第6話 逃げたはいいけど
「レプト…?ここが目的地?その、なんていうか」
母親の心配そうな顔。
「確かにアイザックの私兵も、王国兵も、ドメルラッフ公の兵も追っては来ていないが…、ここは」
父親も同じく顔を顰める。
追っ手を逃れて西南西へ、とにかく歩いて歩いて歩きまくった。
その結果、水と食料は殆どなくなってしまった。
「…オアシスでもあると思った?」
「そこまでは贅沢言わないけど…」
「贅沢どころじゃない。こんな場所があるなんてな。違う意味でだが」
この辺りはモルリア諸侯連合とウラヌ王国の国境である。
ウェストプロアリス大陸の主要な街は基本的に東に偏っている。
主要な道路も東側には存在し、そこには立派な国境門が存在している。
だけど、こっちの国境は、あくまでこの辺りという表現なのだ。
「ネズ、ギャン。その水を飲むんじゃない。ここに来る途中、説明しただろう。ブーツ半島の基部から南方に連なるソルト山地は文字通り、塩分を含んだ山だって」
山の向こう側は大海が広がっている。
ここから北西部、といってもかなり遠いが、そこにあるのがブーツ半島であり、ミネア村だ。
あっちは海で発生した雨雲が山にぶつかって、健全な雨が降る。
だが、こちらに雨雲はやってこない。その代わり、山から湧き水が出ているが、それらの殆どが塩水なのだ。
ついた名前は塩荒野。
だから、この辺りは作物が育たたない。だから、この辺りを領地とは言わない。
ここを越えるだけで部隊が大きく疲弊をする。
それ故に、誰も追ってこない。
「ねぇ。ボク喉乾いた。レプト兄ちゃん、お水ー」
「こら、テス‼レプト様に言っても仕方ないでしょう」
なんと、助けた偽勇者の子供全員の親が生存している。
そういう意味では、脱出は大成功。
だけど、誰も追ってきていないという理由を考えれば、大失敗とも言える。
殺されるよりも過酷な地。遥か昔には、ここに置き去りにするという刑罰さえ存在した。
と、前の世界でギルガメットが言っていた。
彼らは史実通り、あの場で殺されていた方が幸せだったのか。苦しまなかったのか。
この地を選んだことに私情を挟んでいないのか。
「……」
慰霊祭で出会わなければ、俺は今のまま…。アークに選ばれることのない人生を送っていた。そりゃ、あの時は勇者を妬んでいた。勇者がもっと早くに現れていたら、父さんと母さんは…。こいつらだって幸せに暮らしていたかもしれないんだ。だから、俺は違う道を…
──塩水じゃなくて、ただの水?それならグリーンスライムが生息してる場所を探したらいいかも
「あ…、そうか。父さん、母さん。小物モンスターと戦える人を集めて、グリーンスライムがたくさんいる場所を探すんだ」
「えぇ?グリーンスライムって、もしかして…」
「食う…のか?」
「違うって。そもそもスライムって──」
──塩分に弱いんだ。体の中から水分が抜け出て、形を保てなくなる。ほら、スライムって殆どが水だから。浸透圧…だっけ。その関係で…
「集まっている場所から湧き出てる水は塩分を含んでいない。小物モンスターも集まっている筈だから、狩れそうなら狩って欲しいけど。先ずは水の確保からだ」
子供たちはぽかんとしているが、大人たちは怪訝な顔をしている。
だけど、新たな道を切り開いた少年の顔に、溜め息をついて頷いた。
「冗談の笑いって感じじゃないな。分かったよ。探してみる」
「それにしてもレプトのそんな顔、初めて見た気がするわ」
「え?俺、どんな顔…してた?」
「はぁ…。母親にも見せたことが無い楽しそうな顔。…あんな生活をさせてたんだから、仕方ないのだけれど」
母の言葉を慌てて頬に手を当てる少年。
確かに笑っている。いや、思い出しただけで楽しくなる。
それほど、アークとの冒険は楽しかったのだ。
「…そっか」
そう。だから、彼の気持ちは最初から決まっていた。
全員ではないけれど、守りたかった人たちを助けることは出来た。
だったら次は自分の番。やっぱり冒険に出たい。
親友と一緒に──
だけど、この時点での彼は気付いていない。
そうそう、神は二つのものを同時には渡さない。
一つの望みが叶ったのなら、もう一つの望みはその分離れていく。
それを知るのに、時間は掛からなかった。
□■□
「今だ。みんな、行くぞ」
少年の合図で、子供たちが一斉に北へ向かって走りだす。
「ネズ、そっち気を付けて」
「分かった!」
何処に罠が仕掛けられているかは、臭いで分かる。
どこを見ているのかも、何となくわかる。
女神の恩寵以外で得られた経験は大きい。とは言え、良い使い方ではないのだけれど。
「すげぇ。結構落ちてるぞ」
ただ、これくらいは許して欲しい。
子供たちがやっているのは、いわゆる『落ち穂拾い』だ。
時代が時代なら、貧困者にのみ許された行為である。
「この辺りは魔物も出るから、急いで刈り取って急いで帰ったんだと思う。それだけ食料にゆとりがあるってことでもあるんだけど」
「えー、ズルい。あたしたちの住んでる塩荒野とそんなに離れてないのに」
「だから、ここは領地なんだよ。ほら、文句を言っている間に気付かれるから、早く拾って」
この辺りで栽培されているのは大麦やライムギ。
小麦に比べて乾燥に強い穀物ではある。
だけど、彼女の言うようにここもソルト山地に近い。
「教えてよー。レプトお兄ちゃんは何でも知ってるじゃん」
「今度な。それに何でもは知らない」
収穫が出来るのは、この近くまで雨が降るからだ。
ドラグーン島周辺は海水の温度が高いため、ここより以北は雨の恩恵を受ける。
農業が出来るかどうかで国の形が変わる。
それがウラヌ王国の考え方、らしい。
「急いで刈り取って、急いで家に帰る。…この辺りも魔物の襲撃があるってことか」
この後、畑は一度放牧地へと変わる。
土地を休ませるとともに、牛が余分な草を食べ、ご丁寧に肥料まで体内で製造してくれる。
「だから、これは盗みにはならない…から。俺は…」
ただ、この時点でのレプトの考えから、一つの可能性が抜けて落ちていた。
収穫後に起きる別の可能性。収穫して、干して、食べられるように加工して。
「さ、そろそろ帰ろうか」
彼が子供の頃に経験したそれが、この後の工程だと勝手に思っていた。
勿論、それは間違えてはない。収穫しただけで終わらないのが穀物というもの。
「このまま、何事もなく。勇者が十六歳になれば…。まだ、数年は掛かるけど」
大麦粥をかきこみながら、違和感を覚える。
落穂は麦粥に、大人たちが刈った小動物は肉と革製品に。
ライ麦や小麦はパンに変わるかもしれない、
そして、それらを終えた農民たちは…
「た、た、大変だ!レプト!!」
「大変って…。大丈夫だよ。水源もどうにかなりそうだし、食料も…」
こんな違和感、信じたくない。
第一、意味が分からない。でも
「ドメルラッフ平原に松明が…。いっぱい…並んでて」
「…は?」
大切な食べ物が入った木の皿を落としそうになるレプト。
違和感はずっと抱いていた。
でも、意味が分からない。メリットが分からない。
「農民が農民兵に…?でも、俺達は」
「わ、私が見つかっちゃったのかな…。はしゃぎすぎちゃって…」
農民は農民兵へと変わる。
そして、ドメルラッフ平原は過去、いや未来に戦場へと変わる。
「それはないよ、ミンミ。これは俺のせい。そう言えば、あの時…」
──お、おのれ。やはり…。お前はぁぁぁぁああああ。猊下…、異常事態…で……
「ゲトロって奴が、教皇か誰かに連絡してた。俺と悪魔が通じてるって」
そういえば、ここ最近ハーピーの姿が見えない。
ミアキャットの方も。
「あ…。そか、ゲトロさん…それで…」
「そうか、ミンミの村に駐在してたんだっけ。ゴメン…」
「違っ…。ここまで来たら分かるよ…。あたし達は勇者様の身代わりで殺される予定だったんだって…。だから、お兄ちゃん、いつもありがとう」
「って、ミンミ!その気持ちは分かるけど、今はそんな暇ないんたぞ、二人共!」
「…そうだった。とにかく狙いは俺だ。」
俺達を監視しているのか、それとも勇者を探して更に西に行ったのか。
俺のせいで魔物の狙いが特定方向に集中したゆだろうし、あの男ハーピーと一緒にいるところも目撃されてるし。
「俺一人で行く…」
一緒に冒険したかったけど、そんな甘くはないか。
だけど、五十八人も救えたんだ。まだ、登場していない
「ダメよ」「駄目だよ」
「それは絶対に駄目!!」
「痛っ!ちょっと、待ってて、皆。俺が行かないと」
「お前は俺達の息子だ。俺はお前を助けるために死ぬ覚悟だってできてるんだぞ」
レプトは一人で世界を救い、命を落とすヒーローになろうと思ったが、アッサリと止められる。
それはそう。女神の恩寵がないから、力はその辺の少年と変わらない。
「いや、そういう意味じゃ…」
「だったら、どういう意味?お兄ちゃんは全然悪くないじゃん!」
「それに、あいつら。私達全員を殺すって感じよ?」
「いや、それはないって。皆は、ここに隠れ住んでいたら…」
「前みたいに?」
「そう、前みたいに。そしたら、今度は本物の勇者が助けに来てくれる…。ソイツは俺と違って」
多分、5年後くらい先だけど…
「お兄ちゃんは勇者だよ!」
「そうだよ。僕と僕の家族を救ってくれた。お兄ちゃんが助けてくれたんだよ!」
「う…、それは──」
以前にも思ったことだが、魔物も人間も勇者の容姿を知らない。
そして誰が決めたのか、十六歳になった日に旅立つことになっている。
それさえも知らない者は多い。
だから、ここでレプトは折れた。実際には折れたフリだったけど、とにかく
「分かった。皆一緒に行こう。いきなり魔法とか、長弓とか、カタパルトなんかもあるから、俺の十歩後ろくらい、な」
「うん!」「おう!」
実はここでも選択肢はあった。
最初の選択肢と同じ、モルリアへの逃亡だ。
同じと言ったが中身は全然違う。今回はドメルラッフの軍隊だから、連盟議長との繋がりは薄い。
だけど、そっちに行けばアークと会えなくなる。
会えたとしても仲間にしてくれるかどうか…
伝道師マリアを除いてだが、一番最初に出会ったから仲間にしてもらえたと、レプトは思っている。
王子様お姫様、有名な僧侶のあとって流石に…
「いや、どっちしても大将は無事じゃすまないか…」
それでも、少年は南の軍勢に向かって歩き始めた。
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