第37話 裏切り者(Ⅱ)
約三年前――天界裁判官邸宅
高価な雪星石の床のエントランスを抜け、ウィルフレッドは客間に通された。そこには、白髪混じりの上品な老夫人が応接用ソファに座っている。
「ヘンリエッテ様。本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
ウィルフレッドが恭しく頭を下げると、ヘンリエッテと呼ばれた夫人は
「別に構いませんよ。さぁ、そこに掛けてください。確か、貴方は――そう、ウィルフレッドさんでしたね」
「はい。三十年ほど前、審判でヘンリエッテ様にお世話になった者でございます」
このヘンリエッテという女性は第一階級神使で、人間の死後行われる審判の裁判官を務めていた。ウィルフレッド自身も、彼女によって裁定され、死後の運命が決まったのである。
「ええ、ええ。覚えていますよ。生前に貴方ほど善行を成した人物は珍しい。今は確か、第三階級神使になったとか」
「はい。中央図書館で司書の仕事に励んでおります」
「そうですか、そうですか」
ヘンリエッテはにこやかに頷き、「それで大事な話とはなんですか?」とウィルフレッドに尋ねた。
今回のヘンリエッテとの面談は、ウィルフレッドが各方面の伝手を頼って、何とか約束をとりつけたものである。
そうまでして、己に話したいことは何なのだろうと、ヘンリエッテは不思議に思っている様子だった。
ウィルフレッドはポケットからあるモノを取り出し、目の前のローテーブルに置いた。
「あら?」
ヘンリエッテはしげしげと机の上を眺める。
ウィルフレッドが置いたソレは、一見したところ小さなガラス玉だった。透き通った薄い水色をしていて、コロンと転がっている――と、そのガラス玉から光が伸び、ホログラム映像が浮かび上がった。
まぁ、とヘンリエッテは声を上げる。
「もしかして、これは魔導端末ですか?」
「ええ」
「しかし、これほど小型の端末は見たことがありませんね」
「実はこれ、私の自作なんです」
「えっ」
ヘンリエッテは目を丸くしてウィルフレッドを見た。信じられないように、「これを貴方が…?」と呟く。
「私自身は保有魔力量が小さく、生前は魔法を扱うことすらできませんでした。しかし、天界の魔法技術は人間界の比ではありません。より少ない魔力量で魔法式を展開する技術開発が進んでいるおかげで、私でも多少の魔法を扱えるようになったのです。こうして魔道具の作製も行えます」
「信じられないわ。貴方が天界に来て、まだ三十年でしょう?にもかかわらず、このような魔導端末を作製できるようになるなんて……」
ヘンリエッテは本気で感心しているようだ。
「審判のときから、貴方が頭脳明晰だとわかっていましたが、これほどとは思いもよりませんでした。すばらしい才能です」
「過分なお言葉、恐れ入ります。実は見ていただきたいのは、こちらでして」
ウィルフレッドは自作の魔導端末から浮かび上がったホログラムを示す。映像は全部で三つあった。
ぼんやりとしていた映像が徐々に鮮明になっていき、その内容を確かめるように、ヘンリエッテはじっと凝視する。
「これは…審判のときの映像ですか?」
先ほどまで称賛していたヘンリエッテの表情が突然曇った。彼女は非難の目をウィルフレッドに向ける。
「審判のデータのアクセスには第二階級以上の神使の承認が必要のはず……まさか、勝手に持ち出したわけじゃないでしょうね?」
ヘンリエッテの詰問には答えず、ウィルフレッドは「よくよく映像を見ていただきたいのです」と言った。
「その前に、私の質問に答えなさい」
「まずは映像をご確認下さい。ヘンリエッテ様の今後の進退にも関わってくる重要なものですよ」
「なんですって…?」
「ご指摘の通り、これは三名分の審判のときの映像です。その三人というのは、ジェイコブ・アッカー、グレース・セシル、そして私――ウィルフレッドです。この三人の審判の共通点は、もちろんお分かりですよね」
「……私が裁判官を務めた審判ですね」
「その通りです。ああ、映像にも貴女の姿が映っていますね」
「それが何だというのですか?」
ヘンリエッテは素知らぬ顔をしていたが、その声は少し上ずっていた。
「映像には審判で使用される
「べ、別に…」
「そうですか?ちなみに、こちらが他の審判で使われていた
ウィルフレッドは
つまり、問題の審判で使われた
その判定は絶対的に正しく、どれだけ罪人が嘘を並べ立てようと、誤魔化しはきかない。だから、
だが、もし
ウィルフレッドの話を聞いて、ヘンリエッテの顔色はみるみる青ざめていった。
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