第27話 記憶の欠片
細かい雨が周囲の風景を霞ませる。激しい降り方ではないが、音もなく降り続ける雨は確実に冬華の足元を濡らしていた。
彼女は思った。
どうして先輩は私と付き合ったんだろう、と。冷静に考えれば先輩は私の力を知っていた。彼はただ、私の力が欲しかっただけなのかもしれない。そう思うと合点がいった。先輩は最初から私と付き合いたかったわけじゃなかったんだ。 彼女だと思っていたのは自分だけだった。惨めな気持ちでとぼとぼと歩いた。俯くたびに涙の雫が濡れたアスファルトに落ちて、混ざった。
「おいおい。また、泣いてるね。どうしたの」
突然背後から声をかけられて、足を止める。
「御堂……さん」
大柄な三年生は少し困った顔で冬華を見ている。泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、彼女は手の甲でごしごしと顔をこすった。
「神冷になんかされた? それにしても毎日泣かせるって、あいつはやっぱり最低だな。何があった?」
「先生とは何でもないって言ってたのに……」
「神冷が他の女といちゃついていたと」
なるほどと頷く御堂を見て、しまったと言うふうに冬華は口を噤んだ。
「あ、また話しちゃった……。ごめんなさい」
「先生って、日本史の北川先生だろ。なるほどね。あの二人、前から怪しいと思っていたんだよ。だから椎葉にしときなって言ったでしょ」
「ええと、どうして分かるんですか。私、何も話していないのに」
「俺は超能力があるんだよ」
「え?」
「なんて、冗談。神冷が北川先生と二人でこそこそしてるの、前に何度か見たんだよね。それで」
「ああ、御堂さんも見ていたんですね」
腑に落ちた顔で頷くと、
「あれ、夢野さん。どうしたの」
傘をさし、コンビニの袋を下げた鷲が二人の前に現れた。彼は目と鼻が赤い冬華の顔を見て顔を顰めた。
「もしかして御堂が泣かせたのか? せっかくおまえの分も買って来たのに、何やってるんだよ」
「おいおい、なんで俺が泣かせるんだ。泣かせていたのはお前だろうが」
「あれは昔の話だ。僕はまだ泣かせていないし、これからも泣かせるつもりはない」
「ええと、二人とも何の話をしているの?」
冬華は困惑した顔で言い合う二人を見比べる。
「何でもないよ。こっちの話」
御堂がにやりと笑う。彼の笑顔を見て、冬華はふと思い出した。
「あ、そう言えば、私の友達が御堂さんが気になるらしくて。もし、良ければ一度会ってもらえませんか。とてもいい子なんです。今、好きな人とか彼女はいますか?」
「え? お、俺? ほんとに?」
御堂の顔が赤くなったり青くなったりしている。
「こいつに彼女なんていないよ。それにしても、もの好きな子がいるもんだな」
鷲がにやりと笑う。
「おい、もの好きってどういう意味だ!」
再び言い争いをする二人を見て、冬華は何故か心が温かくなるのを感じた。
「ほら、これやるからお前はさっさと帰れ。新商品だ。ありがたく受け取れ」
鷲がコンビニの袋から、箱に入ったチョコを取り出す。
「俺は餌付けをされるペットか。まぁ確かにお邪魔だよな。鷲、襲うなよ」
チョコを手にした御堂がおどけたように笑うと、
「僕はそんなことをしない。誤解されるような言い方をするな」
鷲が不満げな顔で睨む。
「はいはい、帰りますよ。夢野さんまたね」
ひらひらと手を振って御堂は帰って行った。
「ああ、もう傘は必要ないね」
鷲は持っていた傘を閉じた。彼の言葉で空を見上げれば、風が雨雲を薄く延ばしている。晴れ間は見えないが、手を伸ばしても雨粒は感じられなった。
「ホントだ」
冬華も彼に倣って傘を閉じる。二人は黙って歩き始めた。
「それで、何か辛い事でもあったの?」
しばらく歩いたところで徐に鷲が尋ねた。
「うん、まぁ。人を信じるって難しいなって思って」
当たり障りのない言葉で返すと、
「そうだね。僕にも経験があるからよく分かるよ」
鷲は力強く頷いた。
「え? そうなんだ」
冬華は驚いた顔で彼を見る。
「僕も昔、ある人を信じていた。その人の役に立ちたいと、一生懸命だった。それなのに、その人は僕を簡単に切り捨てたんだ」
「そっか。それは辛かったね。椎葉くんてさ、人が良すぎなんだよ。もっと人を疑った方が良いと思う。椎葉くんを利用して、あっさり捨てるような人には近づかないこと。でも、その人にはもう会わないんでしょ?」
「どうかな。もしも会ったとしても、元には戻れないからね。あるのは憎しみだけかもしれない。僕はあの人を許さないし、これからも許せないと思う」
いつも穏やかな彼の口から『憎しみ』という言葉が出てきて、冬華は鷲の顔を覗き込む。彼はとても寂しそうな顔をしていた。
「なんかゴメンね。嫌な過去を思い出させて。私、これで二度目だね」
「二度目?」
「ほら、前に聞いたシズカって人の話も……ってご、ごめん。また思い出させちゃった」
冬華はしまったと言う顔をして、両手を合わせた。気まずい顔をしている彼女を見て、鷲は何故だかくすくす笑った。
「あ……私なんか変な話した? 何で笑うの?」
真剣に謝る冬華を見て、鷲は苦笑いする。
「忘れられているって、辛いことばかりでもないなぁって思ってさ。僕の知らないキミを見るのも楽しいよ」
「えっと……どういうこと」
冬華が首を傾げると、耳に掛かっていた髪がはらりと落ちて、その頬に影を作った。
鷲は自分でも気づかないうちに、手を伸ばして彼女の髪に触れた。いきなり伸びてきた手に驚いて、冬華が眼を大きく見開く。
「な、何?」
「あ、ゴメン」
冬華に見つめられて、髪に触れたままの手をゆっくりと下ろしながら、鷲は眼を逸らせる。
「ちょっと……さ」
「ちょっと……何?」
言い逃れる自信が無いのか、眼を逸らしたまま彼は口を開いた。
「その……夢野さんの髪に触ってみたかった……から」
「前にもあったよね。初めて会った時」
「あの時もゴメン」
申し訳なさそうに、鷲が呟く。
「いいよ」
「え?」
「良いよ、触って。なんだかよく分からないけれど。椎葉くんなら、どうぞ」
「あ、ありがとう」
鷲は手を伸ばして彼女の黒髪に触れた。まるで大切な宝物に触れるように黒髪をゆっくりと撫でながら彼女を見つめた。なかなか離れない手に、冬華の眼が不思議そうに彼を見る。彼は真剣な眼差しを彼女に向けたまま動かない。何故だか思わず冬華の心臓がどくりと跳ねた。彼女の眼を見つめながら、鷲はゆっくりと手を放した。
冬華は、はっとしたように彼から離れ、距離をとる。
「あ、あの」
「ごめん。やっぱり嫌だったよね。じゃあ、僕はここで」
申し訳なさそうに詫びて、くるりと踵を返す彼の背中を見た瞬間、冬華の心臓が突然大きく鼓動した。彼の背中が『誰か』の後ろ姿と重なったのだ。冬華は懐かしいような、不思議な感覚に捕らわれた。
『どうか……ご無事で』
彼女の心の奥深い所で、何かが叫ぶ。無意識に手が動き、冬華は咄嗟に彼の腕を掴んだ。
「え?」
突然腕を掴まれた鷲が振り向く。
「ほえ?」
自ら腕を掴んだ冬華がおかしな声をあげ、彼女は慌てて掴んでいた手を離した。
「どうしたの?」
鷲が首を傾げる。
「え……と。手が勝手に動いて……どうしたんだろう。わ、私の家、この先だから。じゃ、じゃあ行くね」
早口で言って、逃げるようにその場から立ち去った。彼女の頭の中は何故という疑問が繰り返していた。
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