第6話 そして「彼」の登場
季節が穏やかに過ぎていった。
冬華と興俄がつきあい始めて数週間が過ぎた、六月半ばのこと。
「冬華、おはよう。今日から梅雨入りだって」
廊下で会ったゆかりんが声をかける。
「そっか。しばらくは雨が続くね」
ゆかりんと教室に入ると同級生たちがざわついている。二人は一番騒いでいる男子の声に耳を傾けた。
「転校生が来るみたいだぞ」
「転校生って男? 女?」
「男だって」
「ちぇっ、男かよ」
「こんな中途半端な時期に来るなんて、ワケありかな」
「転校生かぁ、イケメンだったらいいな」
隣にいたゆかりんがうっとりとした口調で言う。以前にときめいていた男子生徒は、運命の彼ではなかったらしい。
生徒達が騒いでいると、予鈴が鳴り教室のドアが開いた。
「おーい。HR始めるぞ。早く席につけよ」
担任の一声で、ざわついていた生徒達はばらばらと席に着いた。
先生は廊下にいる生徒へ顔を向け、中に入るよう促す。現れたのは小柄で細身、柔らかそうな茶髪で色白、綺麗な顔立ちをした男子だった。
「今日は、転校生を紹介する。自己紹介を」
「
転校生は柔らかな笑みを浮かべて教室内をぐるりと見回した。そして最後に冬華を見た。不意に見つめられ、彼女の心臓がざわついた。そして気が付いた、彼は以前、ファーストフード店で自分の髪を触った男だった。
「ねぇともちゃん。あの子、前に会った怪しい人だと思うんだけど」
冬華は前に座っているともちゃんをつつき、小声で尋ねる。ともちゃんは黒板の前に立つ彼を見つめてから、振り向いた。
「え? あんな子だっけ。もっと怪しかったと思うけど」
「あの子だよ。間違いないって」
彼の視線はまだ冬華に向けられている。彼は以前会った男に間違いなかった。冬華は落ち着かない気分になり、思わず目を逸らした。彼女の心臓はずっと早鐘を打ちつづけていた。
「転校生イケメンだったけど、線が細くて守ってくれるタイプじゃないなぁ」
休み時間になって、ゆかりんが残念そうに言うが、冬華の耳には届いていなかった。
放課後、靴箱で靴に履き替えようとした時だった。
「夢野さん」
不意に名を呼ばれた冬華は、手を止めて声の方を向く。声の主が転校生だと気がついて、思わず身構えた。
「な、何?」
「突然ゴメンね。覚えていないかもしれないけれど、僕、前にきみと会ったんだ」
穏やかな声で告げられて、冬華は『あ、ああ、うん』と頷いた。覚えているも何も、朝からずっとそのことばかり考えていたのだ。
「やっぱりそうなんだ。覚えているよ。椎葉くんって、あの時の人だったんだね」
「あの時だけど、突然ごめんね。きちんと謝りたかったんだ。きみが知っている人に、よく似てたからさ」
彼は申し訳なさそうに手を合わせる。謝る姿を見て、ストーカーではなくて本当に人違いだったんだとホッと胸をなでおろした。
「似ていたって、あの時言ってた『しずか』って人?」
何気ない問いに彼は黙って頷く。
「そんなに似ていたの? まぁ、世の中には自分にそっくりな人が三人はいるって言うもんね。私も会ってみたいな。その人に」
冬華の問いに、彼は曖昧な笑みを返した。少し寂しそうな顔に、不思議と胸が締め付けられる。
「彼女はずっと一緒にいたかった人なんだ。訳あって離れ離れになってしまって、そして……ああ、つまらない話をしちゃったね」
そこまで言って彼は口を噤んだ。
『ずっと一緒にいたかった人』
言葉が過去形になっている、と気が付いた。彼はこの年齢で大切な誰かを失ったのだろう。自分と間違えたということは、年齢的に姉妹、いや、恋人かもしれない。離れ離れだと言った。その人は亡くなったのだろうか。立ち入ったことを聞くんじゃなかったと後悔した。
「ごめんなさい」
素直に謝ると椎葉は不思議そうな顔をした。
「どうして謝るの?」
「辛い過去を思い出させてしまったみたいだし。余計なことを聞いてごめん」
「夢野さんは優しいんだね」
彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「ええと……」
「おい、椎葉」
冬華が何を言おうかと逡巡していると、正面から身長180cmは軽く超え、がっしりとした体格の男子生徒が片手を挙げて近づいて来た。大柄な男子生徒は短い髪で、厳つい顔と身体をしている。線の細い椎葉とは対照的だった。名札には『御堂』と書かれている。名札の色から推測して三年生のようだ。
「じゃあ私、先に戻るから」
半ば逃げるように、冬華はその場を立ち去った。
大柄な男子生徒は苦笑して、彼女の後姿を見ていた。彼は
「あの子がそうか?」
御堂が尋ねると、
「あぁ。全く覚醒はしていないようだけど」
椎葉は頷き、天を仰いだ。ため息混じりに吐き出された言葉に、御堂は「仕方がないさ」と宥める。
「同じ時代に巡り会えた。大きな一歩だろ。そのために転校までしたんだからな。しっかりしろよ、我が主君」
御堂嶽尾はそう言って笑った。
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