ラストドライブ
下東 良雄
ラストドライブ
森の中に伸びる一本の街道。
僕の車の単独ステージだ。
フロントウィンドウを流れる見慣れた景色。
そして、いつもの信号に捕まる。
森を抜けると、ポツリポツリと建物が増えてきた。
助手席にキミを乗せて、毎週恒例のドライブ。
何度この道を走っただろう。
何度あのコンビニに立ち寄っただろう。
何度あのレストランで食事をしただろう。
車内に流れる一昔前のJ−POPが、あの頃の思い出を美しく彩っていく。
でも、それも今日でおしまい。
これがキミとの最後のドライブだ。
海が見えてきた。
キミと何度も行ったあの渚に今日もやってきた。
僕はいつもの海沿いの駐車場に車を駐める。
エンジンを止めると、車内に波音が小さく聞こえてきた。
フロントウィンドウに映る夕暮れの海に、僕の思考が沈んでいく。
たくさん考えた。たくさん悩んだ。
キミがどんなことを考えていたのか。
キミがどうしたかったのか。
結局僕には分からなかった。
助手席に目を向ける僕。
そこには黒い長財布がひとつ。
あの日の前夜、僕の部屋で僕たちは激しく愛し合った。
そこにはいつもと違う彼女がいた。
獣のような嬌声を上げ、喜びの涙を流し、何度も達しながら、それでもひたすらに僕を求めてくる。僕も彼女の求めに応じ、幾度となく彼女を深く愛した。淫らな匂いが部屋に充満し、僕と彼女のすべてが混じり合っていった狂った宴は、朝の日差しに
「ごめんなさい。私は貴方の永遠の恋人になるわ」
疲れ切って眠る僕に、彼女はそんな言葉をかけてくれた気がする。
でも、気がするだけで、会話を交わしたわけではない。
彼女は眠る僕を残し、部屋をそっと去った。
そして、彼女は海に還っていった。
僕と何度も訪れたこの渚に、彼女は迷子の人魚のように打ち上げられていたという。
彼女の遺品は、僕の部屋に忘れていったこの財布と思い出だけ。
それから僕は、毎週この財布と一緒にこの渚に足を運んだ。
彼女と一緒に来た時と同じコースを辿り、一緒に立ち寄ったコンビニに立ち寄り、一緒に食事をしたレストランで食事をした。彼女の気持ちが少しでも分かるのではないか、そんな小さな期待を胸に抱きながら。
あれから三年。
結局、僕は彼女を理解することができなかった。
『どうしたの? 何かあったの?』
あの日の夜、普通とは違う彼女にその一言をかけていれば、彼女の話を聞いていれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。そんなどうしようもない後悔が僕の心を絞め続けている。
助手席に手を伸ばし、彼女の財布を手にした。
財布を開くと、一枚のレシートが入っている。
そのレシートを引き抜いた。
『愛してる』『ありがとう』
僕とのデート、あのレストランでご馳走してくれた時のレシート。
『愛してる』という言葉を彼女の口から聞くことも、『ありがとう』という言葉に込められた思いを知ることも、もう永遠にない。
僕はそっとレシートを財布に戻した。
来週、僕は日本を離れる。
今日がキミとの最後のドライブ。
だから、僕は忘れ物をキミに返したい。
僕がプレゼントしたこの財布、キミは気に入っていたからね。
財布を片手に車から降り、砂浜に佇む。
寄せては返す白波は、あの頃と何も変わっていない。
「さようなら」
不思議な気配を感じ、その場にいないはずの彼女へ話す僕。
そして、僕は財布を海に投げ込んだ。
駐車場に戻った僕は振り返る。
海に浮かぶ彼女の財布。
波間に消えたり、出てきたりするその姿は、僕との最後の別れを彼女が惜しんでいるかのようだ。
僕は車に乗り込み、涙に滲む景色の中を走っていった。
海に浮かぶ財布は、車を見送った後、何かに引き寄せられるかように海へスッと沈んだ。
ラストドライブ 下東 良雄 @Helianthus
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