第三十七話 エンデの闇

 息が詰まったかのな、沈黙の時。


「ひっ……うわああああん!!!!」


 それを破ったのは、レリック侯爵の子女――メーニャだった。

 メーニャは頼れる父の腰に抱き着き、顔を埋めながら恐怖のあまり大泣きする。


「メーニャ、落ち着いて。大丈夫だから」


 そんなメーニャを、灰髪蒼眼の若い男――兄であるハイリンスが背後から抱き寄せ、父の邪魔にならないようにした。

 一方、一縷の殺気も無く2人の護衛を瞬殺したエンデは、伏せていた目をそっと上げると、少し悲し気な瞳を見せる。

 そんな彼の前には、キラリと光る線と、そこから滴る鮮血があった。


「糸使い……か」


 あの一瞬の隙に鋼糸を張り巡らせ、向かってきた護衛を斬り刻んだのだろう。

 すると、エンデは「その通り」とレリック侯爵の言葉に頷いた後、こんな言葉を口にする。


「決意が硬いようだからね。残念だけど、拷問させてもらうよ。正直、別に龍脈石を回収出来さえすれば、最低限問題は無いんだ。管理者権限は、後から解析して手に入れればいいだけだからね」


「くっ……」


 穏やかに紡がれるエンデの言葉に、レリック侯爵は焦燥感に駆られる。


(私では勝てん。だが、だからと言って言うつもりも毛頭ない。であれば、助けが来る事を信じて待つしかないな……)


 なら、自分のすべき事は――時間稼ぎだ。


「……エンデ。龍脈石を盗って、何をする気だ?」


「ああ、悪いけど質疑応答の時間を取る事は出来ない。すまないね」


 だが、その問いはあえなくバッサリと斬られてしまう。

 マズい――そう思ったレリック侯爵は、即座に話題の趣向を変えた。


「人々に多大なる恩恵を与えて来たここの龍脈石を壊す事――それは本当に正義か? 世界救済をすると言うのに、正義は掲げないのか! 秩序を、法を、考えないのか! それでどれだけの人々が、不幸になると思っている!」


 レリック侯爵はそう言って、エンデの信念を突く。

 それは、結論から言えば時間稼ぎとしては大成功だった。

 だが――


「黙れ」


 その言葉は、ずっと穏やかだったエンデを怒らせてしまった。

 口調こそは穏やかなものの、凄まじいほどの怒気を溢れさせながら、エンデは言葉を紡ぐ。


「お前が指す”正義”、”秩序”、”法”――それは全て幻想だ。現実のそれは、権力者が――何も為す事が出来ない無能が、今の生活を謳歌する為に利用する道具」


 まるで何かを恨むように、エンデは言葉を続ける。


「自分にとって都合の良い所だけを切り取って弱者を虐げ、弱者が掲げればそれを以てして潰す。矛盾だらけ。反吐が出るね」


 恨み、恨み、恨み。

 そして――諦め。

 だからこそエンデは、決めたのだ。


「だから、僕は奴らが言う戯言を全て無視する事にした。”正義”も”秩序”も”法”も――何もかもね」


 そんな、正常な人間が聞けば狂気とも言えてしまう事を。

 それには思わず、レリック侯爵とハイリンスは息を呑んだ。

 この2人とて、ここまで狂い、そしてな人間は初めて見るのだ。


「だからこそ、今の僕はお前と”正義秩序法そんなもの”で論じない」


 だって――


「例え今持ち出しても、お前にとって都合が良くなるように歪曲するんだろう? もっともらしいことを言ってさ」


 そう、言い切るのであった。


(闇が深すぎる……)


 レリック侯爵はそんなエンデを見て、そんな事を思った。

 エンデの言う事は、正しくもあり、そして極論だった。

 だが極論だと指摘しても、壊れているエンデには無意味だ。

 だってその行為は、まさしくエンデが口にした正しい言葉を自分レリックにとって都合よく捻じ曲げるものだから。

 しかし、それでも聞かなければならない事がある。


「お前自身が今、世界救済の下、多くの人々を不幸にしている。その自覚はあるのか?」


 その問いに。

 エンデは平然と頷いた。


「ああ。確かに僕の行動で、これまで多くの人間が死んだ。ただ、そのお陰で将来失われるであろうもっと多くの命が救われるんだ。なら、僕はその道が”正義”である事を信じて突き進むだけ。ゴミ共みたいに曲げたり都合よく使うだなんて真似は、絶対にしない」


 そして、エンデは動く。


「があっ!」


「きゃあ!」


「ぐっ」


 強化された特殊な鋼糸を用いて、素早く3人を縛り上げると、レリック侯爵――では無く、あろうことか娘であるメーニャの前に立った。

 そして、相変わらずの穏やかな口調で言葉を紡ぐ。


「君は、いくら拷問しても渡してくれ無さそうだ。ただ、こっちはどうかな?」


「んー! んー!」


 そう言って、エンデは口を鋼糸で塞がれたメーニャに視線を向ける。

 その瞬間、レリック侯爵とハイリンスはエンデがこれからやろうとしている事を悟り、声を上げた。


「やめろ、エンデ!」


「やめろ! 外道!」


 鋼糸のせいで動けないが、それでも声だけはと2人は必死に叫び散らす。

 だが、エンデには――響かない。


「なるべく早く言ってね。結果は変わらないからさ」


 そう言って、エンデは懐から長針を取り出すと、優しくメーニャの右手を取った。

 そして、親指の爪の間に長針をゆっくりと近づけて……止めた。


「ん? 誰か来……っ!」


 そう言いかけ、エンデは勢いよく、後ろへ飛びずさった。

 直後、エンデの眼前を苦無が掠め飛んで行く。


「ちっ 外したか」


「引き離せただけ、上出来です」


 エンデが飛んできた方向に目をやると、そこには本来であれば居ない筈の2人――リヒトとシャリアが、無傷で立っていたのだ。

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