第7話 森での出来事

「何も知らないと思ったか? 真昼間にこんな場所で働く盗賊はいない。素人の物盗りじゃないんだ。下調べして情報を仕入れてから動く。賢い奴はそうする。だから偶然ビビに会ったんじゃない」


 得意気に喋った男がニッと笑ったのとほぼ同時にランは背中をぶつけ、反射的に振り返って確かめる。

 ちょうど人一人分の太さの木があるのを見て再び前を向くと男が短剣を抜いてニヤついていた。


「ま、待った。金なら出す」

「金はいらねぇ。ビビがいれば充分だ。俺達は情け深いからな。路銭まで盗ろうなんて真似はしねぇ」

 ビビを捕まえた男がそこまで言うとランに迫る男がニヤリと笑んだ。


「あの世への路銭だがな」

 そう言いながら短剣がランの首を狙ってぐ。

 が、「だめっ」とフィンの叫び声と共に寸での所でぐいっと何かに引っ張られるように後方へ飛んだ。

 後方にはフィンを捕まえた男達がいる。

 反射的にフィンを解放して横に逃げようとしたが目前に飛んで来た男を避け切れず、咄嗟にしゃがんだフィンの頭の上をかすめ、男の顔面にぶつかって後方にいた男達を巻き込んで倒れた。


「逃げるぞっ」

 ランが叫ぶとフィンは急いでランに向かって走った。

 その横を鋭い物が飛んでランの左肩に刺さると鈍い痛みでその場に片膝を突く。

「ランッ」

 フィンが駆け寄るとランは右手でフィンの手を取って立ち上がり、「走るぞ」とその手を引いた。

 だが追いつかれ、フィンの長い髪を掴まれてしまった。


「手こずらせやがって」

 殺気立った口調ではあったがその目はすぐにニヤリと笑んだ。

「魔法が使えるビビなんてツイてるな」

 ぐいっと髪を引っ張られ、フィンが短く悲鳴を上げる。

 ランも肩の鈍い痛みでフィンの手を離して肩口を押さえた。

 その血に染まった肩にフィンが手を伸ばすと淡い光がフィンの体を包み込み、その場の全員が気を失って倒れた。


 一方その頃、旅支度を終えたルウは運良く東へ向かう幌馬車ほろばしゃを見つけ、東の森の中にある小さな村に着いていた。


 馬車はこの村で荷を積み、先程の町へ戻る予定のため、ルウは御者の男に礼を言って降りた。

 宿どころか店もない小さな村。

 こういう場所では泊めてくれる家を探さなければならない。

 旅人が多く立ち寄る村であればすんなり見つかるのだが、大抵は見ず知らずの他人を泊めてくれる家はない。

 この村の先は深い森になっており、森を抜けて次の村や町へは徒歩で丸一日以上かかるらしい。

 馬でもあれば日が落ちるまでには着けるかもしれないが、この村で馬を借りるのも難しそうだった。


 だが、十五歳の少女ルウ一人なら警戒されることなく、割と簡単に泊めて貰えると知っていた。

 兎の二、三羽でも仕留めて行けば必ず泊めて貰える。


「さすがに初めて来た村で無料ロハでって失礼よね……」

 そう思ってルウは森へ入って行った。

 狩り慣れているルウの経験上、森に入れば小一時間もあれば兎の一羽くらい仕留められる。

 何も仕留められないということはなかった。


 だが。

「何なのよ、この森……鳥一羽いないじゃない」

 弓を手に歩き回ったが妙に静かで獣の気配がしない。

 周囲の草木を見ても獣の痕跡がない。

 熟練のハンターとは言い難いがそれでも幼い頃から弓を手に山や森へ入っている。

 一年の半分近くは山や森に行くルウだが、この森の様子は静かすぎてそれが逆に怖く感じた。

 そこまで大きくはないが小さな森でもない。

 それなのに昼間とはいえ、獣の気配が全くしないのは異常だった。


 真上に高く上がっていた日も傾き始め、仕方なくそろそろ村へ戻ろうかと振り返った瞬間、初めて何かの気配を感じた。

 咄嗟に弓を構え、周囲に気を配る。

 何かが土を踏む音、茂みを揺らす音、そして獣と思しき息遣い。

 この感覚は兎などの小動物じゃない。鹿や猪でもない。

 虎か狼か。

 狩られるモノではなく狩るモノの気配。

 その方向に弓を構えたまま、ゆっくりと後退して距離を取る。


 来る!


 そう思って弦を引く手に緊張が走った瞬間、茂みから飛び出して来たのは野犬だった。

 しかも一匹ではなく五匹。


 油断した。


 後悔しながらも真正面の一匹の胴に命中させ、二本目を背の矢筒から取り出して射るが焦ったせいかそれは外してしまった。

 三本目を取り出す間もなく間合いを詰められ、「ダメだっ」と諦めた瞬間、脇から小さな影が飛び出し、野犬とルウの間に割って入った。


 それがただの猫だと認識するとルウは走って逃げ出したい衝動を抑え、ゆっくりと後退し始めた。

 走って逃げるものは反射的に追いかける獣の習性を知っているからだ。

 手負いの野犬を除いてもまだ四匹いる。

 こちらが不利なのは変わらない。


 すぐに飛びかかって来ると思ったが、なぜか野犬達はその場に立ち尽くし、唸り声を上げながらも目の前の小さな黒猫に怯んでいる。

 数でも力でも有利な筈の野犬が、だ。

 対する黒猫は毛を逆立てる訳でもなく、唸り声を上げるでもなく、ただじっと野犬達を見据えている。


 まさかフィンの黒猫?


 ルウがそう思ったのとほぼ同時に黒猫の体が淡い青い光に包まれ、大きく膨らむようにその姿を変えた。


 猫じゃない。豹だ。


「走れっ」

 黒猫改め黒豹が叫ぶ。

 弾かれたようにルウは構えていた弓を降ろし、踵を返して後方へと走った。


 今の何? 何が起きたの? 猫が豹になった? 猫が喋った?


 疑問符が次々と頭に浮かぶ中、ルウは無我夢中で走り、気付けば森を抜けていた。

 元のあの小さな村ではなく、平坦な道に出ていた。

 その先には遠目に町が見える。

 日は落ちかけ、夕暮れに染まる道にルウは大きく息をしてようやく立ち止まった。

 息を整えてから振り返って後方を確かめる。

 野犬もあの黒豹の姿もなく、追って来る気配さえない。

 助かったと安堵すると再度疑問が頭の中を回り始める。


 さっきのは何だったの?

 森を抜けるのに人の足じゃ丸一日はかかるはずなのに隣町が見えるなんてどういうこと?

 あたしの足が速い訳じゃない。

 あんなに走ったのに思った程疲れてない。

 夢でも見てるの?


 考えても答えが出る訳もなく、ルウは両手でパンッと顔を挟んだ。

 夢じゃない、と実感してふと手に弓がないのに気づく。


「あたしの弓っ!」

 叫んで周囲を探す。

 次いで背中の矢筒に触れると矢筒はあった。

 今までどんなことがあったって弓を手放したことはなかった。

 自分の失態に来た道を茫然と見つめる。


 探しに戻るか、弓を諦めるか。


 選択肢は二つ。

 戻ればまた野犬に襲われるかもしれない。

 レオかもしれない黒豹が何なのか確かめることができるかもしれないが襲われないという保障はない。

 危険は伴うが弓が戻る可能性もあるし、何より荷を森の中に隠して来た。

 狩りをする短い間、荷が邪魔になる。

 すぐに村に戻るつもりだったので食料も金も全部置いて来た。

 それを放置して行くのはあまりにも勿体ない。

 探しに行くか、と一歩踏み出すがその足がすぐに止まる。


 弓を諦めれば今は安全だがこの先もそうとは限らないし、狩りをして路銭を稼ぐこともできない。

 でも急げば隣町まで日没までには着ける可能性はあるし、戻って怪我なんてしたら助けも呼べず最悪死に至る。

 第一もうすぐ日が落ちる。

 夜の森で一人で狩りをしたことはないし、狩りを教えてくれた人からは夜に一人で森に入るな、ときつく言われていた。

 野宿することも多かったが、ランと一緒で交代で仮眠を取ったし、なるべく野宿は避けるようにしていた。


 弓を諦める?


 そう揺らいでいた時、森から出て来る影があった。

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