第3話 家族と未来の勇者と

「な…な…」


 頭の中に靄が掛かったみたいだった。


「なんだ…か、気持ち悪い…」


 その影響か、それとも激しく揺らされたのか、吐き気がする。

 べっとりとした汗。服が冷たく感じるほどの汗…、いや直ぐに乾いてしまう程の熱風。


「…‼嘘…だろ…」


 これは、夢?

 あそこで倒れたとか?

 色んな推測は出来るが、あっという間に無に帰すことになる。

 そんなことどうでもいい。

 目の前の光景、放っておけるわけがない。


「母さん‼待ってて、今助ける‼」


 とても懐かしい顔、思い出したくもない光景。


「…お母さんのことはいいの。レプトは私たちの自慢の子。早く逃げて…」

「嫌だ。俺は…」

「ゴメン…ね」


 ——レプト、勇者に産んであげられなくてゴメン


 母の言葉はそう続く。 

 この頃はまだ、どこから勇者が生まれるのか分からない。

 マリアは啓示を受けているだろう。だけど、勇者が十六歳になり出発式を終えるまでは、全ての村に偽勇者の子供がいる。


「レプト…」

「嫌だ‼俺は母さんを助ける‼父さんも、この村も‼」

「無理よ。お母さんの足は…」

「無理じゃ…ない…」


 ここでこうしていれば。ああしていれば。何度考えただろう。

 女神エリスの言ったことは正しい。

 これから先、どれだけの人間を助けたとしても、その道を振り返れば、ここに辿り着く。

 母親の言う通り、逃げたから先があるのかもしれないけど、たらればかもしれないけど


 俺が…、もっと賢ければ…


「俺は逃げない。その為に俺はここに戻って来たんだ。子供の力でも、どうにかなる」


 女神アリスの加護は失われても、やり方は覚えている。

 ほんと、魔法系の能力じゃなくて良かったと思える。

 ここはグラム村の小さな教会で、母親の足は瓦礫に埋まり、身動きがとれなくなっていた。

 農具も何もかも、教会が管理していた村だ。そして魔物が来たら子供たちは女神アリスの加護を求めて、教会に逃げ込む。


「駄目よ。お母さんを助けている間に魔物が来てしまうわよ」

「そんなの知らない。…ここが支点だな。あと母さんの足に乗っているのは…。良し、この錫杖をここに」

「レプトはお父さんに似てかけっこは得意でしょ?だから、今からお母さんと競争しましょ。…せーの!」


 どうにかして逃がそうとする母、名をティレという。


 あの時はどうしようもないと思ったけど…

 なんで吟遊詩人は俺の将来を奪うんだと思ったけど…

 今は——


「母さん。俺を誰だと思っている?」


 そして、母が懸命に絞った言の葉は奇しくも。


「ゴメンなさい‼レプトは勇者じゃないの…、勇者に産んであげられなくてゴメン。でも、勇者の代わりに死んでは…」


 この制度には唾を吐きたくなる。 

 この時代、服だけは沢山ある。良いものが支給もされる。

 特に子供服の供給は惜しみなく行われる。その殆どはモルリアから運ばれたものだ。


 ——アリス様に選んでもらえるように


 なんて領主様が手ずからプレゼントしてくれることもある。

 その領主は子供たちに目立たない格好をさせているのだ。


 唾棄すべき奴ら。だけど、今は母さんを…


「分かってるよ。俺は勇者じゃない。…だけど、共に世界を救う大盗賊になる予定なんだ」


 ガラ…、ガラガラガラ…


「…レプ…ト?」


 結局、戻っても母親は救えなかった…、なんてバッドスタートじゃない。

 力はなくとも知識だけは残っている。どうすれば罠を解除できるか知っている。

 即死トラップの見破り方を知っている。


 だったら


「この程度のパズル。俺に解けない道理はない。これで足が動く筈だ。母さん。父さんはどこ?一緒に逃げるんだ」

「駄目よ。領主様にバレたら…、アリス教会にバレたら…。貴方だけならまだしも…」


 この時期の子供は、自分が勇者に選ばれるかもと言われて育つ。

 身内も騙さなければ、カモフラージュの意味がない。

 それこそ、モルリアなど。魔物の被害が少なかった地域の同年代の子らは皆、こんなことを言っていた。


 ──この世代に生まれて良かった、と


 勇者様と違わない扱いを受けるから、領主を含めた大人たちが皆優しかった、と口々に語った。


 あの時、彼らの言葉をどんな顔で聞いていただろう。

 勇者アークは情報集めが下手だったし、モルリアに来た頃は彼の師匠が死んだあとだったから、レプトが動くしかなかった。

 それに加えて、仲間の王族が加わっていたから、下調べは全部自分がやっていた。


 アークは直ぐに死にかけるから、本当に大変だったんだよな…


 まだ汚れていない手の爪を、汚れ仕事が板についた心で噛む。

 その結果、純真無垢な顔で碌でもないことを思いついてしまう。


「…考えならある」


 アークは信用を得るまでに時間が掛かっただけだ。

 戦いに関しては、本当に勇ましい。それこそ死を恐れない。


「考えって…。これは仕方のないことなのよ?」

「大丈夫。アイツは…強い。だから…、大丈夫」


     □■□


 彼は魔王の全身全霊の魔力が篭ったオーブを触ってしまった。

 世界の時間は巻き戻り、レプトは自身の分岐点に戻ってきた。


「親父‼…良かった。まだ、大丈夫だった。ちゃんと生きてる…」

「何が大丈夫なものか‼レプト‼お前、どうしてここに来た‼」


 父・リプト。レプトと同じ、鳶色の髪の毛の男。レプトがまだ声変りする前だから、三十歳前後。農民兵に限定しなければならないが、まだまだ第一線で戦える。

 守るべき息子が、魔物の襲撃のど真ん中に飛び込んできたのだ。

 命を賭して戦っていた彼にとっては、全然大丈夫じゃない。


「どうしてって、この無意味な戦いを止める為だよ」

「無意味なものか‼早く隠れろ‼」


 勇者アークは特別だ。

 千年だか二千年だかに一度だから、そういうものかもしれないが、彼には耳を疑う特徴がある。

 文字通り、勇者の耳を疑ったことは何度もある。


 ——勇者アークの耳は魔物の言葉を聞き取れるのだ


「聞こえるか、ハーピーぃぃぃぃぃいいいいいいい‼どこかにいるんだろぉぉおおおおおおお‼」

「馬鹿、レプト‼」


 うん。結構見られてたよ。空から…

 はぁ?マジかよ。お前、ハーピーっつったらイーストプロアリス大陸の魔物だぞ?

 そうなの?でも、色んな所にいたよ。で、僕たちの行動を監視しているみたいだった。

 監視?魔物って勇者を倒せば勝ちなんだろ?

 そうなのかな…。でも、見てるだけ。あっちにも事情があるみたいだから、それで…かな?


 魔物に対しての恐怖はない彼。だから、無謀に突っ込んで死にかける彼。

 そんな彼が教えてくれたのだ。


「聞こえてんだろ‼この村に勇者はいない‼食べ物は全部持っていっていいから、俺達を見逃してくれぇぇぇぇえええええ‼」


 その言葉に目を剥いたのは、魔物ではなくグリム村の民と村の警備を任せられた領主の私兵たちだった。

 何の為にカモフラージュ村が存在しているのか、という話だ。


「おい。お前の子供だろ。早く大人しくさせろ」


 この頃に生まれる子供は少ない。

 王族、貴族レベルでも二人までしか子供を作らない。

 だから、否が応でも彼の存在は目立つ。

 それでも、肉親を守る為に叫ぶ。 

 これから話す内容は、周りに聞かれたら、ただでは済まない。

 済まないことをレプト自身も知っている。


「——俺は‼勇者の居場所を知っている‼」


 更に大人の目がひん剝かれる。傍から見たら、子供の戯言だ。


「コイツ、何を言ってんだ。おい‼」

「レプト‼自分が何を言っているのか分かっているのか‼」


 そも、領主から送られた私兵レベルも知らない話。

 そして、万が一にも真実であれば、立派な人間への裏切り行為だ。


 ガサッ…、ベチャ…


「な…。魔物の動きが…止まった…?」


 因みに村を襲っているのは、人食い大ネズミ、トリホーンラビット、グリーンスライム、一番強くてもアンデッドッグ。

 つまりは小物モンスター。だが、それでも魔王核の力を受けた魔物たちは、この程度の村など簡単に蹂躙できる。

 グリーンスライムはなかなか死なないし、大ネズミだって人食いなのだ。


「魔物に人間の言葉が…通じた?いや、人語を解する魔物もいるが…」


 それに関しては、レプトも同意見。

 アークは魔物の気持ちを理解できるが、人間の言葉では会話をしていない。

 でも、その理由は直ぐに分かった。

 ブワァァァアアアと上空から吹きおろしの風が吹いたのだ。

 上から来るのだから、空を飛んでいた魔物。

 小動物系の魔物が止まったのは、司令官から命令があったからだ。

 

「小さき者…。人間の子…。偉そうに私に喋りかけるな‼」


 更に強風が吹く。ズンと体が重くなり、レプトも大人たちも皆、崩れ落ちる。

 どうにか抵抗しようとする姿は、平伏した姿にしか見えない。

 頭も重い。頭を垂れてしまう。どうにか力を振り絞り、首を挙げるとそこには女形のハーピーの姿があった。


「勇者の居場所を知ってるとか言ってたにゃ」

「モルリアのミアキャット…?…げふぅ‼」


 そして白銀の猫女。モルリアでよく見かける種の魔物。

 グリム村があるアイザップ地方の私兵は知っていたらしく、声をあげたがその瞬間にはるか後方に吹き飛ばされた。


「厭らしい目を向けるにゃ、人間。ウチはモルリアで飼われているミアキャットと違うにゃ」


 そも、ミアキャットもイーストプロアリスの魔物。

 モルリアからは船が出ていて、人間と魔物の共生が行われている。

 ウェストプロアリス大陸の北側では信じられない光景が、南には広がっていた。


 この中で何人が、それを知っているんだろう。…でも、今俺がやるべきは


「下等なる人間の子よ。貴様、今何と言った?」


 紫の髪、いや翼?空目すると人間のように見えるが、鳥の足つまりあしゆびは見るだけで悍ましい。

 アレは一蹴りで柔らかな人間の腹部を貫くだろう。臓物がまろびでて、それを他の魔物たちが生きまま食うに違いない。

 彼らが人間の村を襲っている理由の一つがソレと、これから誕生する勇者は教えてくれた。


 俺が…、やるべき…は。俺は──


「この村に光の女神アリスの使徒、勇者は生まれない。見たら分かるだろ‼…くっ‼」


 話した瞬間、その趾が飛んできた。

 でも、それは顔をかすめただけ。もしかしたら後で自分の顔を見たらゾッとするかもしれないけど、やろうと思ったら首を飛ばせただろう。


「そっちじゃないわよ。居場所を知っている。確かに言ったわよね、ミア?」

「うんうん。聞いたニャ。…でも、ウチたちの前でも怯まないお前が勇者かも知れないニャ」


 覚悟を決めた。だけど、この言葉にレプトは目を剥いた。

 人間がそうであるように、魔物も人間の区別が苦手なのだ。

 そも、彼女たちが生きている間に勇者を見たとは限らない。


 だけど、この時。


「レプトは勇者じゃないの‼これは本当…。私が産んだから…。…ゴメンね。レプト、勇者に産んであげられなくて」


 飛び込んでくるのは母親。


「アンタには聞いていない。死んでくれる?」


 そして、レプトの体が、いや心が青褪めた。

 だけど、それじゃ何のために…


「母さん、危ない‼」


 ぐしゃ…


 背中に痛み、痛いというより熱い。そんな感覚で一瞬、気を失いそうになる。

 だけど、流石は子供の体のようで吹き飛ばされた割に、複雑に骨折することはなかった。


 いや、手を抜かれた?何のために…


「成程。確かに弱い。これが勇者なわけないわね。…いいわ、その取引。乗ってあげる。私たちも暇じゃないからさっさと言いなさい。勇者が生まれた村の場所をね」


 ──俺たちはハッピーエンドを迎えた。


 だけど、本当に俺にとってのハッピーエンドって呼べただろうか。


 そんな悪感情が過る。でも、アークなら大丈夫だとねじ伏せる。


 そして俺は…


「村の名前を言っても分からないだろ。…勇者が生まれたのはプロアリス大陸の最西端。そこにある小さな村だ」


 ──家族を守る為に、…親友を売った

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