第3話 もう一人の彼②
冬華だって恋愛に興味がないわけではない。小学生の頃は、友人に借りた少女漫画に衝撃を受け、いつか自分にも素敵な彼氏ができると信じていた。
しかし中学生になっても、教室でふざけている男子はいつまでも子供で友人にしかならなかった。それに自分だって、思考はお子様のまま。そこから何かが生まれるはずもなく、漫画のような甘い話とは無縁の日々を過ごしてきた。
そして高校生になり、いまだときめく相手に出逢うことなく、今日に至る。
二人が騒いでいる神冷先輩は、確かにハイスペックなイケメンだが、実際目の当たりにすると近寄りがたく恐怖なようなものさえ感じてしまう。憧れというよりは、畏れる気持ちが先行するのだ。
いったい自分はどんな恋がしたいのだろうと、彼女は深く溜息をついた。
冬華は母親と二人暮らし。父親は幼い頃、交通事故で亡くなった。頼れる親戚がいなかった母親は必死に働いて、彼女をここまで育ててくれた。家は決して裕福ではなかったが、こうやって地元の公立高校に進学し友人たちと毎日を謳歌している。アルバイトをして家計を助けたいと思ったが、通っている高校はアルバイトが禁止されている。その代わりと言っては何だが、家事のほとんどは彼女が担当していた。
冬華が住んでいるのは古い公営住宅。色があせた外壁のコンクリートは、所々はがれて今にも落ちてきそうだ。彼女は物心がついた頃からここに住んでいる。全部で8世帯が入居できるのだが、現在は自分たち以外に高齢の夫婦が住んでいるだけ。近くに新しい公営住宅ができてからは、こちらに引っ越してくる人はいなくなった。
背の高い男が、公営住宅の前に立っていた。男はこちらを背にして冬華の住む住居を見上げている。高校生だろうか。来ているブレザーの制服は、自分が通う高校のものによく似ていた。近所に高校生が住んでいただろうか逡巡していると、男がゆっくりと振り向いた。
「あ……」
先ほどまで噂をしていた、神冷興俄が数メートル先に立っている。冬華より、二十センチ以上は高い身長。端正で整った顔。彼は冬華を視界に収めると、鋭い目元をわずかに緩め距離を縮めた。さっきまで好き勝手に噂をしていた張本人が目の前に現れて、冬華は気まずそうな顔をした。
「こんにちは。きみはここに住んでいるの?」
気まずそうな冬華とは対照的に、神冷興俄はにこやかな口調で尋ねてきた。
「は、はぁ。神冷先輩はここで何をしているんですか」
「へぇ、俺の名前を知っているんだ。光栄だな」
「光栄って……全校生徒、みんな知っていますよ。生徒会長じゃないですか」
「夢野冬華さんは、お母さんと二人暮らしだよね」
フルネームで呼ばれ、冬華は目を瞬かせる。
「どうして私の名前を知っているんですか。それに家族構成まで……」
「彼氏はいる?」
「いきなり、なんですか」
「好きな人は?」
「今は、いない……ですけど」
真っ直ぐな瞳に射抜かれて、思わず正直に答えた。そして次の瞬間。彼は突拍子もない言葉を口にした。
「あのさ、俺の彼女にならない?」
「え? な、なんですか、急に。ふざけています?」
「俺が嫌いかな」
この人は、自分が知っている神冷先輩だろうか。今まで、遠くから見るだけだった人物に告白されて、冬華の頭上にはいくつもの疑問符が並んでいた。
「ええと。好きとか嫌いとかじゃなくて、その畏れ多いというか、どうして私なんですか。誰かと間違っていません? いきなり現れて、彼女になってくれとか、何の冗談ですか。だいたい私は、今初めて先輩と話したんですよ」
「確かに話すのは初めてだよ。でも、キミじゃなきゃダメなんだ。ずっと捜していたんだから」
言っている意味が全く分からない。この人、頭は大丈夫なんだろうかと少し心配にもなった。
「いやいや。私、先輩のこと、何も知らないんですよ。それに私、先輩に捜されるほどの人間じゃないですから。絶対に誰かと間違えていますよね」
「俺を知らなければ、今から知ればいい。返事は急がないから、考えておいて」
じゃあねと片手をあげて、神冷興俄は去って行った。
「なんなの……一体……今日は厄日かなぁ」
知らない男子に、知らない名前で呼ばれたり、話したこともない生徒会長に告白されたり。夢であれば覚めて欲しいと願うが、一向に覚める気配はなかった。
その夜、
「どうしよう」
冬華がスマホでグループメッセージを送れば、返事が帰って来た。
『何が?』
と、ともちゃん。
「どうしたらいい?」
冬華が返すと
『だから、何?』
と、ともちゃん。
『明日のテストなら、もう諦めろ』
ゆかりんからも返ってくる。
「違うよ! 告白されたんだよ」
『おっ。おめでとう。相手は隠れファンの誰?』
『物理オタクのあいつ?』
『いや、隣のクラスにいるチャラ男でしょ』
『もしかして一年生? 年下もいいじゃん』
二人は好き勝手に囃し立てる。
「違う! 神冷興俄先輩。生徒会長だよ」
『今日はエープリルフールじゃない。はよ寝ろ』
『冗談にはつきあってられない。また明日ねぇ』
「本当なんだって」
「ちょっと、聞いてよ」
「私、どうしたらいい?」
「本当に告白されたんだって」
「おーい」
冬華の連投した文字が、虚しくスマホの画面に並んだ。
翌日。眠れなかった冬華は、学校までの道のりを重い足取りで歩いていた。
「おはよう、冬華」
「おっはよう。朝から元気ないぞぉ」
冬華の背中に快活な声がかかる。ともちゃんとゆかりんだ。
「あのさ、いくら自分がテスト勉強してないからって、あんな嘘で私達が動揺するはずがないでしょ」
「そうそう。もうちょっとましな嘘をつきなよ」
にやにやしながら二人が両側に立つ。
「だからぁ、本当なんだって」
「あれだけ神冷先輩をディスっておきながら、告白されたとかよく言えるよ」
呆れ顔のゆかりんが冬華の肩を小突いた。
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