第38話 裏切り者(Ⅲ)

「稀代の悪女として地獄に堕とされたグレース。その罪を告発し、彼女に殺されたアッカー侯爵。そして、私――これらの審判で使用された聖秤せいしょうは偽物でしょう。さて、普段から聖秤せいしょうを使用している貴女が、このことに気付かないはずがないと思うのですが?」


 ウィルフレッドはそうヘンリエッテに話しかけた。


「……貴方、このことを誰かに話しましたか?」

「いいえ。それはまだ」


 突然、ヘンリエッテはカッと目を見開いた。

 彼女はそのまま立ち上がろうとし――そして、異変に気付く。


 いつの間にか、ヘンリエッテは自身の身体を動かせなくなっていた。

 身体に力をこめるが、まるで石にでもなってしまったように動けない。それどころか、体の魔力の流れまで滞っているようで、魔法を行使することもできなかった。

 何とか自由に動かせるのは、目と口だけである。


 くすりとウィルフレッドは笑った。


「もしかして、私を口封じに殺そうとしましたか?貴女は第一階級神使で、私はしがない第三階級の身。私たちの魔力には雲泥の差がある。貴女が私を殺すなんて、本来ならば簡単なことでしょうね」


 図星だったのか、「うっ」とヘンリエッテは言葉を詰まらせる。

 ややあって、彼女はあることに気付いたようだ。


「これは……拘束魔法?でも、貴方程度の魔力で私を抑えることなどできるはずが…あら?」


 ヘンリエッテの視界に入ったのは、ローテーブルに置かれてあるのと同じ、小型の魔導端末だった。彼女の気付かぬうちに、それが幾つか床に転がっている。


「まさか…この魔導端末で……」

「ご明察。貴女のおっしゃる通り、私の魔力では貴女を拘束できません。しかし、だったら――道具を使えばいいだけの話です」


 軽く言うウィルフレッドだが、もちろん簡単なことではない。

 この小さな魔道具には拘束魔法の術式に加え、大量の魔力を保存するための仕掛けや、消費魔力量を抑えるための工夫がふんだんに盛り込まれている。

 魔導への造詣に相当深くないと、できない芸当だった。


「用心して、十個の魔導端末を用意してきましたが、六つで足りましたね。良かったです」

「……こんなことをしでかして、どうなるか分かっているのですか?私が大声を上げれば、警備の者がやって来て貴方は終わりよ」

「それは止めておいた方がいいと思いますよ。貴女のためにも」

「なんですって……?」


 怪訝そうな表情をするヘンリエッテをよそに、ウィルフレッドはローテーブルの上の魔導端末を操作した。すると、聖秤せいしょうのものに加え、新たなホログラムが浮かび上がった。


 それは、男女の画像だった。

 一人はヘンリエッテ。そして、もう一人は、赤銅色の髪をした二十代後半くらいの美丈夫だ。

 この画像を目にして、「ひっ」とヘンリエッテは短い悲鳴を上げた。


「これは幽界で撮影したものです。貴女と、もう一人男性が映っていますね。彼はいったい、誰でしょうね?」

「……」

「おや?ヘンリエッテ様、どうされましたか。酷い顔色ですよ。それにしても、驚きですね」


 ウィルフレッドは悠然と微笑む。


「まさか、審判の裁判官で第一階級神使の貴女が、怠惰の魔王ベルンハルトと裏で繋がっていたなんて」

「――っ!!」


 とうとうヘンリエッテは声にならない悲鳴を上げて、それからウィルフレッドに泣き縋った。


「お願い!このことは誰にも、誰にも言わないで!!」

「そうですね。こんなことが治安当局にでも知られたら、貴女は死罪か堕天か。二つのうち、どちらかですものね」

「ひぃっ……!止めて!何でも言うことを聞くから、どうかそれだけは――!!」


 ハラハラと涙をこぼしながら懇願するヘンリエッテをウィルフレッドは静かに見下ろす。彼の顔からは先ほどまでの微笑は消え失せていた。


 ウィルフレッドは冷ややかに命令した。


「あの審判の真実を語ってください」




 ヘンリエッテは、元々魔族側のスパイだったと白状した。


「天魔戦争時代はそのようなことが多くありました。魔族側も神使側も、それぞれのスパイを敵陣営に潜り込ませていたのです」


 そう彼女は語った。


 大戦が終わっても、ヘンリエッテは天界に残った。彼女がスパイだということは露見せず、そのまま神使として過ごしていく。そのうち、彼女は出世して、審判の裁判官を任されるようになった。

 ごくたまに、ベルンハルトと連絡をとることはあったものの、普段は己がスパイだったことすら忘れてしまうような平穏な日常をヘンリエッテは過ごしていた。


「それがあるとき、ベルンハルト様から連絡が来たのです。頼みたいことがあると。それが……例の審判の件」

「……それで?」

「審判で貴方の罪をにしてほしい、そう頼まれました。全ての罪をグレース・セシルに背負わせ、彼女は魔界へ。逆に貴方の罪はなかったことにし、魔界へは堕とさないようにせよと。この二人の審判結果で齟齬そごが出ないように、ジェイコブ・アッカーの判決は辻褄を合わせました。その際、偽の聖秤せいしょうを使用したのです」

「私は自身の審判そのもののについて、当時の記憶があやふやなのですが……もしかして、それも?」

「……はい。当時の貴方は己の罪を告白する危険性がありましたから。審判に臨むにあたって、貴方の意識レベルを少し下げました」

「……なぜ?」

「えっ」

「なぜ、ベルンハルトはそのようなことを貴女に命じたのですか?」


 そうウィルフレッドに訊かれて、ヘンリエッテの眼球は左右にせわしなく動いた。本当のことを言うべきかどうか、迷っているようだ。


「ヘンリエッテ、貴女に選択権はありません。貴女のこの自白も、魔導端末で録画しています。これを治安当局に提出すれば……」

「い、言います!ちゃんと質問に答えるから、それだけはっ!!」


 必死の形相のヘンリエッテは、ついに白状した。


「ベルンハルト様はグレース・セシルに取引を持ち掛けたのです」

「取引き?」

「グレース・セシルの望み――貴方を魔界に堕とさないこと――それを叶える代わりに、彼女はベルンハルトに仕える、そういう契約をしたと聞いています」

「なんだって?」



 ウィルフレッドは信じられないように目を見開いた。

 このとき、彼は初めてグレースのを認識したのだ。


 だって、グレースは知っていたはずだ。

 ウィルフレッドの望みは、あくまで共犯者として彼女と共に地獄へ堕ちること。彼女と同じ裁きを受けることだった――と。


 グレース。君はこんなことで、本当に僕が喜ぶと思ったのか?

 何があっても運命を共にする、そう誓ったはずなのに……。


 悲しみや怒り、切なさ。

 色んな感情がドッと押し寄せてきて、ウィルフレッドは己の唇を噛んだ。


 グレースはウィルフレッドに地獄の苦しみを味わせたくなかったのだろう。彼女が己のためを想って、ベルンハルトとの取引きに応じたことを、頭ではウィルフレッドも理解できた。

 しかし、心はそうじゃない。

 グレースの行為はウィルフレッドにとって裏切り以外の何物でもないのだ。



「それで…グレースは今、魔王ベルンハルトの下にいるのですか?」


 絞り出すような声でウィルフレッドが尋ねると、「ええ」と肯定が返ってきた。


「彼女は今、ベルンハルト様の秘書長官をしているわ」


 それを聞いて、ウィルフレッドは決心する。


 グレース、僕は必ず君を取り戻す。

 だって、僕らの最期は一緒のはずだから――。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る