囚われて

第8話 氷の檻

 叫び声で目を覚ましたランが半身を起こすと辺りは暗闇に包まれていた。

 少し離れた場所で何かが複数動いている。

 それが野犬に襲われている盗賊達だと察し、危機的状況であると判断したランは起き上がって逃げようとした。


 が、ふと腕の痛みがないことに気づいた。

 触ってみても血の跡はあれど傷口がない。


 そして足元に視線を落とすと何かが横たわっている。

 一瞬、何か分からず驚いたが、それが気を失っているフィンだと気づいてしゃがんで揺り起こそうとした手が止まる。

 暗くてよく分からなかったが徐々に夜目に慣れて来ると周囲に薄い膜が張られているのに気づいた。

 その膜も腕の傷が完治しているのもフィンの魔法のお蔭だと察したランはフィンを肩に担いで野犬に気づかれないようゆっくりと忍び足でその場を去ろうとした。

 膜の中から出られないかと思ったが、膜に触れるとシャボン玉が弾けるように消え去った。


 野犬達に気づかれるかと思われたが、野犬も盗賊も互いに集中していて気づいていない様子だったため、ランは急いでその場を離れることにした。


 肩が完治しているとはいえ、フィンがまだ幼いとはいえ、人一人肩に担いで歩き続けるのは流石に困難で急ぎ足だったのも束の間、すぐに足取りは重くなった。


「俺も魔法が使えたらな……」

 大きく息を吐いて途中木陰にフィンを降ろし、ぐっと体を伸ばしてから再度フィンを担ごうとした手を止める。

 フィンのまぶたが僅かに痙攣けいれんするのに気づいたからだ。

 その直後、ゆっくりと目を開け、次いでランを見上げて来たので「起きたか」と声を掛ける。

「……ラン?」

 まだ暗闇に目が慣れていないフィンは目の前の人影に一瞬怯えた様子を見せたが聞き覚えのある声と風貌に恐る恐る問い掛ける。

「歩けるか?」

 片手を伸ばし、フィンを立たせる。

 ゆっくりと周囲を見回し、現状を把握しようとするフィンの手を引っ張り、「急ぐぞ」と急かした。


「何があったの? ランが助けてくれたの?」

 何も覚えていない様子のフィンにランは「ああ」と素っ気なく返事し、再度フィンの手を引いた。

「立ち止まったら獣に襲われるぞ」

 ランのその脅しにフィンはランの手を強く握り、小走りになる。

 鳥や虫の声、木々のざわめく音に不気味さを感じながらも二人は無言で歩き続けた。


 そして夜が明ける頃にはようやく目的地に辿り着いていた。

 だがそこは当初目指していた町ではなく、森の奥にあったランの知り合いの家だった。


「ここって……?」

 魔女の家なのか、と不思議そうにするフィンにランは慣れた様子でドアをノックした。

 リズミカルに二回、次いで三回、最後に強く一回。

 通常のドアのノックの仕方ではない。

 少し間が空いて開けられたドアから姿を現したのは金髪のくせ毛のある長髪の男だった。

 暗く濁った茶色の瞳にフィンはランの背後に隠れる。


 魔女ではないのは明らかだった。

 ランのお父さん? と一瞬思ったが人相の悪さに先程の盗賊達が思い出される。

「ラン? 久し振りだなぁ」

 ニヤリと笑んで両腕を広げ、歓迎する様子に「オジサン、久し振り」と親しそうに挨拶するランにフィンはおずおずとその背後から顔を出した。

 そのフィンの髪の色に男は一瞬驚いた表情を見せたがさらに笑顔になり「まぁ、入れ入れ」と家の中に二人を促した。


 男の家は外観も蔦に覆われており、中も天井から薬草と思われる乾燥した草や花の束が幾つも吊るされていた。

 そのせいか独特の香りが漂っている。

 部屋の壁はいずれも書架または引き出し付きの棚になっており、薬屋を営んでいるような雰囲気だった。

 男の他に住人はいないようだがきちんと整理され、部屋も綺麗に片付いている。

 ただ奥に置かれた机には紙の束が乱雑に重ねられ、床にも一部散乱している。

 また薬を作る道具のような物も雑然と並んでいた。


「薬屋さん?」

 部屋の中を見回していたフィンが小首を傾げてランに問うと少し間が空いて「そうだよ」と男が答えた。

「君はランの新しい友達かな?」

 笑顔を向けられ、フィンはぎこちなく頷いた。

「そうか。名前は何て言うんだ?」

「フィニアン。でも皆フィンって呼ぶの」

「そうか。いい名前だね」

 そうニヤリと笑った男はすっと真顔に戻り、フィンに向かって片手を伸ばした。

「フィニアン、眠レ」

 男のてのひらで視界を遮られたフィンは急にまぶたが重くなり、そのまま後方へ倒れ込むのをランが慌てて支えた。


「で? 私のところにビビを連れて来た理由は? ルウは一緒じゃないのか?」

「ルウはこいつが連れてた猫を追いかけてる。なんか変わった猫だって珍しくハンター魂に火が点いたみたいでさ。俺は別に普通の猫にしか見えなかったけど。それよりこのビビ、魔法も使えるんだぜ? そっちの方が興奮するだろ?」

「だな。でもルウがお前と別れてまで追いかける猫ってのも気になるが……ま、高値が付くのはビビこっちだな」

 そう言って男は再びフィンの顔の前で掌をかざし、「ベネ・クゥィー・ラトゥイト・ベネ・ウィークシト」と呪文を唱えた。

 するとフィンの体がゆっくりと宙に浮き、赤子のように丸まると卵型の氷の檻が包み込んだ。


「このビビ、魔法が使えるって言ったな。どんな魔法を使う?」

 両腕を組んで難しい表情の男にランもいぶかし気に男を見上げた。

「何でそんなこと訊くんだよ?」

「眠らせた時の魔法の効きが悪い気がしてな。この歳で私の魔法に耐性があるとは思えないんだが」

「それって凄いってこと?」

「考えられることは二つある。魔法士の中でも珍しい類か名前が違うか、だ」

「ああ、それなら名前だね。このビビ、記憶喪失なんだ。自分の名前も分からなくてボロボロの恰好で猫と一緒に宿に来たんだ」

「なるほど。ビビで記憶喪失で魔法が使えるのか」

 男は顎に片手を当て、少し考え込んでから「ドーナー・ノービース・パーケム」と再び呪文を唱えると氷の檻が蔦で覆われ、天井から吊るされた。


 その様子にランが「何をしたんだ?」と男に詰め寄ると「念には念を入れただけだ。心配するな」と言って部屋の中央のソファへ誘導する。

「ここまで来るのに疲れただろ。私もお前に起こされて朝飯がまだだ。腹が減ってるならそれなりに作るが? どうする?」

「うん、ペコペコ。途中で盗賊に遭うし、気絶したこいつを担いで歩いたし、大変だったんだぜ?」

 どかっとソファに座り込むと途端に疲れを感じ、ランはそのまま横になって足を投げ出した。


「盗賊? 怪我はしなかったのか?」

 キッチンへ移動しながら男が心配そうに問う。

「肩を刺されたんだけどさ、こいつの魔法で治ったし、おまけになんか膜? みたいなもので防御されててお蔭で助かった」

「使うのは白魔法か……もしかしたらだがこのビビ、希少種かもしれんな」

 男の声音が僅かに興奮の色を帯びる。

「どういうこと?」

「つい最近、有名な白魔法士の村が一夜にして消滅したって噂があってな、その村の生き残りだったらそのビビ、かなりの高値になるぞ」

「村が消滅……それって火事があったとか?」

「さあ? 何があって消滅したかとか詳しいことは分からんがルディが出張ったって聞いたからとんでもないことが起きたようだが」

「ルディ?」


「深紅の魔女だよ。この世界の魔法の均衡を司る魔女」


 その名にランは思わず上体を跳ね起こした。

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