、そのベトベトしてるのって魔物なの?…うーん」

「どうされたのですか、剣は一通り使えるとお聞きしましたけど」

「それは…。そうなんだけど、この剣が汚れそうで…」

「その剣でしたら、替えが利きますのでお気になさらず。もしくは魔法で倒してみたら如何でしょうか」


 愛らしく可愛く美しい少女の一声に、少年は両肩を跳ね上げた。

 そして、右手を前に翳してこう叫ぶ。


火球ファイアボール‼」


 右手の前方にこぶし大の火の玉が発生して、グリーンスライムに当たる。

 すると、ジュウ…と音を立てて、スライムが飛び散った。

 そして、丁度そこに居たのは彼と同年代のシスターであった。


「わ‼ゴメン…なさい」

「え…えと。大丈夫です。服も洗えばよいので。…でも、気を付けてくださいね。グリーンスライムは無害ですが、酸を持つタイプや溶岩で出来たタイプは沸騰させると被害が拡大することがありますので」

「そ、そうなんですか。…勉強になります」

 

 ピッタリとして服にねとねとがくっつき、更に体の線が見える。

 その様子に目を逸らしながら、勇者アークは何度もぺこぺことお辞儀をした。


「大丈夫ですから。それにこうやってお教えするのも私の役目。嬉しいくらいです‼」

「済みません。…外に出たことがなくて、魔物もあまり詳しくなくて…」

「それは仕方のないことです。特に今回は悲しいことに裏切り者が現れてしまいましたから…」


 しかもかなり早い段階で、この辺りも魔物の出現率が高くなった。

 だから、勇者アークはより一層、悲しい子供時代を過ごすことになった。

 彼の肌の白さがそれを物語っている。


「勇者様。次は人食い大ネズミです。その名の通り、恐ろしい魔物ですよ」

「ひ、人食い…?…でも、ネズミなら」

「はい‼行っちゃってください‼」


 キィィィ‼

 バサッ‼


 今度は見事な太刀捌きで大ネズミを一刀両断した。

 すると、パチパチパチパチとシスターが拍手をする。


「流石は勇者様です。初めて村の外に出たとは思えません」

「そ、そう?それなら良かった…かな」


 勇者は恥ずかしそうに頬を染めた。

 そして、パチパチパチパチパチパチパチパチと拍手が鳴りやまない。


「その…。すみません。情緒がありません…よね」


 村の明かりは全て消され、暗闇の中で儀式は行われることになっている。

 そして日が昇る前に、勇者とシスターはソルト山地へと歩き出す。

 だから、人気はない筈なのに多くの人間がそこに居る。

 魔物が見学に来たわけでも、モルリアから船出来たわけでもなく、全員が鎧を着こんだ北部の人間たち。


「流石は勇者様‼」

「これでやっと俺たちの…」

「おい。聞こえるぞ」


 私語をしている兵士を、マリアがじろりと睨む。

 ただ、勇者の方を振り返る時には笑顔に戻っている。


「これだけ見られると緊張されるのも仕方ありませんよね」

「はい。僕、こんなに人がいることに圧倒されて…」


 十歳の時のレプトの発言、ドメルラッフ平原の戦いのせいでこうなった。

 ブーツ半島は領地的にはドメルラッフ領なので、流石に南部一帯を諦めるしかなかった。

 なんせ、ソルト山地の道の左右に兵士がズラリと並んでいる。


「勇者様、トリホーンラビットです‼」

「は、はい!」

「勇者様、グリーンスライムです‼」

「はい。今度は気をつけます‼」


 そして、


「勇者様、アンデッドッグです。これは先ほどの魔法を使われた方が宜しいかと」

「わ、分かりました。──火球ファイアボール‼」

「おおおおおおおお‼」

「魔法も自在‼」


 流石は勇者様だ、アーク様だ、なんと勇ましい姿、隣の人って巫女さんって、マリア様?めちゃくちゃ綺麗な人じゃん。

 騎士団は野次馬へ変わり、歓声にも似た声が上がる。


 その度に「め‼」とマリアがにらみを利かせる。


 これが今回の勇者の旅立ち。


 同じ世界線の出来事なのに、儀式の内容が違う。


 同じ世界線の出来事なのに、外の様子が違う。


 太陽は同じ時刻に昇るのに、松明のせいで日の出を待たなくても外は明るい。


 時間が巻き戻っただけなのに、何もかもが異なる中。


「とても良い感じです、勇者様。この調子でどんどん行きましょう!」


 何もかも違う世界で彼女は勇者を褒め称える。


 誰にも分からないが、あの顔は前の世界のマリアと全く同じ。


 勇者アークと同じ顔をした勇者アークが隣にいる。


「うん。でも、僕が倒さなくてもいいような…」

「そんなことありません。これは定められた道なのです。あれらは木か岩かカエルくらいにお考え下さい」


 凛々しい顔、金色の髪、青水晶色の瞳、透き通るような肌の色、まつ毛の色、歯の色、その全てが同じ。


 ここでは誰も判断が出来ないけれど、どこかが違う勇者アークはいざ進む。

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