第36話 裏切り者(Ⅰ)

 この日、天界の中央図書館から逸走いっそうした自動人形ゴーレムについて、天界側と第七地獄側で話し合うことになっていた。

 天界側からは、騒動の経緯の説明と謝罪。そして、自動人形の回収を願い出る予定である。


 会談が行われるのは、天界・魔界・人間界の狭間にある幽界だった。

 元々、この幽界は死後の審判で罪人と定められた人間が刑罰に服する場所だ。厳しい看守の監視の下、罪人たちは罪を償い、刑期が終えれば再び人間へ転生する。

 そんな幽界の看守らが管理する館の一室に、会談の場が設けられた。


 天界から交渉役はウィルフレッドだ。

 そして、魔界側の会談相手には、第七地獄を変えたというが良いと打診し、あちら側からの承諾も得ていた。


 円卓と椅子だけのガランとした室内で、ウィルフレッドはひとり待った。

 ズボンのポケットから懐中時計を取り出して確認する。あと、五分ほどで約束の時間だ。


 懐中時計をポケットに戻すとき、ウィルフレッドは自分の手がじっとりと汗で濡れていることに気付き、苦笑した。どうやら、柄にもなく緊張しているらしい。

 いや、緊張するのは仕方ないか。だって、今日は――。


 そう考えたところで、ノックの音がした。

 ウィルフレッドは慌ててドアの方を振り返る。それから、はやる気持ちを抑えて声を出した。


「どうぞ」


 キィ―と扉の開く音。

 入ってきたのは、赤銅色の髪をした二十代後半くらいの青年だった。

 その姿を目の当たりにして、ウィルフレッドは虚を衝かれたようになる。


「やぁ。今日はよろしくね」


 ポカンとしているウィルフレッドをよそに、怠惰の魔王ベルンハルトはにこやかに笑った。




 ベルンハルトの真正面の席に腰を下ろしながら、ウィルフレッドは自身を落ち着かせようと必死だった。


 ここに魔王が来るなんて計算外だ。本来は彼の秘書長官と対談する予定で、その件は相手側も了承していた。

 それなのに、なぜ――?

 ウィルフレッドは疑問に思う。


 内心は激しく動揺しながら、それでも相手にソレを悟らせないように、ウィルフレッドは綺麗な笑みを作った。


「まさか、魔王陛下が直々にいらっしゃるとは思いもしませんでした」

「あ、そうだよね」


 ウィルフレッドの言葉に、ベルンハルトはあっさり頷いた。


「俺って面倒くさがりだからさ。普段なら、こんな面倒なことに足を突っ込んだりしないよ」

「ならば、今日はどうして?」

「う~ん、気まぐれかな」

「そうですか」


 無邪気に笑うベルンハルトと、それに微笑で応えるウィルフレッド。

 一見、和やかに見えるが、ウィルフレッドはやりにくさを感じていた。

 こういう部類は厄介だ。友好的な笑顔の下で、いったい何を考えているかがわからない。己も同じタイプだからこそ、ウィルフレッドは用心した。


「それでは、改めまして。今回の自動人形の件、大変申し訳ございませんでした。第七地獄の皆さまには多大なご迷惑をおかけし――」


 口上を述べ、頭を下げようとしたウィルフレッドを「あ。それは要らない」とベルンハルトが止めた。


「えっ?」

「そういう形式上の謝罪とか説明とか要らないよ。面倒くさいしね。自動人形もちゃんと、そっちに返してあげる」

「それは…こちらとしては有り難いお話ですが…」


 ウィルフレッドは戸惑う。

 謝罪や説明が要らないのならば、なぜこの男はわざわざこの場に赴いたのか、という疑念がよぎった。


 怠惰の魔王の名に相応しく、ベルンハルトのサボり癖は病的だと、ウィルフレッドも耳にしていた。そのせいで、過去の第七地獄が魔界の中で一番酷い国だったことも有名な話である。


 そんな怠惰の魔王が自ら足を運んだのに、謝罪も説明も要求しないというのは不可解。

 つまり、ベルンハルトには此処に来た目的が他にあるはずだ。

 問題は、その目的なのだが……


 ウィルフレッドはベルンハルトをまじまじと見る。

 ベルンハルトはにっこりと笑いながら、ウィルフレッドに問いかけた。


「ねぇ。グレースじゃなくて、残念だった?」


 その瞬間、ウィルフレッドは悟った。


 この男、

 この会談でのウィルフレッドのが、秘書長官グレースに会うことだと。

 そして、全てを知った上で、ベルンハルトはこの場にいるのだ。

 己とグレースを会わせないために。


 ウィルフレッドの顔から一切の笑みが消えた。彼は冷え冷えとした視線で、ベルンハルトを見る。

 一方のベルンハルトは、相変わらず笑顔のままで話を続けた。


「でも、わからないなぁ。どうして、部下に会いたいわけ?君の家族を殺して、謀反まで起こしたんでしょう?」

「……白々しい」


 ウィルフレッドはそう吐き捨てた。普段の彼からは想像できないような、冷淡そのものの声だった。


「確かに、グレースは私を。しかし、それは生前の事件についてではない。そのことは貴方もよくご存じのはずだ」

「どうして、そう思うんだい?」


 今や、ウィルフレッドは怒りに満ちた眼で、ベルンハルトを睨んでいた。その視線を面白おかしそうに受け止めながら、ベルンハルトは尋ねる。


「なぜなら、グレースをそそのかした張本人が貴方だからだ、魔王ベルンハルト。貴方は彼女が私を裏切るように仕向けた」

「ええ~?俺、そんなことをしたかなぁ」

「とぼけても無駄だ。証拠はある。貴方は死後の審判で私の罪をにしただろう」


 グレースの裏切りは、王族殺しでも謀反でもない。

 ウィルフレッドを地獄にこと――それに他ならなかった。


 生前、グレースはウィルフレッドのために手を汚し、罪を一人被って処刑された。

 しかし、ウィルフレッドはあくまでグレースとは共犯者のつもりだった。

 出会った時、何があっても運命を共にすると誓った言葉は嘘ではない。


 だから、最期は地獄で共に罰を受けることをウィルフレッドは心から望んでいた。

 それがウィルフレッドのグレースに対する償いであり、慰めであり、彼に残された矜持だったのだ。


 にもかかわらず、死後の審判では、ウィルフレッドの共犯者としての罪はなかったことにされていた。

 彼には託されたのは、地獄への片道切符ではなく、転生か神使として生きるかの選択だったのである。


 いったい、どうしてそのようなことが起こったのか。

 それは魔王ベルンハルトが、グレースにを持ち掛けたのが切っ掛けだった。




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