第2話 もう一人の彼①

 半ば逃げるように店を後にした三人は、しばらく走ったところで立ち止まる。


「何、あの人。いきなり冬華の髪に触ってさ、変態?」

 ともちゃんが眉間に皺を寄せて、店の方向を振り返った。


「絶対に怪しい奴だよ。冬華のストーカーかも。今までにどこかで見たことない?」

 ゆかりんも険しい顔だ。


「見たことないなぁ。同い年くらいだったよね。詰襟の学生服を着てたし、誰かと間違えたんじゃない? 人違いだよ、きっと」


 冬華は苦笑いしながら、店の方を振り向いた。先ほどの彼は、自分を誰かの名で呼んだ。いきなり髪に触れられはしたが、友人が心配するほどの嫌悪感はなかった。


「気をつけなよ」

 ともちゃんが、心配そうに冬華を見る。

「うん、そう……だね。ありがとう」

「あ、それより、生徒会長さまだよ。神冷先輩ってさ、噂によるとすごい人たらしなんだって。そばにいると、みんなファンになっちゃうみたい」

「その話、私も聞いた。どこか冷たそうだけど、まぁ、そのギャップが良いんだろうね」

 歩を進めながらゆかりんが話を戻すと、ともちゃんもそれに続く。

 

 二人があれこれと生徒会長の噂を口にすると、冬華が『でも……』と口を挟んだ。

「神冷先輩って、女性関係は派手だよね。あの人、見るたびに違う彼女と歩いているよ。ああいうのは人たらしじゃなくて、女たらしって言うんだよ」

 冬華は何度も校内外で、神冷先輩が彼女らしき女性と歩いている姿を目にしていたのだ。

「いやいや、確かにそうかもしれないけれど、歴代の彼女とは円満に別れているみたいだよ。実は最低な人だったとか、おかしな噂は全く聞かないもん」


 ゆかりんが言うと、冬華は険しい顔で二人を見た。


「あのねぇ。円満って、芸能人夫婦の離婚じゃあるまいし。喧嘩もせずに別れるって、おかしくない? きっと陰で脅して、口留めとかしているんだよ」

「ちょっと、冬華。さっきからずっと神冷先輩に対して厳しすぎない?」

「冬華は先輩と話したこともないでしょうが。なんでそんなに嫌いなの?」

 不思議そうにゆかりんが尋ねた。

「ちょっと苦手なんだ。完璧すぎるって言うかさ」

「じゃあさ、どんなタイプなら良いのよ。冬華の恋バナ、全くないよねぇ」

 にやにやしながら、ともちゃんが冬華の頬をつついた。


「い、いるわよ。私だって、好きな人の一人や二人!」

 ムキになって言い返すが、頭の中に浮かぶのは、ぼんやりとしたシルエットだけだ。具体的な誰かではない。ともちゃんは同じクラスに彼氏がいる。ゆかりんは恋多き女で、いつも誰かを追いかけている。一方の冬華には、浮いた話一つもなかった。


「冬華って可愛いし、隠れファンがいるって。賢哉が言ってたよ」


 賢哉というのは、ともちゃんの彼氏だ。名前は樹 賢哉いつき けんや中肉中背、いつも笑顔で、周りをほのぼのとした雰囲気にしてくれる同級生。

 彼はクラスの誰からも好かれる人物だった。二人は昨年の学園祭の準備中に意気投合し、付き合い始めたらしい。


「隠れファンって何よ。陰でしか言えないってこと? なんか腑に落ちないなぁ」

 冬華が頬を膨らませると


「高校生活なんてあっという間だよ。恋の一つもなくてどうする」

 ゆかりんがぽんと冬華の肩を叩く。


「ゆかりんは恋しすぎだよ」

 冬華は呆れたように笑った。


 ゆかりんは先月、些細なことで喧嘩をして彼氏と別れたばかりだ。それなのに、数日前から隣のクラスの男子がかっこいいと騒いでいた。廊下でぶつかった時、咄嗟に支えてくれた彼を好きになったらしい。今まで眼中になかった男子だったが、身を挺して自分を守ってくれた、これが恋の始まりだとゆかりんは冬華たちに熱く語った。彼女はいつも、自分を守ってくれそうな男子にときめいている。


「人の一生は短いのだよ、冬華くん。早く王子様を見つけ給え」

「なにそれ」

 ゆかりんが威張って言うので、冬華は肩を竦める。


「アオハルできるのは、今だけなんだよ」

 ともちゃんが付け加えた。

「はいはい。よく覚えておきますよ。じゃあね。また明日」

 冬華は二人に手を振って別れた。ともちゃんとゆかりんは電車通学なので、駅の方へ向かう。徒歩通学の冬華とはここから別方向だ。


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