アイは見つめて微笑んだ
「お客様、ご利用は初めてですか?」
「はい」
「では最初にアカウントを作成していただきます。ご記入お願いします」
僕はアイからタブレットを手渡された。名前、生年月日、メールアドレスなど、今ではもう個人情報とは言えないぐらいどこでも簡単に扱われてしまうものを入力した。
「ご利用料金は会話の文字数から計算されます。お支払いは電子マネーかクレジットカードのみです。よろしいでしょうか」
僕は肯いた。アイは簡単にサービス内容と料金の説明をして料金表を提示した。価格は米ドルで書かれていた。今、1ドルが何円かは知らないが、そこに書かれた金額は大した額ではなかった。同じ駅前にあるガールズバーのほうが、もーっとお金がかかる。好みの外見の子と低価格で楽しくおしゃべりができる、このコスパの良さにうれしくなった。
「お客様、本日はどのようなご要件で?」
「初めてなので。何ができるのか、試しに」
「そうでしたか、ご来店いただきありがとうございます。なんでもお尋ねください。お答えできます」
「やはりAIといえば文章が得意ですよね。例えば、仕事でミスしてしまったことをクライアントに責任転嫁する文章なんかは?」
「書けます」
「例えば、新人の社員、女の人ですけど、あっ、それと彼氏もいるみたいなんですけど、どうやったら食事に誘う方法とか、SNSを使ったメッセージとか?」
「お答えできます」
「おー、すげー」
素でバカっぽい声を上げてしまった僕をアイは輝いた瞳で見つめて優しく微笑んだ。AIの術中にはまるのが心地よかった。さらに説明は続いた。
「文章を送られるかたの詳細がわかるほど、テキストは最適化されます」
「例えば?」
「出生地、育った環境、ジェンダー、社会的な立場など。特に生年月日は必要です」
「やはり世代的な感じでしょうか?」
「いいえ。出生時の星の動きを計算します。天体の逆行期間は重要です」
「へえー、えらくアナログですね。そうですねえ、それは今度にしましょう」
「ふふふ、そのときが楽しみですね」
「そういえば、僕の好みをよく理解できましたね」
「はい。人物の写真や動画などの映像があれば、ある程度のプロファイリングは可能です」
「では、今度来るときは彼女をコッソリ撮影したものを持ってくることにしますね。ちなみに僕のことは他に何がわかります?」
「交友関係が希薄にお見受けします。お友達が少ないと考えられます」
「うるさい!」
アイは僕の秘密にしていたことを言い当てた。最新のAI技術に皆が興奮しているのがわかる。そのすごさを目の当たりして手のひらが変な汗でベタベタになっているくらいだ。さらに尋ねる。
「なんでも答えてくれるのですか?」
「ええ、なんでも」
と言われても急には浮かばない。学生時代、授業中に答えなさいと言われて頭が真っ白になるあの感じだ。あれは授業を聞いていなかった自分が悪かったのだ。
それより何を訊こうか、そう考えていたとき、なぜかふっと浮かんだのだ。理由はわからなかった。ただ浮かんできたのだ。
「例えばアイデアだけ、あんな風とか、こんな感じとかだけでも物語を書いてくれますか?」
「ええ、もちろんです」
「じゃあ、僕も作家になれる」
「なれます」
「おー、なったぞー!」
もう作家になったとひどく勘違いしてしまった。すぐ興奮して早とちりする。これは僕の悪い癖だ。
どの職業でもプロになることは簡単ではない。僕も今の職ではそれなりに苦労してきたつもりだ。入社した最初からクライアントや同僚に対してウソやデタラメが言えたわけではなかったからだ。日々の努力こそが皆に僕がそういう人間だと思わせたのだ。
僕は形から入る人間だ。何かを始めるときはまず道具をそろえる。それも一流品をだ。名の通った品はそれを見ているだけでやる気にさせる。品を集めていると充実感が得られる。そして集め終わると達成感とともに僕のブームは終わる。
よし、最初はこれからだ。
「アイさん、かっこいいペンネームを考えてください」
「もちろん、ペンネームを考えるのは楽しいことですね。いくつかのペンネームのアイデアです」
1.田中ブラックナイト
2.松本マジカルインク
3.結城フラッシュウィザード
目の前に置かれたタブレットには三つの案が提示されていた。すごい、破壊力があると感じた。これは究極の三択だ。
「選ばなくてはダメですか?」
「はい、作者の名から作品の傾向が決定されます」
「そうですか、では三番の『結城フラッシュウィザード』でお願いします」
僕の作家としての名が決まった。口にしてみると案外、悪くないと思った。逆に売れそうな気になってくるから不思議だ。さらに根本的なことを訊いてみる。
「物語を書くのに必要なものは何ですか」
「物語を書くために最低限必要なものは、アイデアです」
無自覚な真実を言われた気がした。僕は兼ねてから世間に何かを伝えたい、僕の意見を聞いてほしい、ささやかな僕の言葉で人々を感動させて幸せにしたい、とは一度も考えたことがない人間なのだ。アイデアがあるのなら既に物語を書いている。無いから書かない。実に困ったことを言われた。
「異世界ファンタジーなど、書いていただけるのでしょうか?」
「できますよ」
自分でも興味のないことを言った。今日の僕はさえていた。同僚がアニメ好きで異世界ファンタジーの作品について熱く語っていたことを思い出したのだ。
同僚の話は適当に聞いていた。聞いている風に話を合わせられる、これも仕事で得たスキルだ。もちろんアニメの内容はまったく覚えていない、タイトルもだ。そうだ、タイトルを考えてもらおう。
「アイさん、タイトルを考えてください」
「『夢から始まる異世界冒険 ~エルフたちの謎と使命~』は、いかがでしょうか」
「うおー」
手を握りしめて天に突き上げ無意識に立ち上がろうとしたところで太ももが机に当たりガタンと音をたてて揺れた。僕は机と椅子の間にはさまれて中腰のまま、この物語が感動の大巨編になることを確信した。
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