第68話 いつかの記憶

 夜の公園に人影はない。心許ない街灯がブランコや滑り台を照らしている。水道を探して蛇口をひねると、勢いよく水が出た。それぞれ順番に顔を洗い、水を飲んだ。空になったペットボトルに水を入れる。


 公園の端にはフェンスが設置されていた。近づいてみると、フェンスの向こう側には幅二メートルほどの川が流れていた。


「僕は川でコレを洗ってくるよ」

 鷲は背中の刀を指さした。

「え? 水道が使えるのに?」

「川の水がいいんだ。手入れもしたいし、ちょっと一人にしてくれるかな?」

「ああ、うん」

 冬華が頷くと、彼はフェンスの向こうへと消えて行った。


「どうして椎葉くんは一人になりたいの?」

 ゆかりんが首を傾げる。

「集中したいんだろう。刀の手入れなんて、人と喋りながらするもんじゃないからな。俺たちはあっちのベンチに座ろうぜ」

「そうだね」と言いながら、三人は並んで公園の隅にあるベンチに座った。日は沈んでいるが、空気はまだ熱気を含んでいた。虫の声に混じって、川からかすかな水音が聞こえる。

 疲れ切っているのか、会話が出てこない。

 

 少しの沈黙が続き、

「あのさ、離れた場所からなら見ていいかな? 邪魔しないから」

 冬華の視線は川べりにいる鷲へと向けられていた。

「話しかけなきゃいいんじゃない? お前は特別なんだし」

 御堂が答えると、彼女はそっと立ち上がった。


 川から戻った鷲は、街灯の下で腰を下ろした。彼は口にハンカチを銜えて、刀を熟視しながら手入れを始めた。何をやっているのかは分からないが、真剣な表情で、柄を外した刀を布のようなもので拭いている。


 冬華は少し離れた場所に腰を下ろし、彼の姿を食い入るように見ていた。鷲は彼女の視線に全く気付いていない。彼の視線は、ただ目の前の愛刀に注がれていた。


 薄暗い街灯の下、真剣な眼差しで刀の手入れをする彼の動作を見ていると、冬華の心が激しく震えた。またしても自分が意図しないところで、感情が揺さぶられる。彼に出会ってから、こんな気持ちはもう何度目だろうか。普段は彼を椎葉鷲として見ているのに、こんな時、自分が一体誰を見ているのか分からなくなる。

 彼ではない他の誰かを投影しているようで、心がざわついた。生きるか死ぬかのせめぎ合いの中で、絶対に生きていて欲しいと強く願っている。

 それは自分の気持ちでもあり、誰かの気持ちでもあった。


「冬華ったら真剣に見すぎ。カッコいいなぁって思っているんでしょ」

 気が付けば、ゆかりんが隣にいる。

「え? まぁ、そう……かも……」

 曖昧な笑みを浮かべて答えた。

「なんだか、とんでもないことになってるよね。でも、たっくんや椎葉くんが一緒で本当に良かった」

 ゆかりんはいつの間にか隣にいた御堂に微笑む。

「お、おう。いつでも頼りにしてくれ」

「私も頼りにしているよ」

 クスリと笑いながら冬華が言った。


 会話が聞こえたのか、鷲がこちらを向いた。手入れを終えた刀を鞘に納めながら、冬華に微笑みかける。彼の柔らかな微笑みに、冬華の心臓がまたどくりと跳ねた。

「刀の手入れは終わったの?」

 こちらに歩いて来た鷲に尋ねる。

「一応だけどね。研ぎには出せないし、どのくらい持つかなぁ」

「でも、お前さ。いきなり刀を使えたんだな。手入れの方法とか知ってたのか?」

「ああ、うん。実は御堂に会って前世を思い出してから、家にある刀が気になりだして、手入れを始めたんだ。それから、冬華に会って、あの人に会っているうちに、自分の中で、どんどん刀を握って振りたい衝動に駆られて。だから、夜な夜なバイクで人気のない山に行って……」

「刀を振り回してたのかよ。それってただの危ない奴だぞ。よく見つからなかったな」

「だから、誰も入らない、全く手入れをされていない山に入ってさ。まぁでも、ただの怪しい奴だよね」

 苦笑いしながら答える。

「ねぇ、そろそろ泊るところを探さないと。スマホが使えれば、調べてすぐに予約できるのに」

 公園にある時計を指さして、ゆかりんが声をあげた。時間は八時を過ぎている。

「歩いて探すか。どこか空いていればいいけどな」

 御堂の声に、一同頷いた。

 

 大通りに出るが、一台の車も通っていなかった。歩いている人もいない。信号機だけが、律儀に色を変えている。辺りは静まり返って、まるでゴーストタウンのようだった。

 ビジネスホテルの看板が見えたので近寄ってみたが、入口は閉まっており、きっちりと施錠されていた。正面玄関の窓ガラスに、臨時休業と手書きの貼り紙がしてある。ホテルの周囲には何軒かのコンビニや飲食店もあったが、どこも閉まっていた。

「まぁ、仕方ないか」

「いつ暴徒が襲ってくるか、わからないもんね」

 御堂とゆかりんが顔を見合わせ、力なく笑った。

 

 大通りから一歩入ると、住宅街にでた。見る限り、どの家もきっちりとカーテンが閉められている。

「それにしても疲れたな。知り合いでもいれば、泊めてもらえるのに」

 欠伸をしながら御堂が言う。

「明かりが漏れているから、みんな家の中にいるのかな」

 冬華は二階建ての家を見上げる。カーテンの隙間からは明かりが漏れていた。

「とにかく家から出るなって言われているだろうから、家にいるんだろうね」

 鷲が答えた時、冬華が見上げていた家の玄関ドアがいきなり開いた。ドアの横には表札があり『斎藤』と書かれている。ドアの隙間から五十代くらいの女性が、ひょっこりと顔を出した。彼女は周囲を見回した後、冬華たちに近づいた。

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