第7話 もう一人の彼女
椎葉鷲と別れた冬華は、友人二人を正門前で待たせていると思い出した。今日は先輩と一緒に帰る約束をしていない。正門まで近道をしようと、渡り廊下を土足で走っていたら、
「おい、どこを走っているんだ」
背後から声をかけられる。
先生に見つかった、まずいと思い立ち止まる。恐る恐る振り向くと、声の主は神冷興俄だった。彼は手にノートと筆箱を持っている。
「あ、興俄先輩。今から生徒会ですか?」
「そうだよ。本当なら可愛い彼女と一緒に帰りたいところだけど、今日は無理だな」
彼はそう言うと距離を縮めた。
「そういえば、慌てていたみたいだけど、どうかしたのか。土足でどこを走っているのかな?」
「あ、すみません。友達との待ち合わせが」
「そうか、気を付けて帰れよ」
先輩は微笑んで、冬華の頭を撫でる。何気ないスキンシップに彼女の頬が紅潮した。
「じゃあ、さようなら」
ともちゃんとゆかりん、怒っているだろうなと思いながら、冬華はまた駈け出した。
一方の興俄はそのまま廊下を進んだ。柱の陰から現れた人物を見て足を止める。
「北川先生……いつから見ていたんですか」
北川先生と呼ばれた彼女の名前は、
高校生にもなると生徒に馬鹿にされる教師もいるが、北川先生は例外だった。彼女はどんなに素行の悪い男子生徒にも厳しく、容赦なかった。不良と呼ばれる生徒達も彼女の前では大人しくなっていた。
「声をかけたところからかな。可愛いわね、貴方の彼女」
北川麻沙美はにやりと笑った。
「最初から話を聞いていたのか……悪趣味ですね」
興俄は小さく溜息をつく。
「だって、貴方がまた女生徒を泣かせるんじゃないかと思って見てたのよ」
「泣かせたのは先生でしょう。嫉妬深くて気性が激しいのは、相変わらずなんですから」
「人聞きが悪いことを言わないで。貴方が女好きだからでしょ。厄介ごとが増える前に、早く彼女を手懐けなさいよ」
「ええ、手は打ちますよ。俺に
「はいはい、大した自信ですこと。それよりも、貴方の言葉はいちいち聞き捨てならないんだけど。誰が嫉妬深くて気性が激しいのよ」
「気分を害したならすみません。まぁ、でも、先生が俺を見つけてくれたことは、感謝していますよ」
今度は興俄が意味ありげに笑った。
「ちょっと。さっきから先生って呼ぶのはやめて。それと、二人きりの時は敬語を使わないでと言ったでしょう。まさか、私より十歳も年上だった貴方が、今度はこんなに年下だったなんて予想外よ。私が周囲の猛反対を押し切って、流人だった貴方の妻になった過去を忘れていないでしょうね」
「敬語は使った方が良いと思いますよ。誰が聞いているか分かりませんから。それに覚えていますよ。嫉妬深い貴女が、俺が通っていた女の屋敷を破壊したこととか」
盛大な溜息をついて、興俄は肩を竦める。
「私に内緒で妾を囲うからでしょう」
麻沙美は目を細めて興俄を睨み付けた。
「勘違いしないで欲しいんですけれど、俺は貴女を大切にしてきたつもりです」
穏やかな口調で興俄は微笑む。しかし、彼女は納得がいかないようだ。
「私はいつも騙されていた。否、少しは疑っていたかも。まぁ、今となってはもうどうでもいいわ。それより、あとで私の家に来て。泊って行けるでしょ」
「はいはい、仰せのままに」
気だるそうに頷いて、興俄はその場を立ち去った。
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